第15話 好きな気持ちがあふれ出しそう

 ぼーっと、昼介はあぐらをかいていた。

 今日も思い出すのは、くちびるに触れたあの感触。

 魅了の魔法。という名の、ただのキス。


「そりゃ、魅了されるって……魔法とか関係なく……」


 顔が熱を持つ。

 いつからだろう。夜々子を好きと感じたのは。

 明確に意識したのは、デートに誘ったあの日だった気がする。

 でもその前まで普通の友達のつもりだったかというと、そうでもない気がする。

 きっと、はっきりとした区切りはなく、グラデーションのように気持ちが深まって、でも多分最初から、そんな気がしていたのだと思う。

 夜から朝のようなはっきりとした変化ではなく、朝から昼になるような。


「……おれは、夜々子が好きだ」


 はっきりと、口にする。

 口にして、意識して、体は熱くなって、そして心はぽかぽかする。

 その感覚は、心地よかった。


 昼介は穏やかに笑い、そして顔を上げた。

 強い目で。


「だから、邪魔してくれるなよ、サンハイト」


 真っ暗な闇。地面も空もあるようでないような、夢の中。

 昼介の正面、光の粒子を体から振りまいて、勇者サンハイトは立っていた。


「ふざけるな」


 サンハイトは、憎々しげな目を返した。


「なんのために、転生までしたと思っている。

 俺の使命は、いったいどうなる」


「知らねーよ」


 昼介は不敵に吐き捨てた。


「これはおれの人生だ。てめーに勝手させてたまるか。

 勝手に生まれ変わって、おれの人生にちょっかいかけてんじゃねーよ」


「ふざけるな!」


 サンハイトは吠えて、そしてその目は、絶望的にゆがんだ。


「じゃあ、俺は勇者の呪われた使命から、いつ解放されるというのだ……!」


 昼介は、その顔を見て、何か言おうとした。

 それより先に意識が覚醒して、夢は終わった。





 自室で目覚めたことを、昼介は確認した。

 スマホが震えている。

 昼介は手に取り、電話に出た。


『昼介くん? あの、大丈夫だった?

 勇者の魔力を感じて、あの……でもわたし、ごめん、もうちょっとで、夢をつなげそうだったんだけど、昼介くんみたいに、うまくそっちに行けなくて』


「いいよ、大丈夫」


 身を起こしながら、昼介は夜々子に答えた。


「ニグトダルクみたいに、襲ってきたりはしなかった。今のところはな。

 それにあいつは魔王を倒したがってるから、夜々子がこっちに来ると、夜々子に攻撃するかもしれない」


 押し黙った電話口に、昼介はあえて軽い口調で言った。


「おれのことより、夜々子は自分の心配しとけよ。マジで大丈夫なのか?」


『あ、うん、わたしはあれ以来、ニグトダルクは来てないから……』


「そっちじゃなくて」


 改めて意識すると、恥ずかしい。

 昼介はもじゃもじゃ頭をかきながら、言った。


「今日、デート。プールだろ。マジで行けるのか?」


 しばらく、返事はなくて。

 それから、しどろもどろな声が返ってきた。


『あ、あの、昼介くんに、全部さらけ出す覚悟はできてるので、大丈夫れしゅ!』


「言い方ァ!!」


 昼介が叫び、二段ベッドの下から、弟が声をかけた。


「朝から彼女とラブいね、兄ちゃん」


「まだ付き合ってねーよ!!」


 カーテンを透かして、日が差し込んでいる。

 七月の最初の日曜日。雲はまだ多いが、今日は一日、晴れる予定だ。




   ◆




 電車に乗ってしばらく揺られて、県内最大規模のプール。

 ウォータースライダーや流れるプールもあり、飲食物の売店も完備。遊園地や公園も併設されている。

 その入り口を、赤信号、横断歩道の向こうに見すえて、それなりの人混みの中。


「……マジで夜々子、大丈夫か?」


「だい、じょうぶ、です」


 大丈夫ではなさそうだが。

 

「ホント無理しない方がいいぞ?

 今だってこんな暑いのに長そで羽織ってるのに」


「あ、これ、日焼けしたくないだけ……痛くなるから。

 日焼け止めはあるから、プールでは、あの、ちゃんと脱ぎ、ます」


「や、マジで無理すんなよ?」


 夜々子はガチガチに緊張している。

 昼介は何か気の利いたことを言おうとして、それより先に、夜々子が口を開いた。


「わたし、プールって嫌いじゃないんだけど、やっぱり今までは気が重くも感じてて。

 肌のこともあるし、あんまりスタイルだってよくないし、自分から行こうってあんまり言わなくて」


 そして夜々子の目は、強く、昼介に向いた。


「でも昼介くんとだから、行きたい。すごく楽しみにしてた。

 昼介くんだけだよ。こんな気持ちになるの。

 昼介くんと、いっぱいいろんな、新しい思い出を、作っていきたい」


 そこで夜々子は、恥ずかしそうにうつむいた。


「あの、そう、思います」


 昼介は、ぽうっと夜々子の顔を見つめた。


「そういうこと、言われるとさ……」


 信号が、青になった。

 その瞬間に、昼介は夜々子の手をつかんだ。

 夜々子がびっくりする間もなく、昼介は夜々子の手を引いて、人混みの中を真っ先に飛び出して、走り出した。


「おれだって! めちゃくちゃ楽しみにしてたよ!

 夜々子の水着を見たいって思ったよ! 悪いか!

 夜々子と一緒に遊ぶの、夜中にそわそわしちゃうくらい心待ちにしてたよ!

 他の誰と遊ぶよりヨーヨーやってるときより! 夜々子と一緒にいたいって思うよ!」


 気持ちがあふれそうになる。

 好きだ。その言葉を言うのは今じゃない。

 こらえきれずに出そうになる言葉を飲み込んで、昼介は代わりに、空を見上げて叫んだ。


「おれは!! 今!! 幸せだー!!」


 夜々子は手を引かれながら、照れくさいやら何やらで、顔を赤くして目を白黒させた。

 息が上がって声が出なくて、やっとの思いで言葉を返した。


「そういうの! 今日が終わってから! 言うものだと思う!」


「じゃあ! 最後にも! 言う!

 なんなら途中にも! 言う!」


「そんな! 何度も! 言われたら! うれしすぎて! 死んじゃうから!」


「じゃあ! 最後だけ! めちゃくちゃデカイ声で! 言う!」


「今でも大きすぎるんだけどー!!」


 心臓がドキドキする。

 周りの目なんて気にしていられない。

 空は晴れて、梅雨の最中だなんて忘れたみたいに、二人を強く照らした。

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