Case2.悪魔に捧げる賛美の歌

2-1【窓闇に揺らめく絶望】


 丹村道隆にむらみちたかは窓の外に音もなく降り積もる雪を眺めていた。


 家から漏れるオレンジ色の明かりは深い闇に呑み込まれ、雑木林の奥は何も見えない黒一色に染まっている。


 ……恐らく外は氷点下だろう……


 そんなことをぼう……と考えていると、硝子に映り込む自分の顔が奇妙な動きをした。

 

 こちらを見て酷い憎悪の表情を浮かべている。

 

 噛み締めた下唇にずぶずぶと前歯が食い込んでいく。

 

 ぶりゅ……と嫌な感触がして、前歯は唇を貫通した。

 

 赤い血が唾液と混ざり、糸を引きながら滴り落ちる。

 

 痛みに目から涙を流しながらも、窓に映る自分は憎悪を微塵も薄れさせること無くこちらを睨み続けていた。

 

 ……やめろ……

 

 丹村は心の中で言った。

 

 ……もうやめろ……

 

 しかし窓の自分はぐちぐちと下唇を咀嚼する。

 

 痛みに顔を歪め、涙と鼻水、涎と赤い血をぶち撒けながら、ぐちぐち、ぐちぐちと唇を咀嚼する。

 

 固唾を飲んで見ていると、窓の自分は怒りを滲ませた笑みを浮かべ大きく口を開いて、舌に乗せた唇の断片を見せびらかした。

 

 

「僕はお前だ。どう足掻いても僕らは離れることなんて出来ない」

 

「うるさい……!! 黙れ……!! お前なんか知らない……!!」

 

「あの日から僕らはずっと一緒だった。今更逃げることなんて許さないぞ……」


「俺は何もやってない……!! 何も知らない……!!」


「そうやって似合いもしない一人称を使っても、僕を何処かにやることなんて出来ないぞ……」

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」


 


 窓に映る自分はしばらく黙った後、指を差して呟いた。


「じゃあそれは何だって言うんだ?」

 


 暖炉の上の鏡を振り向き、丹村は叫び声を上げた。

 

 下唇から大量の血が流れている。

 

 口の中にぶにゅりとした異物の感触を覚えて、酷い吐き気に見舞われる。


「うっ……げほぉぉっ……!!」 


 慌てて吐き出した血の固まりの中には千切れた唇の断片が浮かんでいた。

 

「僕らは離れられない」

 

 ……やめろ……

 

「ずっと一緒だ……」

 

 ……やめてくれ……

 

「僕は君」

 

 ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……

 

「君はぼぉぉぉぉぉくぅぅぅぅぅぅ……」

 

 


「わああああああああああああああああ……!!」

 

 目が覚め丹村はソファから飛び起きた。

 

 ステンレス製の作業台に向かう父が、カチャカチャと音を立てながら手元を見つめたまま口を開く。

 

「うなされてた」

 

 まだバクバクと音を立てる心臓を撫でつけながら丹村は頷いた。

 

「また悪夢か……?」

 

 抑揚の無い父の声が響く。


「うん……」

 

「顔を洗ってきなさい。その後食事だ……」

 

「うん……」

 


 そう言って振り返った父の眼鏡には赤い血飛沫がこびり付いていた。

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