第27話 燃えて光る

 天井も地面もないような、暗い闇の中。

 夜々子は一人、ひざをかかえて座っていた。


「……きっと、大丈夫。なんとかなるよ」


 自分に言い聞かせるように、つぶやいた。


 心配事がなくなったわけではない。昼介の指。夕奈那への説明。

 魔物との戦いは一層厳しくなっていたし、終わりも見えそうにない。

 それでも大丈夫だとつぶやいたその言葉は、本心だと思える。


「昼介くんと一緒だから」


 たったひとつの、そしてこれ以上なく心強い、頑張れる理由。


「だから、魔王ニグトダルク。

 わたしは、あなたの望み通りにはならない。

 あなたの望みがなんだったのか、わたしは思い出すこともできないけど」


 まっすぐ、前を見る。


 夢の中。夜々子の正面。紫の炎に包まれた大男。魔王ニグトダルク。

 ニグトダルクは虚無のまなざしで、夜々子を見下ろした。


「それが私にとって、どれほどの絶望で、愚弄で、裏切りであるか。

 おまえは忘れているから、臆面もなくそのようなことが言えるのだろう。

 思い出せないなどと。そのようなことを……!」


 ニグトダルクの失望と怒りの声を、夜々子は耳をふさいでやり過ごした。


「聞かない。わたしは聞かない。

 わたしはわたしで、あなたじゃない。

 あなたの望みなんて知らないし、思い出したくもない!」


「愚か者め!」


 怒声と炎の波が、夜々子の肌をなでた。

 夜々子はふるえながら耐えた。

 ニグトダルクはなおも言葉を続けようとして、ふと息をつき、遠くを見やるように顔を動かした。

 耳をすませるように静かに、そして口はささやいた。


「だが……おまえが望む望まないにかかわらず、状況はもう、動いてしまった。

 高まった魔力がコントロールできなくなったか、精神的な動揺が影響したか、あるいは両方か。

 もう、逃げることはできまい」


 夜々子はしばらく、ニグトダルクの言っている意味が分からなかった。

 そして肌に、違和感を覚えた。


「かゆい……」


 違う。痛い。

 肌が焼けている感触。でも肌は燃えていない。違う。燃えているのは、ここ・・の肌じゃない。


「熱い……!」


 夜々子は肌をかきむしる。

 治まらない。だって燃えているのは夢の体じゃない、現実の体だ。


「起きなきゃ……!」


 景色が薄れ、夢から覚めていく。

 間際に見えたニグトダルクの表情は、あわれむようで。




   ◆




 目覚めた。まだ深夜。暗闇。

 そのはずなのに、ほの明るい。

 それは炎だ。夜々子の体から立ち上る、紫の炎の光だ。


「やだ、やだ……!」


 夜々子はタオルケットをはね飛ばした。

 夜々子の両腕、両足、露出した肌、それから胴体もパジャマを貫通して、紫の炎が上がっている。

 パジャマは燃えていない。寝具も。

 炎はただ、夜々子の肌だけを焼いていた。


「消えて、消えてよ……!」


 かきむしっても叩いても、炎は消えない。

 自身の魔力が高まっているのを感じる。

 この炎はどうなる。いつ消える。それとも消えないのか。

 思い浮かぶ。夢の中で昼介がニグトダルクの指を握りしめて、その手が焼ける様子。

 そしてプールの日、昼介から出た光の粒子で、夜々子の手が焼けたこと。


「どうしよう……!」


 朝まで炎が消えなくて、家族に見られたら。

 不用意に触れられて、家族を傷つけてしまったら。


「家にいちゃ、ダメだ……!」


 荷物をまとめる。スマホに財布、それから、何がいる。思いつくものを、カバンに放り込んで。

 タオルケットを頭からかぶって、音を立てないように部屋を出た。

 最後にちらりと、勉強机、そこに飾られた折り紙の花束とパズルのピース、後ろ髪を引かれて、でも持っていくのは、やめた。




 深夜の町を、夜々子はさまよう。

