第5話 名前で呼びたい
「くろ――」
昼介の眼前。
夜々子、倒れ込む。触手はゆらりとその体からはがれて。
「黒井さんーッ!!」
昼介は走り込み、光の剣を振って触手を追い払った。
そして夜々子を抱きかかえた。
「おいウソだろ、黒井さん!? おい!! 大丈夫か!?」
「か……」
夜々子の口から、吐息が漏れ。
「……か、かゆい! かゆいかゆいかゆい!
白木くんこれっ、ものすごく、かゆいよぉ!」
「へっ?」
夜々子は体中をかきむしり、涙目を昼介に向けた。
「えぇ〜ん白木くん、ものすごくかゆいよぉ〜。
肌荒れの一番ひどいときくらいかゆいぃ〜」
「お、おう……大変だな」
どうやら毒も弱くなっているらしい。
「いや、でも、ハチも二回刺されたらヤバいって言うし!
黒井さんは下がってて! おれが戦うから!」
「ありがとうぅ……すみっこで薬塗ってるね……」
服従の魔法が解けたイルフルフライが、昼介に襲いかかってきた。
「うおおおーッきやがれーッ!!」
昼介は触手を切り払い、本体を仕留めるべく光の剣(鉛筆サイズ)を打ち振った。
「いやできるわけねーだろこんなん! こんな短い剣で虫を切るとか!
こんなんできたら達人技だろちくしょーめ!!」
怒りながらぶんぶん剣を振り回し。
魔物は昼介をおちょくるようにぶんぶん飛び回り。
「やべっ後ろを取られた……」
昼介の背後に回った魔物は。
「あ」
するり。
学生服の隙間に。
「う……うわうわうわ〜!? 服の中に入られたー!?」
「えぇー!?」
わたわた、わたわた、慌てる昼介に対し。
ぶす、ぶすぶすぶすぶす。
「ぎゃあああいっぱい刺された〜!?」
「し、白木くんー!?」
背中をめっちゃチクチク刺され、昼介はのたうち回ってごろごろ地面を転がり。
「あ」
ぷちっ。
そんな音がして、学生服のえり元から、どろんと煙が流れ出た。
「今ので……死んだっぽい。イルフルフライ。
転がってるうちに体につぶされて」
「えぇ……」
昼介は体を起こし、そして。
「……いや、かゆッ!? マジでかゆッ!?
いやこれマジでかゆいわ戦えねーわのたうち回るしかできねーわ!? かゆいかゆいかゆい!?」
ぼりぼり体をかきむしり。
「あわわわ、白木くん、かゆみ止め持ってるけど、よかったら使う?」
「使う! 使う使う超使う!」ぬぎー
「はぅわ!?」
昼介は上半身の服を脱ぎ捨てた。
「ちょ、黒井さん塗って! 背中塗って!
自分で塗れないから背中塗って!」
「あわ、あわわわわわわ」
目をぐるぐるとさせながら、言われるがまま、夜々子は昼介の背中に薬を塗った。
(あぅ……白木くんの背中……)
夜々子には兄がいる。父もいる。
全員そろって肌が弱く、薬を塗ってあげたこともあった。
ただ、それと比べて、昼介の肌は。
同年代で、つまり若くて、男の子で、なんというかこう、健康的で、すべすべしてて。
(あわわわわ……!)
つまり、夜々子はめっちゃテンパった。
そして、薬も塗り終わり。
「ふぃー、なんとかかゆみが治まった気がするよ。
サンキューな黒井さん」
「ううん、こちらこそ、ごちそうさま……じゃなくてっ、えっと、どういたしましてで助けてくれてありがとうで」わたわた
昼介は服を着て、それからジトっとした目を夜々子に向けた。
夜々子は一歩後ずさりした。
昼介は、そんな夜々子に詰め寄り。
「おーまーえーなー!」
「いひゃいいひゃいいひゃい!?」
昼介は夜々子のほっぺをみょいーんと伸ばした。
「勝手に離れて危険な目に遭ってんじゃねーよ!!
今回なんとかなったからよかったけど、ヘタしたら死んだり大ケガしたりしたかもしれねーんだぞ!?
