所以 3

 癖毛の割に柔らかい絹糸の様な髪に木桶で水を掛け、固まりかけた血を落とす。髪を傷めない様、細心の注意を払って。


 この様な事は魔力でやってしまえば瞬時に終わるが、主に魔力を振るうなど出来るはずも無い。


 意外に手古摺ったが、長く伸ばされた部分の洗髪が終わり、うなじの部分に水を掛ける。

 ゆっくりと優しく汚れを落とす。


 ハンザからは見えないが、心地良いのか、金の目はゆっくりと閉じられていった。


「ヴァシュラ様、顔を仰向けになさってください」


「ん・・・」


 まどろみを含んだ返事をして、素直に指示に従う。


 顔に掛からない様に水を掛け、洗い上げる。

 次に、軽く絞った布で顔を拭く。

 額、頬、顎、首筋、耳と・・・。


 ハンザの手が耳に触ると、僅かに開かれた唇から、ふっと吐息が漏れる。


 首を仰け反らせた格好のヴァシュラの青白い首筋に、ハンザの目が釘付けになった。


 正確には、皮膚を微かに押し上げながら流れる血の管へと。


 しかし、すぐに自分の立場を思い出したハンザは、慌てて視線を引き離す。


 何に目を奪われていたのかを察していたヴァシュラの手が、洗髪を止めたハンザの手を取った。


「・・・ひっ」


 息を吸い込む悲鳴と両肩を竦ませたハンザの過剰な反応を見上げて来る金の瞳。

 それから逃れ様と顔を俯けたハンザの手首を口元に宛がう。


「移り気な女だ。

 だが、総祖ならば致し方ない。


 あのお方は、我ら一族全ての者の心を捕らえる唯一の存在。その血を戴こうなど考えるだけで、畏れ多い」


 手首に時折触れるヴァシュラの唇の動きが、くすぐったい。


「はい、申し訳ありません」


 ハンザは、荒んだ心に少しずつ潤いが戻ってくるのを実感していた。


「お前を生かしたのは、総祖が私を生かして下されたからだ。

 ・・・お前と今の私の置かれた境遇は似ている。


 私は、あのコウエンと名乗った者を滅ぼし、汚名を晴らさなくては、一族から追われる立場。


 お前は、私に畏恭の証を態度で示さなくては命が危うい立場」


 長い指がハンザの頬に触れる。


「この顔はどうした?疲れているのか?」


「申し訳ありません、ヴァシュラ様・・・」


「お前は先程からそればかりだな」


 そういわれたハンザは、命を保障された安堵から震える手でヴァシュラの髪を取り、口付ける。


 それを見たヴァシュラが向きを変え、半身を浸したまま、下からハンザの唇に軽く口付けた。


 濡れた右手をハンザの頬に当て、その親指で、口付けた唇をゆっくりとなぞる。


「髪に口付けるだけでは足りない」


 金の瞳でじっと見詰めるだけの誘惑。

 それに抗う女はいないであろう。

 その金の瞳が望むまま、次は深く口付けを交わす。


 ヴァシュラは健気にそれに応えるハンザの顔を薄目で視ていた。


 薄く開かれた瞳に浮かぶ金色の鋭利で冷やかな光りを、水面に揺らめく反射が有耶無耶にした。



「もう、行かなくては」


 てっきり血を求められると思っていたハンザだったが、ヴァシュラが急を要する身だと言う事で大して気に留めなかった。


 ヴァシュラが浴槽から上がると、その長身の両肩に茶色の毛足の短い毛皮が掛けられる。


「ハンザ、少し部屋に来い。その疲労をとっておかねば留守は任せられない」

「はい、参ります」


 ヴァシュラの気遣いに感激しながら、ハンザはその後に続いた。


「そこへ座るがいい」


 ハンザは、ヴァシュラの示す木の椅子へ腰掛け、その向かいにヴァシュラは腰を下ろした。


 足を組んで、左右にある肘掛に肘を付き、落ち合う所で手を組み合わせてハンザを見る。


「いかが致しました?ヴァシュラ様」


 一族の長であるユダの元へ参じなければならない身であるにも拘らず、ヴァシュラが話し込む体勢でいるのを見受けたハンザが尋ねた。


「・・・お前の体の事も気に掛かるが、それ以上に私の心を乱すものがある」


 その言葉を聞いたハンザの顔色が変わった。


「私の事ですか?!私は、もう二度と、ヴァシュラ様を裏切りません!


 私は愚かにも、証の何たるかを知らずにいたのです。ですが、今はその意味の深さを理解しています!」


 ハンザは必死で弁解し、ヴァシュラの信を得ようとしたが、一度失った信を取り戻すのは容易ではない。

 ましてや全てが自身よりも秀でている者が相手となれば尚更だ。


「お前が何も知らずに私に証を捧げた事が、そもそも間違いなのだ。


 お前は、魔が何物にも代え難い己の命を差し出して示す証を、私に軽々しく捧げたのではないか?」


「いいえ!それは違います!

 私は初めてヴァシュラ様を御見かけした時、その、高貴で美しいお姿、並々ならぬ魔力に惹かれ、膝を付いたのです。


 その時、証の実態を知っていたとしても、ヴァシュラ様に証を捧げずにはいられなかった!」


 感情的なハンザに金の瞳が細められると、そこには鋭利で冷やかな光りが宿る。


「いいや、それこそ違う。


 お前は移り気な女。

 証の実態を知っていれば、私には膝を付くまい。

 より魔力の高い者に膝を付く。総祖は例外として、アルカルド辺りに!」


 怒りの感情を露わにしたヴァシュラの怒声に、ハンザは身を守るように両の手の平をヴァシュラに向け、きつく目を閉じる。

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