第8話 君のことと過去のこと
もしも本当に京川さんが俺のことを好いてくれてるなら、俺はいったいどうするべきなんだろう。
土曜日。午前十時。
モヤついた脳内を覚醒させることなく、ボーっとベッドの上でネットサーフィンし、やがて持っていたスマホを置いて、ため息をつく。
頭の中に浮かぶのは、京川さんのことばかり。
彼女、どうも俺のことを割と本気で好いてくれてるみたいなんだ。
騙されてるとか、そういうのでもないと思う。
今まで疑念を抱いてたのは確かだが、それが前の昼休み、一緒に弁当を食べた時にほぼ確信へと変わった。
教室でやけに俺に絡んできてたのも、配信で俺への想いをひそかに語ってたのもすべて本当で、好きだからずっと傍に寄り添ってきた。
だったら、そんなの無視するわけにはいかない。
俺も俺で、自分なりに彼女へ想いを伝えないといけなかった。
……けど……。
「……俺の場合……想いを伝えるよりまず先にしなきゃいけないことがあるんだよな……」
仰向けのまま顔を手で抑え、「あぁ……」と声を漏らす。
しなきゃいけないこと。
それは、一見簡単そうに見えて、俺からすれば非常に難しいものでもあった。
「俺を好きになってくれたのも……まさかあの時のことがあったから……? いやいや……別にまだそうと決まったわけでは……。とにかく、彼女に聞いてみないと何もわかんないんだよ……」
独り言ち、またため息をつく。
自分一人で悩んだって何も解決しないのに、俺はただただ物思いにふけりまくった。
思い出すのはあの時。
中学受験の受験当日のことだ。
そう言うと、『中学受験してたのか!?』って驚かれそうだけど、そうなのだ。俺、これでも中学受験勢。
まあ、当時ガキの俺は、親に言われるがまま適当に勉強して、『絶対私立中学に受かる!』なんて燃えてたわけじゃなかった。
受かったら受かった。落ちたら落ちたでその時だろってスタンス。
小学生時代、まだギリギリいた数少ない友達とは、受験勉強するってことであまり遊べなかったけど、ゲームはある程度やってたし、塾に行って勉強する以外は割とだらけた生活をしてた。
そんな中、一言も会話しなかったけど、気にはなってた女の子が同じ塾に通ってたのだ。
そう。それが京川さん。京川葉月さん。
当時の彼女は、今と違って外見はものすごく地味で、オシャレのおの字も無く、メガネをかけ、おさげ髪が特徴のザ・真面目女子だった。
その真面目そうな外見と同じく、勉強に対する熱意も凄くて、塾の中でも成績はいつもトップクラス。
授業は真面目に聞き、予習復習は欠かさず、いつも最後まで先生に質問し、居残ってた。
そんな彼女を見て、俺は素直に尊敬してた。
遊びたくはならないんだろうか。本当に難関中学に入りたいんだろうな。俺にはまねできない。ああいう人が受験を成功させるんだろう。
そう、いつも思ってたわけだ。
しかも、志望中学は、俺の受ける予定のところと一緒。
正直、ここまで志高く勉強してる人がいるのに、俺なんかが受かるわけないと思った。
ただ、同時にやれることくらいはやってみようと思った。
一生懸命勉強する彼女の姿がカッコよかったんだ。触発されてたんだと思う。
普段より少しばかり勉強時間を増やし、ゲームにもあまり手を付けなくなった。
あの時は、確かに頑張ってたと思う。俺なりに、ではあるが。
それで、遂に迎えた受験日当日。
勉強はしたが、受かる気はほとんどしない。
母さんにも頑張るよう言われたけど、むなしく思えた。今からこの母をがっかりさせるんだろうな、と思うと。
車で会場まで連れて行ってもらい、そこから指定された試験教室まで一人で向かった。
道中、周囲にいる同い年の奴らは心底賢く見える。
こいつらもあの女の子みたいに必死で勉強してきたんだろう、とつい考えてしまい、完全に試験前から戦意喪失だった。
彼女はもう会場に着いてそうだ。それこそ、一番乗りなんじゃないか。
そんなことを思いながら歩き、肩を落としてた刹那だった。
「……あ」
その女の子。京川さんを見つける。
が、何やら様子が変だ。
辺りをキョロキョロ見回し、地面の方をやけに気にしながらそこにいる。
あの感じは……もしかして何か落としたとかか?
