第35話 約束の果て

 記憶の旅は進んでゆく。終わりに向けて流れてゆく。

 サンハイトの二人の友は、死を迎える。


 山岳。ガラスの巨鳥が洪水を呼ぶ。

 巨大ムカデを下してからの連戦で、サンハイトたちは消耗していた。

 巻き髪の格闘家が巨鳥の首にとりついてへし折るのと同時、魔法の守りがついに維持できなくなって、サンハイトと紫肌の魔道士は濁流に飲まれた。

 サンハイトは運良く、立ち木の枝につかまることができた。

 その後から、紫肌の魔道士は流れてきた。


「サンハイトっ……! オイラ、泳げなッ……!」


 サンハイトの光の粒子の性質を、仲間たちは当然知っていた。

 それでも命の危険にあせっていたか、他に選択肢がなかったか。

 魔道士はサンハイトに手を伸ばし、体をつかんだ。


 その手は焼け落ちて、崩れ去った。


 サンハイトの、そして巻き髪の格闘家の叫び声は、洪水の音にかき消された。

 魔道士は流れていった。

 見つけ出すまでに、かなりの時間がかかった。

 再会したときには、魔道士はもう、物言わぬ死体となっていた。


 紫肌の魔道士の故郷。少数民族の村。

 墓石が立ち並び、ひとつひとつに鎮魂の魔法陣が刻まれている。

 そのうちのひとつの前で、サンハイトと巻き髪の格闘家は、祈りをささげた。

 格闘家は泣きじゃくり、サンハイトはただ静かに、暗く沈んで。

 夕日が押し出す影は、長く長く、伸びていった。


 その後ろ、夜々子はきょろきょろと見回した。


「ねぇ、昼介くん、これって」


「ああ」


 とめどなく流れる涙をぬぐって、昼介は周囲のひとつひとつを注視した。

 見るのは墓石。そこに刻まれた魔法陣。


「似てる。赤ん坊の夜々子の背中にあった、あの魔法陣と。

 あれは、死者をとむらうための魔法陣だったんだ」


 そして昼介は、考え込んだ。


「でもなんか、夜々子の背中にあった方は、もっと複雑だった気が……

 まるで……魔法陣がふたつ、重なってるような……」


 考えがまとまる時間もなく、記憶の旅は、進み続ける。




 死の荒野。

 悪天候を呼ぶ巨木が、のたうつ十四本の毒の触手が、死んで煙へと変わってゆく。

 その中心で横たわる巻き髪の格闘家と、かたわらで魔力を振り絞るサンハイト。


「くそっ……! 死なせるものか! 頼むから、死んでくれるなよ!

 緊急治癒リザレクション! 緊急治癒リザレクションッ! ぅあああッくそォ……! 緊急治癒リザレクションッ!!」


「も、無理、だよ、サンハイト……」


 血を吐きながら、かすんだ目で、格闘家はサンハイトを見上げた。


「イルフルフライの、毒……もう、完全に浸透しちゃって……回復魔法が、はじかれちゃってる、から……」


 格闘家は涙をこぼしながら笑って、サンハイトに手を伸ばした。


「ね……手、握ってよ。

 せめて、最期くらい……サンハイト、あんたと、触れ合いたいよ……」


 サンハイトはとめどなく涙を流して、駄々をこねる子供のように顔をゆがめて、それでも最後には、格闘家の手を両手で握った。

 光の粒子は、格闘家の手を焼き崩していった。

 格闘家は力ないまま、歯を見せて笑った。


「えへへ……サンハイトの手、世界で初めて、あたしが握ったよ……

 これから、何人の人が、この手を握ったって、最初に握ったのは、あたしなんだから……

 だからさ……勇者の呪い……絶対に解いて、サンハイト……幸せに、なって……約束、だよ……」


 光の粒子は、格闘家の体を、焼き落としていく。

 その侵食も、やがて止まった。

 光の粒子は、生きているものを焼く。

 生きていないものは、焼かない。


 サンハイトは泣き叫んだ。

 その後ろで、昼介と夜々子も、泣いた。




 記憶は進む。

 最後の戦い。魔王ニグトダルク。対峙する。


「魔王ニグトダルク! ここで終わらせてやる!

