所以 2

 ヴァシュラは超然とそこに立っていた。


 かつての姿を取り戻したヴァシュラは、癖毛のプラチナの髪を、肩の辺りまでの長さにし、後ろ髪の一握りを尾のように伸ばした髪形で、細く直線的な眉の下にある瞳は、金色をしていた。


 一族の高位の者が持つ品格を兼ね備えながら、どこか野性味を感じさせるのは、あちこちに跳ねる癖毛も一因であろう。


「一つのことに囚われ、周囲に気が向かないとは如何なものか。


 それからあの幼体の者は私の獲物だ。手を出す事は許さん」


 いつ動いたのかを悟らせずにビジュの傍らに移動し、長身であるヴァシュラから見下げる視線と共に言い放たれた言葉を聞いたビジュは、ヴァシュラが完全復活した事を確認する。


 ビジュの視線がヴァシュラを一見した後、以前と変わらぬ魔圧を発するヴァシュラに畏敬を払って片膝を着いた。


「申し訳ありません。

 私は先に戻り、ヴァシュラ様が復活された旨を御報せします。


 それでは、後ほど・・・」


 コウエンと対峙した時の悪性さは、綺麗に払拭されていた。


「わかった」


 ビジュは優雅に一礼すると、その身を闇の侵食に任せ、やがて、消えた。

 それを見届けたヴァシュラが皮肉る。


「さすがはアルカルドに仕える者。切り替えの早いことよ」 


 ビジュが「後ほど」、と言ったのは、身支度の手間を考えてのことだ。


 長であるユダの御前に血塗れの破れた服で参じる非礼があってはならない。


「ハンザ。身支度をする、ついて来い」


 名を呼ぶと、闇の中から美貌の女が現れる。

 だが、その美貌からはかつての華やかさは失われていた。


「・・・は、はい、ヴァ、ヴァシュラ様・・・」


 ヴァシュラの背後で叩頭するハンザは、明らかに動揺していた。


 アルカルドは証を捧げた者に対する裏切りは、消滅を免れないと言っていなかっただろうか?

 では、何故、未だに命があるのか?


 ハンザは証の実態を知り、恐怖心からこの領地を後にしたが、冷静を取り戻すとその空しさに気付いて結局、この領地に戻ったのだった。


 いつ、ヴァシュラが自分を消滅させるのか分からない中過ぎてゆく「時」。


 ハンザの精神は磨り減り、危うい均衡を保っていた。


「何故、命があるのか分からない、という顔だな」


 歩きながらヴァシュラが何気なく掛けた声に対し、過剰な反応を示すハンザの肩が大きく飛び跳ねる。


「・・・はい」


 視線を下方に彷徨わせて、漸く消え入りそうな声でハンザが返答する。


「お前は私の言い付けを破り、総祖に私の醜態を晒した。

 お前には血が逆流する、と云う事がどの様な事か分かるまい。


 お前の裏切りに直面した時の私の感情が、それに当たる」


 ヴァシュラは罪状を述べる第三者の様に淡々とハンザの仕出かした事を述べるが、ハンザにしてみればそれは、ヴァシュラの心境をより推し測り難くし、不安を招いた。


 ハンザの前を行くヴァシュラの足が止まると、正面にした部屋の扉が招き入れるように勝手に開く。

 部屋に入ると、その中心には百人は軽く浸かれる広い浴槽があり、満面の水が張ってあった。


 魔には体液が無味無臭で、透明なものがいる。

 その体液は、見た目にはほぼ水と同じだが、触れれば水よりもとろみがある事が分かる。


 この世界には真水は存在しない為、無色透明な体液が水に変わる物であり、部屋の中心にある浴槽に張ってあるものは、何千と云う無色透明な体液を持つ魔から搾取された体液なのだ。


「お許し・・・ください・・・どうか、お許しくださいっヴァシュラ様!」


 部屋の扉の前で叩頭しながら、ハンザは懇願した。

 しかしヴァシュラは応えず、服を脱ぎ捨て、浴槽に浸かる。

 浴槽の水に赤い煙幕が広がり、やがて消えていく。


「・・・髪を洗ってくれ、ハンザ」


 弾かれた様に顔を上げたハンザだったが、今の状況には相応しからぬヴァシュラの要望に頭を混乱させつつ、体はヴァシュラの要望に応えようとした結果、ハンザの動きはぎこちないものになっていた。


 ハンザは、許しの言葉を口にしないヴァシュラに不安を拭い切れなかった。

 だが、今は必死に仕えるしか術はないと思い直したハンザはヴァシュラの傍らに膝を着いたのだった。

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