マジでおれめっちゃ心配したし寿命が縮むかと思ったんだからなー!!」
「ごめんなひゃい〜!」
さんざん引っ張って、それから昼介は手を離した。
夜々子はほっぺをさすって、そしてふと何かに気づいて、昼介の手を見て、顔をこわばらせた。
「ご、ごめん、手、汚しちゃった」
「は?」
なんのことか分からず、昼介は自分の手を見た。
血がついていた。夜々子の。
「わたし、肌弱いから、だからほっぺ、すぐ血が出て、引っぱられたとき、汚しちゃって、ごめん、あの、ごめん……」
「いや、おまえ……」
夜々子は謝りながら、ハンカチで手を拭こうとしてくる。
昼介はイライラした顔をして、ハンカチを振り払って、夜々子のほっぺを両手で両側からはさみ込んだ。
「むぎゅぅ!?」
「自分がケガして謝ってんじゃねーよ! おまえマジで自分を大事にしろよ本気で怒るぞ!?
次またそういうウジウジしたこと言ったら罰としてスカートめくるぞバカヤロー!!」
「むぎゅぎゅぎゅぎゅー!?」
ほっぺをぐにぐにつぶされて、夜々子はアヒル口になった。
さんざんもみほぐしてから、昼介はばつが悪そうに手を離した。
「や、ていうかおれの方がごめん。血が出るようなつねり方したおれが悪いよな」
「あ、あの」
不意に声をかけられて、昼介は夜々子の顔を見た。
夜々子は、顔を赤らめて、左右の手はそれぞれスカートと口元できゅっと握られて、そして目は、驚いたようなドキドキしたような様子で、昼介に向けられていた。
「白木くん、わたしのスカートめくったら、楽しいの……?」
「……は?」
昼介は、面食らったような顔をした。
それから、だいぶ時間をかけて、慌て出した。
「や、いや、そういうことじゃねーよ!?
ただイヤがることしたら罰になるかと思っただけで、おれがめくりたいとかじゃ決してなくてな!?」
「白木くんは、わたしのこと、女として見てない……?」
「な……」
畳みかけてきた夜々子は、言ってからうつむいて赤面した。
昼介は硬直してその顔を見て、空を見上げながらうめいて、それから視線を横に逃がして、言った。
「や……女として見てるか見てないかで言ったら……見てるけど……」
夜々子は、輪をかけて赤面した。
昼介も赤面しながら、ごまかすように声を張った。
「って、何言わせてんだよアホか!!
そんな変な話してないで、もう帰るぞ!! 帰る!!」
「あ、あの!」
帰ろうとした昼介のすそを、夜々子はつかんだ。
夜々子は、ドキドキしていた。
あるいはそれは、非日常的で、それまで体験しなかったようなことが続いたからかもしれないけれど。
それでも夜々子は、これまでにないくらいの衝動で、けげんそうな昼介の表情もいとわず、言葉を吐き出した。
「わたし、名前で呼びたい。
白木くんじゃなくて、昼介くんって、そうやって呼びたい!」
言ってから、夜々子はうつむいて、赤面した。
「あ、あの……ゆななんが呼んだみたいに……
ダ、ダメ……かな……?」
「や……」
昼介は、反射的に口を開いて。
それから、視線をさまよわせて、しぶしぶといったふうに、言葉を続けた。
「いいけど……名前呼びくらい、別に」
夜々子は顔を上げて、ぱあっと輝かせた。
「あ、ありがとう! あの、昼介くん!
……えと。よろしく、お願いします」
「お、おう? こちらこそ?」
夜々子につられて、頭を下げて。
それから昼介は、はたと気づいた。
「……ん? もしかして、おれも黒井さんじゃなくて、名前呼びした方がいい?」
「……はぅ」
夜々子はうつむいて、もじもじした。
「あ、あの……そうしてくれたら、うれしい……」
「お、おぅ……じゃあ、夜々子……さん?」
「…………」
「……夜々子?」
「……あぅ」
夜々子はますますうつむいて、赤面した。
でもその表情は、昼介からは見えないけれど、うれしそうだった。
昼介はわしわしと頭をかいて、それからうがーっと声を漏らした。
「あーもー、なんだよなんだよこの空気さあ!
もうホントに帰るぞ! お開き! ハイお開き!」
昼介はそう言って、すたすたと歩き出し。
それから立ち止まって、振り返って、ぶすっとした顔で、夜々子に言った。
「ほら、夜々子も帰るぞ。
……一人だけ先に行ってて、おまえを置いていくのは、もう、イヤだからな」
夜々子は、そんな昼介の顔を、つい真正面から見てしまった。
心臓がドキドキする。
それは非日常が続いたせいだ。
きっと、そういうことなんだ。
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