第2話 きらきらるんるん
はぁふ。ふは、ふは。
ぷりっとした牡蠣と白子。あんこうの切り身に、あん肝。豆腐に肉厚な椎茸、そして下仁田ねぎをたっぷり入れて、煮込んだ仕上げにどさっと雲丹を乗せた鍋。好きなだけ器にとって、ふうふう、はふはふ。
ワインクーラーには白ワイン。普段は使わない気取ったグラスに注ぐ。鍋が旨すぎて、拳を握りしめながら目をつぶる。一人で空に向かって、何度も乾杯。いい夜だ。
半切の海苔の上に、少しだけ用意した酢飯に鍋から雲丹をすくい、別皿に用意したいくらものせて齧り付く。プリン体礼賛。今年の締めくくりはこれにしようと、早いうちから決めていた。
食べて飲み、今年も紅白の勝敗は見逃した。いいのだ、勝敗は問題ではない。
さて、そろそろ寝ようか。
大分きこしめしたが、神さまの来訪が頭の片隅にあるからかどこか冴えている。
灯りを小さくして寝室に入ると、既に布団がこんもり膨らんでいるように見える。
神さまはもう布団の中にいるのだろうか。例年とは違うパターンだった。
布団の脇にしゃがんで、そっと掛け布団をまくってみる。
そこには立派な白鳥と、その羽根に守られるように、小さなかわいい子どもがくるまっていた。二人は寄り添ってまどろんでいたようだったが、不用意に布団を剥がれ、はっと目覚めて身を固くした。
小さな子のほうは、よく見ると、きらきら光っている。光るものの来訪という意味で、神さまと関連性はあるのだろうか。
「あの……、ここはわたしの寝床なのですが、どうやって入ってきたのでしょうか」
以前、不用意に話しかけて神さまを驚かせてしまったことがある。しばし逡巡したが、子どものほうへ話しかけてみた。白鳥の羽根の下に入るサイズ感ではあるものの、鳥よりは言葉は通じる可能性が高いだろう。
だが、小さな子は濡れたような黒目でこちらをじっと見返してくるだけだった。まつ毛が濃く長い。
白鳥は、目を閉じたままゆっくりと首をもたげると言った。
「お邪魔してしまい、すみません。わたしたちは長い旅の途中なのです」
白鳥はこちらへ湖のような思慮深い目を向けてくる。
驚きすぎると人間は固まる。だが神さまで多少の耐性はあった。子どものほうは、白鳥を見上げると、そのままその首に腕を巻きつけてこちらを見ている。
「はあ。わたしの方は構わないですが、いったいどういうわけでここへいらしたのですか」
白鳥の口調につられて、わたしは膝を整えて正座しなおした。
「わたしたち、ずいぶん長く飛んできました。日が昇る前にはお暇します。お差支えなければ、それまでここでお休みさせていただけますでしょうか」
「わかりました」
ここにいる理由はちっともわからなかったけれど、嫌な感じはしないしいいだろう。考えてもしかたない。
「わたしはこたつで寝ますので、お二人でここを使ってください。長い旅路のようですが、お腹は空いてらっしゃらないですか?」
鍋を温め返してやるくらいならできる。
「お心遣い、ありがとうございます。星の子もわたしも、お腹は空いていないので大丈夫です」
白鳥は、ゆったりとわたしに頭を下げた後、嘴で小さな子をつつく。星の子だから光るのか。星の子は、くすぐったそうにしている。白鳥しか見ておらず、わたしのことなどまるで眼中に無さそうだったが、不思議と腹は立たなかった。
では、と一礼し、襖を閉めた。こたつに入って目を閉じると、誰かが彼らが旅に出た経緯を語りかけてきた。
ー星の子は、あまのじゃくの気むずかし屋。
優しくすると「うるせえやい」と、啖呵を切るのです。
初めてそれを聞いたものは、びっくりして目を白黒。
けれど、星の子は愛されています。
なぜなら本当は心の優しい星なのを、皆が知っているからです。
たとえば、こんなことがありました。
切り株の横で、一匹のたぬきがむしゃくしゃと毛づくろい。せっかくの獲物を、他のたぬき仲間から嘲られてしまったのです。
いらいら、かりかり。
皆、タヌキを遠巻きに見ているだけで、誰一人近寄りません。なんせ、たぬきの怒りはごうごうと凄まじく、火傷しそうだったからです。
そんな時。
とことこと、たぬきの隣にやってきた星の子は、黙ったまま小枝で作った小さな車をたぬきに向かってびゅんと走らせました。
周りは、はっと息をのみましたが、走ってきた小さな車と黙ったままの星の子を交互に見て、たぬきはつい、くっくっと笑い出してしまったのでした。
それも無理はありません。星の子はとても美しい星でしたから。瞳は黒いぴかぴかのボタン。それを縁どるまつ毛は、柔らかなたんぽぽの産毛のよう。
いつもうっすら、きらきらるんるんと輝いているのでした。
たとえば、こんなことがありました。
森の皆で、秋の集会をしている最中。
