第23話 祝福

 夢の中。暗闇。紫の炎。

 炎に肌を焼かれて、夜々子はうずくまる。

 それを見下ろす、全身から紫の炎を噴き出す大男。魔王ニグトダルク。


「おまえは愛されない」


 ニグトダルクの声が、呪いのように降りかかる。


「分かっているはずだ。おまえは醜い。おまえは私だ。

 何を勘違いしている?」


 ニグトダルクは淡々と言葉を吐く。

 ニグトダルクの燃える両手が、夜々子の両耳をふさごうとするように、伸ばされる。

 圧力が、夜々子の心臓を締めつけた。


「愛されるなどと勘違いするな。身の程をわきまえろ。

 なぜ愛されると思っている? 過ぎた願いなど、いっときの感情など、たやすく裏切られて不幸を招くだけだ。

 理解しろ。届かぬものに手を伸ばすな。期待などしなければ、余計な不幸を招くことなどないのだから」


 感情が流れ込んでくる。夜々子に溶け込む。

 ニグトダルクと黒井夜々子が、前世と今世が、混ざり合おうとする。

 肌を紫の炎が駆ける。感情が、記憶が、ひとつに溶け込もうとして――


「わたしは!」


 夜々子は叫び返した。

 炎が散って、夜々子からはがれた。

 見上げた夜々子の視線と、ニグトダルクの視線が、ぶつかった。


 夜々子は思い返す。家族の顔。

 自身が産まれたときのことを語る顔を。

 それから夕奈那を。夜々子が成長したと言ったときの顔。

 そして昼介。夜々子の、一番大事な。


「わたしは、愛されて生まれてきた」


 夜々子の、しっかりとした力強い目を、ニグトダルクは見下ろした。


「……愛されるものか」


 ニグトダルクの指が、夜々子に向けられて。


「その醜い肌で――」


 横から指を、つかまれた。


 ニグトダルクは、そちらを見た。

 少年。くせ毛で小柄の。そして今さっき殴り合ってきたかのようにあざだらけで。

 少年の手は、炎に焼かれながら、それもいとわず、指を握り潰しそうなほど力が込められて。


「言っていいことと悪いことがあるだろうがよ」


 少年の怒りの目が、ニグトダルクを見上げた。


「ふざけるな……! 夜々子に謝れよ……!」


「昼介くん!」


 夜々子はボロボロの昼介に寄り添った。

 昼介はニグトダルクから手を離して、そして夜々子の肩に手を回して、抱き寄せた。


「えっ、昼介くん!?」


 驚いてわたわたする夜々子に、昼介は一度視線をやって、そしてそのまま強く抱きしめた。

 夜々子が何も言えないままに、昼介はニグトダルクに顔を向けて、怒鳴った。


「夜々子に謝れ!! 謝れよ!!

 ふざけるなよ、こんなに傷つけて、ひでえこと言って!!

 愛されないだぁ!? んなわけあるか!!」


 夜々子をぎゅうっと、抱きしめて。


「おれが夜々子を愛してる!!

 おれは、夜々子が好きだ!!」


 夜々子は、はっとして、昼介の顔を見た。

 昼介はただ、抱きしめる手を強くして、ニグトダルクに言い続けた。


「だいたいな! 夜々子はかわいいだろーが! めちゃくちゃかわいいだろーが!

 まず顔がかわいい! 目のタレた感じとか守りたくなる感じだし、すぐ照れて赤くなるのがかわいい!

 肌の触ってざらっとした感じとかずっとぎゅっとしてたくなるし、体の細さもクセになるし、それからそれから」


「ちょ、ちょちょちょ昼介くんストップストップ! ただのフェチ語りになってるから!

 そんなに言われたら、わたし恥ずかしくて、死んじゃうから!」


 赤くなって夜々子はポカポカ昼介を叩き、そんな中学生二人を、魔王ニグトダルクは黙って見ていた。

 何か言おうと口を開きかけて、そこで背景が薄れた。

 夢が、覚めていった。




   ◆




 朝。中学校、校門前。


「おはよう、夜々子」


「うん、おはよう、昼介くん」


 あいさつして、少しぎこちなく、下駄箱で靴をはき替えて。

 教室へと、ゆっくり歩いていく。


「あー……大丈夫だったか? ケガとか……」


「うん……起きた後も焼けた感触とかはちょっとある気はしたけど、体は別になんともないみたい」


「そっか。おれもそうだったし、夢のケガはこっちじゃたいして影響ないんだな」


 歩いていく。

 歩きながら、夜々子は口を開いた。


「あの……ありがとう。助けてくれて。

 それに、昼介くんの気持ちを聞けて……うれしかったよ」


 一瞬、立ち止まって。

 また歩き出して、昼介はうつむいて、言った。


「本当は、あんな形で、言いたくなかった。もっとちゃんとした、いい思い出にしたかったのに」


「そんな、でも、わたし、あの、いい思い出だよ?