気にはなったが、話したことなんて一度もない。
よくはわからなかったが、スルーして歩き出そうとしたのだが――
「……っ」
青ざめてて、表情にも絶望的な雰囲気を漂わせ、半泣きになってる彼女の顔を見ると、見過ごしていられなかった。
方向転換し、京川さんの方へ歩み寄る。
「……あの、どうかした? 見た感じ、何か探してるっぽいけど」
声を掛けると、彼女は泣きそうな顔のまま、こう返してきた。
受験票をどこかに落としちゃった、と。
確かにそれはマズい。
アレが無ければ、試験を受けさせてもらえないはず。
すぐに落とした場所で心当たりのあるところはないか、と問うも、京川さんは首を横に振る。めぼしい場所は既に自分で探し回ったらしい。息が切れてるのもその証拠だった。
「じゃあ、試験官っぽい人に言ってみたりはした? 紛失したって」
「……うん。でも、本人証明できるものが必要だって……。私……今日筆箱とか、参考書とかしか持ってきてなかったから、証明できるもの何もなくて……さっき追い返されたの……」
「はぁ!? 追い返された!? 本人証明できるものってそもそも何!? 名前言うだけじゃダメなの!?」
「……ダメみたいだった……」
消え入りそうな声で言いながら、遂に泣き出してしまう京川さん。
その時、俺は小学生ながら思ったんだ。そんなバカなことがあるか、と。
あんなに一生懸命勉強してる人が、試験を受けられないとか、そんな展開あっちゃいけない。
俺は、気付けば彼女の手を握ってた。そして、目を見てハッキリと言った。
「大丈夫。もっかい俺と一緒に行こ。その試験官に頼み込んであげる」
「……ほ、ほんと……?」
「うん。俺、頑張ってた奴がひどい目に遭うの、世界で一番嫌いだから」
握った手を引き、宣言通り俺は京川さんと一緒に試験官らしき人のところへ行って、もう一度頼み込んだ。
すると、意外過ぎるほどあっさり承諾。
拍子抜けしたが、聞けば、京川さんが受験票の再発行を頼んだ試験官は、最近その中学校の職員になった人らしく、マニュアル通りの行動しかできないとのこと。
ベテラン職員っぽい試験官のおじさんは、上手いこと融通を利かせてくれ、ちゃんと京川さんの受験票を再発行してくれた。
一件落着だ。試験前で、勝負これからって時だけど、
「……ありがとう。ほんとに、ほんとに。全部、あなたのおかげ」
「別に。普通だよ、普通」
「あの……こんな時だけど……塾も一緒……だよね? 私のこと……知ってる?」
知らないはずがない。
けれど、当時の俺はなぜかそこで恥ずかしさを覚え、首を横に振ったのだ。
「……そ、そっか……。なら、ごめん。今の質問は忘れて」
「うん。そうするよ」
「お互い……試験頑張ろうね」
そう言って、京川さんはにこりと微笑み、再発行してもらった受験票を見ながら、教室の中の席に座った。
――A191。
それが彼女の番号だ。
ふと見ただけだったけど、それを俺はずっと覚えてた。
試験が終わり、合格発表の日。
掲示板に記された番号で、そのA191が当然のようにあったのは今でも覚えてる。
俺の番号はまあ……予想通り無かった。
だけど、不思議と泣きたい気持ちや悔しい気持ちにはならない。
それよりも、合格した京川さんへの祝福の気持ちと、表現し難い清々しさでいっぱいだった。
頑張った人が報われるのは当然だ。そうじゃなきゃいけない。本当に、本当に。
「はぁ……」
一つ息を吐き、俺は決心して起き上がる。
そして、しばらく動かしてなかった配信用のスイッターアカウントを起動させ、短い文字で呟いた。
『近日中に好きな女子に告るかもしれない』
すると、一分ほど経って、通知音が鳴る。
【はづきさんがいいねしました】
それを見て、俺はつい笑ってしまった。
相変わらず反応が早いな、と。
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