 目立たないようにかぶったタオルケットを、しかし紫の炎は燃やさない代わりにすり抜けて、タオルケットの外側から取り囲んだ。

 行く当てはない。いや、ひとつ。

 魔力の気配。昼介の。近づいている。

 きっと夜々子の状況に気づいて、来てくれた。


「昼介く……」


 見つけて、声を上げかけて、そして夜々子は絶句した。

 正面。向かい合う。昼介。白く光る。

 光の粒子をまき散らして、白く発光する。

 まるで夜々子と、色違いの鏡写しのように。


「なん、で」


 なんで、こんなことになった?

 何か、間違えただろうか。

 どこかで何か失敗して、こうなったのだろうか。

 何がいけなかったのだろう。なんで、昼介まで、前世みたいな姿になって、こんな時間に家を抜け出さなきゃいけないような事態になっているのだろう。

 何が悪かった? どうすればよかった? それとも、最初から――


「夜々子」


 少しだけ距離を置いた位置で、昼介は口を開いた。


「乗っ取られてないな?

 炎は出てるけど、心はニグトダルクに乗っ取られたりしてないな?」


 はっとして、夜々子はぶんぶんうなずいた。

 昼介は笑顔を向けた。


「よかった。おれもだ。

 体に影響が出てるだけなら、まだ全然、最悪の状況じゃない」


 文字通り輝いているその笑顔は、それ以上に夜々子にはまぶしく見えて。

 それひとつ見ただけで、夜々子の不安の感情は、空気が抜けるようにしぼんだ。


「夜々子、荷物は何をどれだけ持ってきた?

 おれは長期戦になるかもと思って、着替えとかちょっとだけど保存食も持ってきたけど」


「あ……わたし、着替え、持ってきてない……」


 塗り薬は入れたのに。

 そういうのを忘れるあたり、冷静ではなかったのだろう。


「ど、どうしよう、取りに戻ったほうが」


「んー、時間食ったら夜明けが近づいちまうし、誰かに見つかるリスクが増えて面倒だよ。

 すぐに治まるかもしれないし、旅先でなんかうまいことやれないかな」


「旅って……そんな、なんか、気楽そうな」


「んー、旅じゃなきゃ、なんだろな」


 昼介に視線を向けられて、夜々子はちょっと考えて。


「……家出?」


「あー」


 昼介が納得したように指をさしてきて。


「家出、家出なー。

 夜々子、家出って、したことあるか?」


「ないよ、そんなの」


 首を振る夜々子に、昼介はにっと笑いかけた。


「おれもだ。

 ドキドキするな? 二人で悪いことするってさ」


 どきりと、夜々子はした。

 昼介は光の粒子を振りまくまま、夜々子にもう一度笑顔を向けて、それから振り返って、道の続く先を見つめた。


「どこ行くかも、これからどうなるかも分かんないけどさ。

 二人でいたら、なんとかなるような気がするよ」


 一歩踏み出して、それからまた、夜々子に顔を向けて。


「行こうぜ。絶対に帰ってくるために」


 その顔は、決意の真剣な真顔だった。

 夜々子は少しだけ見とれて、それからうなずいて、昼介と並んで、歩き出した。


 行く当てはない。

 体からあふれる炎と光が、いつ治まるか、どうすれば治まるのかも分からない。

 それでも夜々子の不安な気持ちは、驚くくらい小さくなってしまった。

 だって、昼介の顔を見たから。

 二人でいれば大丈夫だと、夜々子は改めて信じられた。


 心臓がドキドキする。

 それは不安の残り香と、わくわくする気持ちがないまぜになったシグナルだ。

 そう、夜々子は今、わくわくしている。

 手をつなげばお互いを傷つけてしまう現状が、こんなにももどかしくなるくらいに。


 夜明けは、まだ遠い。

 それでも暗い夜空の向こうに、太陽は迫っている。






【第三章「さよなら、わたしたちの日常」終わり

 第四章「前世を超えろ!」に続く】

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