1-1【白の墓石】


 白の墓石。


 新たに据えられた日本の中枢にほど近い場所に建てられたこの建物は、法王庁が管理する極東正教会の総本山だった。


 総本山と言ってもそれは日本と東南アジアに限ってのことで、そのさらに大元には国境をも飛び越える強大な権力を有したバチカン聖教会がある。



 天に向かって聳え立つ真っ白な建物には、窓が一つもない。


 神聖というにはあまりにも殺伐とした、ある種異様とも捉えられかねない姿から、人々には白の墓石と呼ばれている。


 設計者の意図には諸説あるが、かつて世界を崩壊させたアポカリプス戦争の被害者達への追悼の意が込められているというのが定説だった。

 


 他にもここに仕える者達への皮肉を込めているのだとか、地下には秘密のシェルターがあり、超常を利用するための秘密の研究がなされているのだか、噂は枚挙にいとまがない。


 そのどれもが噂話に尾鰭おひれどころからエラまで付いた眉唾物だったが、たしかにこの建物には特殊な者達が集っている。



 極東聖教会に所属する祓魔師エクソシストの面々である。




 西暦二〇二四年、人類は量子力学の領域に起こったシンギュラリティにより他次元観測装置を完成させた。


 これによって次元の向こう側に存在する様々な未知の技術を習得し、人類文明は飛躍的な進歩を遂げることとなった。


 国連はドアスコープによってもたらされる知識が、世界を取り巻く様々な問題解決の鍵になり得ると声高に宣言し、各国は競うように他次元観測に乗り出したのだ。



 しかしそれによって人類が支払った代償はあまりに大きかった。



 西暦二〇三〇年、人類はとうとうパンドラの匣を開くこととなる。


 繰り返される他次元観測により極大化したドアスコープの綻びから、次元の向こう側に封印されていた堕天使たちが大群を率いて押し寄せてきたのだ。


 堕天使が率いる伝説級の悪魔や怪物たちは、容赦なく人類文明を蹂躙し、破壊した。


 黙示録にえがかれた大艱難時代とも呼ばれる地獄の七年間、の幕開けである。


 人口は三分の一にまで減少し、主要な都市はことごとく破壊され尽くした。



 大国の軍事力をもってしても刃が立たない悪魔たちに人々は恐怖し慄いた。


 絶望が人々を覆い尽くすと、人々は自然と神に拠り所を求めるようになる。



 そのような絶望と人々の祈りが渦巻く中で、一人の男が立ち上がった。


 後のバチカン聖教会法王である。


 彼は十二使徒を任命し神の力を授けると、聖十字軍を結成し、今まで防戦一方だった戦況を覆し始めたのだ。


 こうして甚大な被害と犠牲を払いながらも、聖十字軍はなんとか伝説級の堕天使や悪魔たちを次元の亀裂の向こう側に封印し直すことに成功した。



 このことを機に、キリスト教会はその地位を大きく向上させ、各国にはバチカンの名の下に法王庁が設置されることとなった。


 その法王庁直属の組織がである。



 聖教会に所属する祓魔師達は、法王より神の権威を授かっており、一部国家の法をも超越する権限を有している。



 祓魔師達にとって、悪魔憑きを根絶やしにすることを神より賜った天上の使命とされていた……




 *




 白の墓石の各階には各々細分化された魔障対策室が設置されており、その十三階に魔障虐待対策室ロスト・チャイルドのフロアがあった。

 

 純白の墓石を貫き通す円筒状のエレベーターの中で、犬塚は見るからに不機嫌な顔を浮かべながら、背中を丸めポケットに手を突っ込んだまま点灯するボタンを睨んでいる。

 

「くそが……なんでこのエレベーターはこうもんだよ……!?」

 

「それは消費者庁が定めたエレベーター管理における条文第八条の……」

 

「……そういう意味じゃねえ……」

 

「怒ってるんですか? もしかしてお腹空いてます?」

 

 真白は自分の食べていたウエハースに視線を落とし、意を決したようにそっとそれを犬塚に差し出した。

 

「一口だけですよ……?」

 

「おい……本気で言ってんのか?」

 

「”汝、飢えたるものに施し給え”です」

 

 胸を張る真白を犬塚が珍獣を見るような目で見ているとと音がしてエレベーターは十三階に止まった。

 


 

「どうやら無事にバディになれたみたいだね?」


 エレベーターの前には四十代後半くらいのくたびれた男が立っていた。


 男の名は京極影久きょうごくかげひさ


 魔障虐待対策室ロスト・チャイルドの室長にあたる人物だった。



 無造作に伸びた髪と無精髭、やつれた頬がなんとも言えない哀愁を漂わせている。


 それでいて体躯はしっかりと鍛え込まれており、暗くて深い目にはどことなく危ない気配が感じられた。


 

「し、室長!? おはようございます!!」


 きちんと身なりを整えれば映画俳優のようなに化けるのに……



 そんなことを考えながら敬礼する真白を無視して犬塚は京極の胸ぐらを掴んだ。

 

「おい……よくもハメやがったな……!? 何が期待の新人だ……!!」

 

「これから上官になる後輩がいるって言えば、君は素直に従ったのかい? そんなことより仕事だよ。仕事!!」



 そう言って京極は犬塚の耳元で囁いた。


「君の欲しがってただ……」


 それを聞いた犬塚は胸ぐらを掴んでいた手をすっと解いた。


「ここで話す内容じゃない。執務室に行こうか……」


 そう言って京極は掴みどころの無い笑顔を浮かべると、そそくさと執務室の方へと歩いていった。

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