最終章 そして手をつなぐ

第38話 かけがえのないものを守るために

 白黒に明滅する、乱気流のような不安定な夢の道。

 昼介は落下するような感覚で突き進みながら、夜々子を思った。


――夜々子。夜々子はさ、おれのことすごいとか、かっこいいとか、よく言ってくれるけどさ。

――本当はそんなこと全然なくて、ずっと怖かったって言ったら、意外に思うかな。


 魔物と戦うとき、怖いと思わなかったときなんてなかった。

 夜々子が魔物の毒針に刺されたとき。一人で戦いに行ってしまったとき。心臓が止まるかと思うほど恐ろしかった。

 デートに誘ったのだって、告白しようと決めたのだって、本当は吐きそうなくらい緊張してた。

 プールでは視線ひとつ間違えたらそれで嫌われるんじゃないかって気が気じゃなかったし、光の粒子が初めて出たときはもう夜々子の隣にいられないかと絶望的な気分になった。

 クラスメートたちに告白の協力を仰ぐのだって、スマホを打つ指がふるえてたし、中指が動かなくなってから……それは、もう言ったな。


――これが、本当のおれなんだよ。怖がりなのを、カッコつけてごまかしてただけなんだ。

――ずっと、カッコつけてた。だって夜々子に、好かれたかったから。


 そう、ずっと。

 前に考えたことがあった。いつから好きになったんだろうと。

 今なら言える。最初からだ。最初からなんだ。一目惚れだったんだ!


「だから、夜々子!! 戻ってきてくれよ!!

 おまえが隣にいないおれなんて、もう、考えられないんだよ!!」


 叫びが空間をつらぬいて、道をひらいた。

 宇宙空間のような真っ暗な夢の広間の中で、ガラスドームのように区切られた空間が見えた。夜々子の夢の区画。中から紫の炎に覆われている。

 その中心に、ぽつんと夜々子の姿が見えた。ニグトダルクも。

 その中に入ろうとして、夢のつながりを作りきれず、空間の外側で立ち往生した。

 夢の境目に手をついて、昼介は叫び続けた。


「夜々子!! おれはっ、おれはここにいるぞ!!

 夜々子ーッ!!」


 どれだけ叫んでも、それは夜々子のところまでは届かなかった。




 ドームの中。紫の炎に縁取られた闇の夢。

 夜々子は燃えて、もがいて、うずくまっていた。

 そのかたわらで、ニグトダルクは見下ろしていた。


「時間切れだ。魔力が肉体に浸透し、心の動揺がそれを加速させ、間接的だが前世の記憶にも触れて、とうとう私との境界がほころび始めた。

 黒井夜々子、おまえはよく頑張った。未熟な能力でよく魔法を制御し、できる限りのことをやった。その上で、その努力は、その人生は、無意味だ」


 燃えながら、夜々子は繰り返した。


「無意味?」


 炎の中で、タレた目の奥の瞳が、きょろきょろと動いた。


「わたしの、今までの、何もかも?」


 夜々子は、手を伸ばした。

 くずおれ、倒れ伏して、それでもはって動いた。

 ニグトダルクは、いぶかしんだ。


「どこへ行く。この期に及んで、なぜあきらめようとしない」


「……あきらめたら……」


 進みながら、夜々子は思い返した。

 昼介と出会った。魔物に襲われて、助けてくれた。

 デートに誘ってくれた。告白しようとしてくれた。改めて、きちんと、告白してくれた。

 折り紙の花束。二人の恋を、たくさんの友人が応援してくれた。

 手のひらサイズのパズルのピース。パズル部のみんなで輪になった。夜々子の出生を、今の部活動を、奇跡と言ってくれた。

 アルバムの写真。夜々子の出生の思い出を語る、母の安らいだ顔。

 全部が、その全部が。


「わたしがあきらめたら、何もかも、無意味になる?」


 夜々子は四肢に力を込めた。

 はいつくばった状態から、少しずつ、立ち上がる。

 立ち上がりながら、思い出はとめどなく頭をよぎる。

 全部覚えている。昼介と食べたもの。昼介と行ったところ。

 昼介の笑顔も。昼介の頑張りも。昼介のかっこいいところも、隠してた弱さも、その上でカッコつけてた優しさも、全部、全部。


「わたしがもらってきたいろんなものを、わたしがあきらめたら無意味になるんなら。

 あきらめられないよ……! わたしは、みんながくれたもの、無意味にしたくない!」


 あふれた涙は炎に触れて、消えも消しもせず流れた。

 伸ばした両手が、鼓動のような音をひとつ立てて、魔法陣を生み出した。

 記憶の魔法陣。昼介が存在を示して、実演してみせた。

 夜々子は押した。魔力を込めた。魔法陣が起動し、前世の記憶へとつながった。

 サンハイトの記憶を見たのと同じ。違うのは、これは夜々子が本体で、前世の記憶に取り込まれるかもしれないのは夜々子で、そして隣に昼介がいないこと。

 体がふるえる。涙が出る。それでも、前へ。


「怖いよ……! 一人でやるの、やだよ……! 昼介くん……!

 でも、あきらめる方が、もっと、イヤだよ!」


 意識が吸い込まれ、魔法陣の中へ――


…………


……




   ◆




 山々に囲まれたすり鉢状の土地で、ニグト族の村はひっそりと息づいていた。

 大陸に点在する紫色の肌の民族のひとつで、多数民族のおとぎ話に伝わるところによれば、はるか昔に罪を犯して神のすみかを追放された堕落神、その子孫である証が紫色の肌なのだという。

 ニグト族ら紫肌の民族はまた、自分たちのルーツを物語る神話をそれぞれに持つ。

 真実は、誰が知るものでもない。


「そういうふうにね、本に書いてあったよ、姉さん」


「ダルクは勉強熱心だねえ」


 村のはずれ、湖の周りを手をつないで歩く、姉と弟。

 ニグト族に伝わる六体の守り神を模した石像が、二人を見守る。


「ぼく、もっと勉強して、いろいろ知りたい。魔法の研究をしたりして、あと、外の世界を、いっぱい見てみたい」


「外の世界ねえ」


 姉は微笑んで、遠く山々の稜線を見た。


「いいよねえ。気になるよねえ。

 外の世界を見て、そこの人たちとも、たくさん仲良くなりたいねえ」


 きょうだいは、ニグトの民は、平穏に暮らした。

 姉は気立てよくみんなから愛される女性に育ち、弟・ダルクは村一番の大男ながら、読書好きで魔法研究に明け暮れる穏やかな青年になった。

 月日はゆるやかに、平穏に流れた。

 こんな日々が、ずっと続くと思っていた。


「ダルクー! ちょっと来て! 手伝ってちょうだい!

 ケガ人! 事故みたい! 山の方!

 しかも外の人間よ、金色の髪をしてるわ!」


 ずっと、続くと思っていた。




「はぁッ、はぁッ」


 記憶の映像の片隅で、夜々子は息を荒げ、ふるえていた。

 思い出すのはまだ途中だ。それでも断片的に、この先のことが分かってしまった。

 これからこの人は、姉は、わたしダルクの最愛の人は、むごたらしく死ぬ。

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