所以 4
「私も一族の高位の者だ。女々しくも、自分の存在を諮るような愚かな事はしたくない」
切なげな声で話すヴァシュラをハンザは盗み見た。
しかし、己の正面に座っていた場所にその姿は無い。
そして、己の頭上から狂気を孕んだ声が落ちて来た。
「だが、私は嫉妬深い男なのだ、ハンザ・・・!」
「!!」
ヴァシュラの異変を察知したハンザの体が反応する前に、ハンザの両手を引っ掴んで、その勢いのまま肘当てに押し付ける。
ハンザが痛みに小さな悲鳴を上げると、既に木製の椅子から伸びた蔓がハンザの手首と足首に絡みつき、動きを奪った。
ハンザの脳裏に湯殿の光景と、今の状況が交互に反復される。
何度目かの反復で麻痺した脳が漸く、この状況を理解した。
椅子の足から床へ根が縦横無尽に広がっていく光景が視界に入る。
漠然と広がって行く恐怖と絶望を映したかのような光景に、体の奥から恐怖は実感を伴ってハンザに現実を突き付ける。
恐怖に抱かれたハンザは、半狂乱の絶叫を上げながら、蔓を振りほどこうと力の限り足掻くが、一族の特性である怪力を以ってしても蔓は切れなかった。
肉体的にも精神的にも疲労し、肩で息をしながら、ぐったりと椅子に背を預けた。
滅茶苦茶に暴れ、乱れた髪を扱けた頬に纏わり付かせたまま、赤唇が戦慄く。
「・・・騙したな・・・。・・・よくも!よくもっ!」
喚きながら犬歯をむき出し、心の均衡を崩した先で見つけた憎悪に双眸は血色に変わった。
「血が逆流するとは、そういう事だ。唯一、お前が私に教授してくれた事だ、ハンザ。
だが、中身の伴わない知識だけの言葉では意味が無いと考え、お前にも味合わせてやらなければと思っていた。
そして、その中で、私は貴いものを得ることが出来た。
・・・それは、久しく忘れていた、憎悪だ。
憎悪をむさぼり、恍惚を得る事が出来るのが、我らが魔たる所以。
さあ、もっと食い荒らせ、・・・叫び狂えっ!」
ヴァシュラの鋭い命令によってハンザの中にあった憎悪は一気に増殖し、その狂暴さを露にするが如く、ハンザに絶叫を上げさせた。
ヴァシュラは、療養中、新参の種族に深手を負わされてしまった屈辱と、一族の掟に従って訪れるかも知れぬ消滅に恐怖した。
そこへ、ハンザの裏切りがヴァシュラを切迫した状況へ追い落とす。
屈辱は、再生さえ終えれば晴らせよう。
だが、ハンザは裏切りと消滅をもたらしたのだ。
ユダの気紛れで消滅は遠退くも、ヴァシュラはハンザに報復を誓った。
(・・・見限られて消滅した方がマシだと思う程の報いをお前に・・・!)
自分よりも低位であるハンザの裏切りは憎悪の糧となり、やがて、ハンザの事を考えるだけで、総毛立つ程に肥大した激しい憎悪は、ヴァシュラに魔たる所以を深く知らしめた。
ヴァシュラの命令に従う気など毛頭ないが、ハンザの憎悪の感情は留まることを知らない。
「お前が高位ならば、なぜ私を戒める?これを解け!
執念深い男!腐臭を放つ因習!いっそ滅べ、全て滅べっ!」
獣さながらの叫びに、ヴァシュラの嘲笑が混じる。
射殺さんとばかりに眦を裂いているハンザの目前にヴァシュラは立っていた。
ヴァシュラに魔力を振るう事に最早禁忌を持たないハンザだったが、その反抗は全てヴァシュラの魔力によって封じ込められてしまう。
「そろそろ行かなくては。これを置いて行く」
眼前で小瓶を振ると、液体のはねる音がした。
ハンザの指に触れる場所にそれを置くと、部屋の扉へ移動した所で徐に振り返り、その相貌に喜色を刷いて告げる。
「イバラの血だ。お前の為に選んでおいた」
その言葉を聞いたハンザは目を見開き、言語を失った口が言葉にならない憎しみと口惜しさで半ば開いたまま戦慄いた。
イバラとは魔族の種族名で、その血は劇物である。
少量でも触れればそこから瞬く間に溶け落ちるが、匂いからその効果があるとの判断はつかない。
だが、イバラの血であると知っていても、上の極限に達してしまえば血の誘惑には勝てないだろう。
ヴァシュラは勿論それを熟知した上で、イバラの血をハンザに与えたのだ。
「好きなだけ味わうといい。常に、新鮮な血が補充されるようにしてある」
凄絶な笑みを浮かべ、ヴァシュラの姿が闇に溶けかかる。
「滅びろ、ヴァシュラ!」
獣の咆哮を上げるハンザを見届けて、ヴァシュラは闇に消えた。
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