第二章 今世の恋と前世の呪い

第11話 あなたとの距離感は

 夢を見た。

 真っ暗闇の中、ぽつんと一人で。


(あれ……? これ、なんの夢だ?)


 昼介は、きょろきょろと辺りを見回した。

 どこもかしこも真っ暗闇。足元に地面があるのかも、よく分からない。

 その中で一方向、光の粒子が見えた。

 そして、声も。


「……、……せ……」


 遠くはっきりとしない声が、光の粒子が、それを振りまく輪郭が、だんだんと近づいてくる。

 そして、その姿がくっきりとして。


「殺せ!! 魔王ニグトダルクを、殺せぇ!!」


 憎しみの圧力に、昼介はたじろいだ。

 牙をむくように表情をゆがめたその姿は、まぎれもなく、勇者サンハイトだった。




   ◆




 目を覚まし、体を起こして、昼介は荒い息を吐いた。

 カーテンの向こうは薄明るいが、裏腹に昼介の背中は、冷や汗に濡れていた。


「なんだ、今の……?」


 とまどう昼介に、二段ベッドの下から声がかかった。


「兄ちゃん、どうしたの?」


「あ、いや」


「夜中にもなんか光ったけど、何やってたん?」


「え?」


 寝耳に水のことを言われて、昼介は混乱しながら、とっさに言った。


「あ、いや、スマホだよ。寝ぼけて触ってたみたいだ」


「ふーん? それにしちゃ明るかったけど、まあいいや」


 弟は興味を失って、リビングに向かった。

 一人残された昼介は、自分の手のひらを見つめた。

 わずかに感じる、魔力の残り香。


「まさか、無意識に聖剣ホーリーソードを使ってたのか? 寝ぼけて?」


 ぞっとする予感が、背中を駆け抜けた。


「それとも……勇者サンハイトの意識に、乗っ取られかけてた?」


 見つめる手のひらから、光の粒子がひとつ、こぼれた気がした。


 窓の外から、ゆるやかな雨の音が聞こえる。

 季節は過ぎて、六月。




   ◆




 学校。始業前。

 ほんのりと湿り気を感じる、靴箱の前にて。


「おはよう、昼介くん」


「おう、おはよう」


 夏服になった昼介と、夏服の上にカーディガンを羽織っている夜々子。

 いつも通り、顔を合わせて、あいさつをして。


「……? 昼介くん、何かあった?」


「あー……分かる?」


 廊下を歩きながら、昼介は言いづらそうな顔をした。


「んー、や、言わずに済むならその方がいいかなって思ったんだけど。

 でもまあ、そうだな、万一があるかもだし、言っといた方がいいか」


 首をかしげる夜々子に、昼介は廊下のすみっこで立ち止まって、目をそらしながら、あくまで軽い感じをよそおって告げた。


「夕べ、夢に勇者サンハイトが出てきてさ、魔王を殺せって言ってて。

 それで……あー、もしかすると、体を乗っ取られかけてたかもしれない」


 夜々子が息を呑むのを見て、昼介はあわてて付け足した。


「や、分かんないけどな? 単に夢見て寝ぼけてただけかもしれないし。

 でもまあ、用心するに越したことないし、サンハイトに乗っ取られたときの対策もしとこうとは思うよ」


「対策って、何か方法があるの?」


「んー」


 ちょっと考えるそぶりをして、昼介は言った。


「夜々子、服従サブジュゲーションの魔法が使えるだろ。あれでなんとかならないかな?」


「使えるけど、でもあれ、あんまり効かないよ?」


「まあ、結局、練習だよな。

 やることは変わんないよ、転移阻害アンチワープで魔物が来るのを防ぐのと平行して、他の魔法も使いこなすだけだ。

 最悪、夜々子がおれより強くなって、ぶん殴って止めれば済む話だしな」


 夜々子が不安そうな顔をするのを、昼介は見た。


「わたし、昼介くんと、戦わなきゃいけなくなる……?」


「や……」


 昼介はあたふたと言った。


「最悪のときな! 最悪!

 てか、おれが夜々子を襲うようなことがあったら、そうなる前におれが自分で死ぬよ!」


 言って、夜々子の顔が悲しそうにゆがむのを見て、間違えたと昼介は思った。


「昼介くんは、逆に、わたしが魔王になりかけて、それでわたしが自分で死んだら、それでいいと思う?」


「あ……」


 昼介は言葉に詰まって、それから神妙な顔をした。


「そうだな。ごめん。

 なんにもできずに勝手に死なれたら、悲しいよな。

 二人で一緒に生きてく方法を、ちゃんと考えよう」


 言って、夜々子の顔を見て。

 夜々子はなんだか赤くなって、もじもじした。


「あの……その言い方、プロポーズ、されてるみたいで、あの」


 昼介はしばらくぽかんとして、それから一拍遅れて理解して、わたわたした。


「あ、いや、そういう意図はなくてな!?

 まだそんな、けっけっ結婚とか、そういうのまだ考えたりとかしてなくて!?」


「『まだ』って言った!! 昼介くんがまだって言った!!

 そのうち考えるつもりなんだ!!」


「ちっげーよ!? いや違くもないけど!?

 そういうときが来たら考えるけど、今はそういう話はしてなくてな!?」


「そういうとき、そういう……あぅあぅあぅ」


「落ち着こう!? 一旦落ち着こう夜々子、な!?」


 夜々子はへたり込んで、両手で顔を隠して、真っ赤になって、頭から湯気を出した。


「むり……死んじゃう……

 魔王とか勇者とか関係なく、ドキドキしすぎて死んじゃう……」


「おれか? おれが悪いのか?」


 ぐっだぐたになって、結局ホームルームの時間が迫ってきて、これ以上話し合っている時間はなくなった。

 また改めて、ゆっくり相談するということで。


 気を取り直して教室の方へ向き直りながら、昼介はふふっと笑った。


「でもさ、ちょっと安心した。

 おれが死んで夜々子が悲しむのと、夜々子が死んでおれが悲しむの、おんなじふうに思ってくれてるんだって。

 前の戦いでもその前のときでもさ、夜々子って自分を大事にしないトコあったから。自分は死んだりしたらいけないんだって、ちゃんと思ってるならよかった。

 そんで、おれのことも大事に思ってくれてるんだって思ったら、うん、うれしいな」


「あ……」


 昼介の言葉に、夜々子は開いた口から、うまく言葉をつむげなかった。

 考えて、まとまらなくて、結局こぼれた言葉は。


「ぜんぶ、昼介くんのせいだよ」


「ええ?」


 苦笑のような困惑のような顔を昼介は向けて、それから言葉を続ける時間はなくて、教室へと歩き出した。

 二人で並んで、歩く。

 夜々子は昼介を横目で見た。

 昼介は夏服で、つまり半そでで、なくなった布の厚みの分だけ、春より距離が近いような気がした。


 心臓がドキドキする。

 夜々子は今、カーディガンを着ている。

 暑さを感じて、夜々子はカーディガンのそでを、少しだけまくった。


 夜々子の荒れた素肌に、空気が触れる。

 また距離が近づいた気がしたのは、きっと気のせいだ。

 そういうことにする。

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