山桃酒をすすめられ、星の子はごくごくと飲み干して、真っ赤になりました。
ぽっぽと頬を赤らめた姿に、狐やイタチのマダム達は蕩けるような笑顔を浮かべました。星の子が「うるせえやい」と、すたすた帰ってしまうと、その場の皆が残念がったものでした。
たとえば、こんなことがありました。
すやすやと木陰できのこを枕にして眠るその姿は儚くて、普段の星の子の威勢の良さはみじんも感じられません。
星の子に優しくせずにはいられないのでした。さくらの花びら貯金を、両手いっぱいに差し出すお金持ちもいました。
しかし、星の子は「うるせえやい」と、空の上に飛んで行ってしまいます。
星の子はその胸のうちを、誰にも見せるのが嫌なのでした。
ある時、きらきらるんるんと輝きながら空を飛んでいた星の子は、雲の上で一羽の白鳥と出会いました。
「こんにちは、はじめまして」
白鳥は、すんなり伸びた長い首をもたげて優雅に挨拶をしました。白鳥が目をふせると、長いまつ毛がなびきます。
「うるせいやい」と、いつもの啖呵を切ろうとした星の子は、言葉を飲み込むと押し黙りました。そうして「はじめまして」と挨拶した星の子を見たら、きっと森の皆は仰天したでしょう。
白鳥はにっこり笑い、星の子も微笑みを返しました。
空で出会った二人は、そのまま黙って飛びつづけ、しまいに星の子のひみつの寝床に帰りました。
次の日も、次の日も。
星の子と白鳥は一緒に眠りました。
全く異なる二人は、それからいつも一緒にいる様になりました。
白鳥は高貴な姿を畏怖され、遠巻きに見られていていつも一人です。鳥の会合でも随分と上席に座り、誰もが白鳥と話すと光栄そうに顔を輝かせるものの、やがて一人になってしまいます。
世界のあちこちを飛びまわっているから博識で、ずいぶん面白い冗談の種も持ちあわせているのですが、あまりそれを巻く機会もないのです。
いつも一人で湖に浮かび、いつも一人で空を飛んでいたのでした。それでも白鳥は、皆が大好きで、集まりがあれば楽しそうにその席に参加します。
湖のそばで、夕日が沈んでいくのをじっと静かに眺めている二人を見て
「まったくもって、似合わない」
「いやいや。あれで存外、お似合いな気もする」
「いったい二人でいるときは、どんな話をしているんだろうね」
森の仲間達は、ああこうと話し合うのですが、いくら何度論じても答えなど出なかったのです。
二人が、ひかれあった理由。
それは誰といても孤独で、誰に愛されていても、ひとりぼっちなところでした。しかし生きていることを楽しんでいて、ひとりぼっちを、悪いと思っていない二人でした。
二人はまた、この世に抗えない大きな悲しみがあることも知っていました。誰に胸のうちを見せずとも平気でしたが、それでいて心に自然に入ってくる誰かを求めてもいたのです。
白鳥は優雅に 。
星の子は威勢よく啖呵を切って。
まったく別のようで、その魂はとてもよく似ていて強くひかれ合ったのでした。
二人で眠る夜。
白鳥はその羽の下に星の子を抱き寄せて、そっとくちばしで星の子の頬をなぞります。星の子はうっとりとそのくちばしを受け止めて、また深く眠ります。
太陽が輝く、美しい朝。
先に目覚めるのは、きっと星の子でした。
むう、と起きあがり、ぼんやりした後には泉のほとりまで行ってツヤツヤした朝つゆを葉っぱのお匙ですくってきます。後から起きた白鳥は、微笑みながらお匙の水で喉を潤します。
ひとしきりして、すっかり目がさめたら二人で高く空に飛び立っていくのでした。
連れだって飛び立つ様子を森の仲間が見上げれば、それはまるで一瞬光る、影のようでした。見ていると何故だか自分の目に涙がにじむので、森の仲間は不思議と胸苦しいような気持ちで空を仰ぐのでした。
ある時。
二人は空へ高く昇り続け、そのままいつまで経っても森へ帰ってきませんでした。
二人だけで、遠い国へ旅立って行ったのかもしれません。
森の皆は今でも、きらりと光る二人の姿を思い出します。
そうしてやはり、似たところのない、ふしぎな二人だったねと口々に言い合うのでした。
そこで、語り部の話は終わった。
目を開ければ、いつものわたしの部屋だった。
「入りますよ」そっと声をかけて襖を開けたが、布団は平らで乱れもない。
とりあえず寝直そう。
布団に入ると仰向けのまま、天井に手を差し伸べる。カーテンから漏れる光に照らされて、手や腕の輪郭がほのかに縁どられている。二人はまた旅立ったのだろうが、神さまはどうしたんだろう。
どこかで凍えていないといいのだけれど。
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