第30話 あなたは目印だから

 暗い闇。夢の中。


「夜々子」


 呼ばれて、振り返る。

 それより先に、手が握られた。

 あたたかな感触。目の前には、昼介のやわらかな笑顔。


「夢の中なら、火も光も出てねーな。

 ここなら、手をつないだりできるみたいだ」


 握る。握り返す。感触。左手に感じる、昼介の右手。

 体格のわりに、大きな手。

 そして中指は、ここでなら動く。


 感触を確かめて、少し目を伏せて、夜々子は尋ねた。


「起きてるより、ずっと夢の中にいた方がいい?」


「いや」


 昼介は迷いなく言った。


「起きるさ。起きて、努力して、元通りに過ごせるように頑張る。

 そんで、昼も夜も関係なく、いつでも手をつなげるようにする。それが一番だろ」


 笑顔を向けられて、夜々子はつい、照れて顔をそらそうとして、それから思い直して、笑って昼介に向き直った。


「うん。そうだね」


 昼介は笑顔を深めた。

 それから、ちらりと後ろに目をやって。


「サンハイトもニグトダルクも、ここに来ようとしてる。逃げるぞ」


「うん」


 手をつないだまま、二人は走る。


「走るぞ! なるべく長く! できれば朝が来るまで!

 追いつかれないうちは、おれたち二人っきりだぜ!」


「うん!」


 走る。走る。

 この暗くて狭い夢の中で、二人は今、自由だ。




   ◆




「まずカドのピースを見つけて、んで四辺を作ってくのがいいんだよな?」


「うん。端っこ以外のピースは、色で分けておくと組みやすいよ」


 日中、山の中。

 夕奈那が持ってきた荷物の中にパズルがあって、昼介と夜々子はそれを組み立てることにした。


「これとか二色あるけど、どっちに分けとけばいいんだ?」


「そこは慣れだけど、大ざっぱで大丈夫。

 だいたいで分けて、後で組みやすくするだけだから」


 組み立てていく。

 光の粒子を散らす昼介の指が、パズルを拾い上げていく。


「昼介くん、パズル作るの早くなったね」


「部活でそれなりにやってるもんな。夜々子に教えてもらってるし」


 向かい合って、頭を突き合わせて、作る。

 熱中して、自然に距離が近づいて、触れそうになって、慌てて離れる。触れてしまえば、光と炎が傷つけてしまう。

 作りながら、コンビニのフライドポテトをつまんだりして。


「このコンビニのポテト、初めて食うけど思った以上にうまいな」


「うん」


 つまみながら、夜々子はぽつりと返した。


「でも、前に食べたポテトの方が、もっと好き」


「前?」


「競技会のときの……」


「……ああ、そういや食べたな」


 思い返す。五月。ヨーヨーの競技会。

 待ち時間に、確かにフライドポテトを食べた。


 夜々子ははかなげに笑った。


「いろいろ食べたね。緑地公園ではホットドッグを食べて、プールでは焼きそば食べて、チュロス食べてソフトクリーム食べて。

 チュロスの交換したりもしたから、周りからすっごく見られてた。

 パンジーの花壇だってデザインをしっかり覚えてるし、告白のときの折り紙の花束だって覚えてる。

 全部、覚えてるよ」


 それから、昼介の右手に目を向けた。

 光の粒子。そして意識させまいと昼介がしていても、どうしても動作の中で気がついてしまう、動かない中指。

 夜々子はそれから泣きそうな目で、自身の燃える手のひらを見つめた。


「今の思い出がこんなにあって、前世のことなんて、ほとんど覚えてないのに。

 なんで、こんなことになっちゃったんだろう」


 昼介は目を伏せて、一瞬、痛みをこらえるように表情をかげらせた。


「あ……」


 昼介の口が何か言いかけて、言いよどんで、そのままつぐんだ。

 夜々子は視線を上げた。

 そのときにはもう、昼介は自分のほっぺをぱしぱし叩いて、勇気づけるような笑顔を向けていた。


「絶対! なんとかしようぜ!

 この火も光も消して、サンハイトやニグトダルクにちょっかいもかけられなくて、魔物も来ない、そういうふうに絶対なる!