 貴様の闇を打ち払い、俺は勇者としての使命を、果たすッ!!」


 約束したから。大切な人と。

 その人は、もういない。

 最終決戦に臨もうとも、いくら勇者らしく振る舞おうとも、心臓が高鳴ることはない。


「まだ、俺の体は、宿命から解き放たれていない。

 そして俺は、この世界に未練などない。

 貴様が異世界に行くというのなら、魔王よ。俺もそれを、追うだけだ!」


 手をつなぎたいと思った人は、もうこの世界にはいない。

 違う世界になら、いるだろうか。

 大切な人でなくてもいい。それはもう失った。

 ただ新しい人生に生まれ変われたら、誰かを傷つけることなく、人と触れ合うことができるのだろうか。

 一人でいい。誰か、サンハイトのこの手を握って、抱きしめてくれる人がいるのなら、それだけで――


…………


……




   ◆




 暗い闇。夢の中。

 記憶の旅が終わり、昼介と夜々子はたたずんでいた。

 夜々子は昼介に顔を向けた。


「昼介くん、大丈夫?」


 さめざめと涙を流す昼介は、声をかけられて、ゆっくりと頭を振った。


「ん……大丈夫。昼介。おれは、白木昼介。

 正直ちょっと、ヤバかったけど。途中、サンハイトと混ざりそうで。

 夜々子と一緒でよかったよ。おかげでなんとかなった」


 涙を拭いて、夜々子に笑いかけた。

 夜々子はその顔をじっと見た。


「昼介くん、無理してない?」


「ん? 全然、問題ねーよ」


 言ってから、昼介は頭をかいて。


「や、ちょっとウソついた。

 正直自分が自分じゃなくなりかけるのはだいぶ怖かったし、泣いたのもちょっとは怖かったせいだよ。

 はは、だっせぇ話だけどな」


「ううん」


 つないだ手をしっかりと握って、肩をぴったりと寄せて、夜々子は言った。


「ださくないよ。

 なんか、その……変な話だけど……かっこいいと思う。

 怖くてもちゃんと立ち向かってるっていうか、その前だって昼介くん不安だったのに、わたしを安心させるために頑張ってくれて、わたしはそんなふうにできないから、すごいよ」


「よせやい、そんな大それたもんじゃねーよ」


 昼介は照れた。

 それから、改めて夜々子の顔を見ると。

 夜々子はなんだか、顔を赤くして、言おうか言うまいかためらっている感じで、それでもやっぱり口を開いた。


「あの……変なこと言ってるって思うかもだけど……

 今までね、昼介くんのこと、ずっとすごい人って思ってて、そういう目で見てきたから。

 その、怖がったりとか、不安だったりとか、そういう昼介くんを見てたら……こう、なんか、かわいいっていうか、すごいぎゅーってしたくなっちゃって」


「夜々子何言ってんだ?」


 けげんな顔の昼介に対して、夜々子は顔を赤らめたまま、きらきらした目を向けた。


「昼介くん、ぎゅってしていい?」


「やだよ!? それおれのことバカにしてんだろ!?」


「バカにはしてないよ! 本当に、なんていうか、もう本当にかわいくてかわいくて!」


「かわいいって言われて喜ぶ男がいると思ってんのかバカ!」


「いいじゃん男の子がかわいくたって! だって本当にかわいいんだもん!」


 暗闇の中で、二人はわいわいきゃいきゃい、ひたすら騒いだ。


 そのそばに、人影。


 昼介はぞくりとして、夜々子を背にかばいながら飛びのいた。

 その場所を、光の剣がなぎ払った。

 昼介は緊迫して、その姿を見上げた。


「サンハイト……!」


 光の粒子を振りまき続けて。

 勇者サンハイトは、暗く冷たい眼差しで、少年と少女を見下ろした。

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