 昼介くんが助けてくれて、わたしのいいところを、あの、うぅ、恥ずかしかったけど、言ってくれて」


「そっか」


 教室の扉。

 その前で、立ち止まって。


「でもおれは、やっぱり、満足してないからさ」


 扉を開ける。

 そして夜々子の背中を、そっと押した。


 紙吹雪。それから、破裂音。


 何が起きたのか分からず、夜々子は目を白黒させた。

 正面、クラスメート。折り紙をちぎった紙吹雪を髪につけて、新聞紙を折った紙鉄砲を持って、きゃいきゃいと下がっていった。

 別のクラスメートが、折り紙で作った花束を持ってきて、昼介にパスした。

 昼介は受け取って、夜々子の前に出て、手を取った。


「どうしたって、想いを伝えた記念日が今日なのは、変えられないから。

 だから逆に、今日をいい日にしちまえばいいって思って、朝イチで連絡して、協力してもらった。

 ここまで大人数になるとは、思ってなかったけどな」


 手を引いて、進む。

 夜々子はわけも分からず、引かれながらきょろきょろと見回した。

 クラスメートたち。何人もいる。普段から早く登校する子も、いつもはもっと遅い時間にしかいない子も。

 昼介と夜々子の動向をちょくちょく聞いてくる友人も。普段は特に気にしてないふうだった友人も。

 男子も女子も、折り紙で作った飾りつけを持って、わくわく顔や真剣な顔や、それぞれの顔で見守っている。

 よくよく見たら夕奈那たち、パズル部の面々もいる。

 他のクラスの友達まで。


「え? え?」


 理解が追いつかない。

 引かれるまま、教壇に上がった。

 黒板にはハートマークや相合傘。昼介と夜々子の名前が書かれて。

 その前で昼介は、手はつないだまま振り向いて、夜々子と向き合って。


「え、え、え」


 だんだん、理解してきた。

 つまり、昼介は、ここで。

 ここで?

 今、ここで、改めて?


「ま、まっ、待って、え、ちょっと、え、ウソでしょ、え?」


 赤面する。心臓がバクバクする。

 クラスメートたちは教室の奥に下がって、見守る。見られている。

 昼介が、不安そうな顔を見せた。


「ごめん、やっぱ、勝手だったか?」


「や、ダ、メじゃない、けど」


 つないでいない方の手で、口を押さえる。

 体がふるえる。涙が出てくる。

 でも、それは。


「あのね。イヤじゃない。イヤじゃないの。

 だって、これ、こんな」


 折り紙の飾り。昼介の持つ花束。

 きれいなものも、うまく折れていないものもある。

 それはつまり、いろいろな人が、器用な人も不器用な人も、折ってくれたということで。


「こんな、こんなに、応援されてるの?

 昼介くんが? わたしたちが、わた、わたしたちの、関係が?」


 昼介は、夜々子のそんな顔を見つめて、微笑んだ。


「どうも、おれたちの関係ってこんなに、祝福されてたらしいぜ」


 しばらく、見つめ合う。

 不意に、つないだ昼介の手に、ぴくりと力が入って。

 それを合図にするように、夜々子の背筋がしゃんと伸びた。

 昼介はひとつ、息を吸って、そして吐いた。

 緊張している。昼介だって。

 そんな、からからで白くなったくちびるで。

 昼介は夜々子を見つめて、真剣に、言葉をつむぎ出した。


「黒井夜々子さん。好きです。

 おれと、付き合ってください」


 そして花束を差し出して、頭を下げた。


 見守る全員が、息を呑むのが伝わってきた。

 夜々子は花束の正面で、ただ口を押さえて、泣いていた。

 涙がぼろぼろと流れて、それをしぼり出すみたいに顔はくしゃくしゃで、真っ赤になって。

 それでも口元から手を外して、伝わるか伝わらないか分からないようなぐちゃぐちゃの笑顔で、昼介に向き合った。


「ありがとう。わたしも、同じ気持ちです。

 わたしからも、よろしくお願いします」


 花束を、受け取った。


 見守る友人たちが、どっと歓声にわいた。

 男子も女子も、クラスも学年も関係なく、喜び合って。

 はやす声の中で、顔を上げた昼介も、泣いていた。

 鼻を赤くして、ぽろぽろ涙をこぼして、それでも顔は、笑っていて。


 やがて先生が来て、しかられて、みんなで急いで片づけた。

 それもまた、いい思い出になる。

 今日は終業式。

 そして、昼介と夜々子が、恋人になった日。

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