 その方法を考えついてみせるから! 絶対に!」


 まっすぐに夜々子を見つめて、昼介は言い切った。

 夜々子はしばらくぽかんとして、それから穏やかに微笑んだ。


「うん。ありがとう。

 昼介くんがそう言ってくれると、わたし、すごく安心する」


 夜々子の笑顔を見て、昼介も安心したように笑顔をゆるめた。




 夜が来て、朝が来る。

 家族に連絡をして、夕奈那が来る。


「いやー参ったよねー。当然っちゃ当然なんだけどさーややちゃんの家族も昼介くんの家族も来たがっててさー。

 あんま来ない方がいいよね? あの変な怪物みたいなのに襲われたりするんでしょ」


気遣きづかいすみません、ゆななん先輩」


 夕奈那から荷物を受け取って、洗濯するものを渡す。

 夕奈那は安全メットをかぶったまま、にっかと笑ってみせた。


「ま、アタシがうまくさばくから、任せんしゃいよ。

 場所だけは伝えとくけどね。絶対ないようにするつもりだけど、アタシに万一があったらコトだし」


「ごめんねゆななん、怖い思いさせちゃって……」


 しょんぼりする夜々子に、夕奈那はにっかと笑いかけて、マジックハンドをみょいーんと伸ばして頭をなでた。


「ほらほら、背すじ伸ばして。そんな落ち込まなくていいよ。

 アタシはむしろこうやって首突っ込める口実ができてラッキーだって思ってるし、合点もいったしね。ややちゃん男子の友達なんていなかったのに中学上がって急に昼介くん連れてきたのなんだろなーって思ってたから」


 それから夕奈那は、笑顔をやわらかく細めた。


「こないださぁ、背が伸びたなって思ったの、単純に身長の話だけじゃないよ。

 前はもっとうつむいて縮こまってビクビクしてたし、あんな堂々と肌出してなかったじゃん」


「あ……誕生会のとき言ってた」


 思い返す。夕奈那の誕生会の帰り。背が伸びたと言われた。

 夕奈那は懐かしむように目を遠くに向けた。


「昼介くんがコクったときもさー。あんな朝早くに急に連絡もらって、それであんなに人が集まってさ。

 ややちゃんがあんだけ応援されてるんだなってさ、うれしくなったよ。カドのピースだなんて言ってたのにさ」


「ああ、そんな話もしたね」


 最初のデートのころ、服の相談をしたときの話だ。

 自分はみんなの中心になれないカドのピースだと、夜々子は言った。

 夕奈那はにんまりと笑った。


「カドのピースってさ、やっぱいいたとえだと思うよ。

 みんなの目印になって、そこからみんながつながってく。

 すごいことじゃん」


「目印……」


 夜々子はなんとなくもじもじして、ちらりと昼介に目を向けた。

 昼介は見返して、にこりと笑った。


「なんの話か知らないけど、夜々子がパズルのカドみたいに最初のピースになったってことなら、おれもそう思うよ。

 夜々子を見つけられて、そこからパズル部だって縁がつながったわけだしな」


 ほめるように言われて、夜々子はなんだか照れくさくなって、もじもじした。

 夕奈那はにっかと笑って、それから荷物を背負った。


「よっしゃ! そんじゃアタシはそろそろ行くね!

 あんま長居すると、また巻き込むかもって心配するんでしょ」


「すみませんゆななん先輩、何から何まで気を遣わせて」


 夕奈那はからりと笑って、背を向けて、手を振って去っていった。

 昼介と夜々子は、夕奈那が来る前よりも晴れやかな顔で、山の奥に戻っていった。




 山のふもと。

 夕奈那は自転車に、荷物をくくりつけた。

 そうしながら、少し動きを止めて、ぼうっとつぶやいた。


「帰って、二人の家族に大丈夫だよって伝えて、心配かけないように……笑顔で……」


 夕奈那は自分のほっぺを、ぱんぱんと叩いた。


「しっかりしろ青山夕奈那ー。頼れるゆななん先輩はへこたれないのだー。

 ……でも今だけ、ちょっとだけ弱音を吐いて、リセットしちゃおう。

 さみしいよー。心配だよー。早く帰ってきてほしいよー」


 夕奈那は小さくつぶやいて、深呼吸をした。

 それからしっかりと前を向いて、自転車を押し始めた。


「よっし! ゆななん復活! がんばるぞー!

 二人のためにやれることやって、なんかあったらすぐに助けられるようにしよう!

 ややちゃんち、確かお兄ちゃんの望遠鏡があったから、あれ借りて家からここ監視してみよう!

 見えるかどうか分かんないけどさ!」


 夏の日差しが、高く上がってゆく。

 短い影を踏みながら、夕奈那は前進した。

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