交錯 2

「何をしている。早く答えよ」


 アルカルドの声に漸く我が身の置かれた状況が見えて来たハンザが慌ててユダを見ると、その手が空の杯を持て余している。


 ハンザは己が長い間、呆けて、総祖であるユダを蔑ろにしてしまった事に気付き、酷くうろたえた。


 実際は単にユダが飢えていて、杯に注がれた血を一気に飲み干してしまっただけなのだが、別次元に船出していたハンザはそれを知る由もなく、勘違いをしているに過ぎなかった。


「首を切断されたヴァシュラ様は、大量に血を失った為に再生能力が低下しておられます。


 身体から頭部を切り離された事により、再生の伝達が上手く働かない事も復活を阻む要因で御座いましょう。

 恐らく、未だ、復活には程遠い状態であると思われます」


 二度の失態に命があるのも奇跡だったが、ユダの杯に血を注ぐ役目はアルカルドに奪われてしまったハンザは先程問われた返答に万全を期そうとする余り、過分に熱がこもってしまった声音で聞こえた。


「そうか。お前は、ヴァシュラを負傷させた者を見たか?」


「いいえ。奴らは唯の二体でこの領地に侵入し、それをご覧になったヴァシュラ様が自ら手を下すと申されて・・・」


「侮ったのだな、愚か者が」


 すい、と下方へ下げられるユダの視線。それはあたかもヴァシュラに見切りを付ける様な所為であり、それを見ていたハンザがユダの言葉に同調していた己に驚いた。


 ユダが訪れる前まで、あんなにもヴァシュラの容態に気を揉んでいたというのに。


 だが、ハンザが特別に薄情な訳ではなく、魔は一様に強者になびくものなのだ。


 特に女ならば尚更、それは顕著になる。

 強者の遺伝子で更に進化した魔を生み出す事が、女の性を持つものの本能。


「直接、ヴァシュラに聞く」


「畏まりました。ご案内します」



 ヴァシュラは治癒に入る前、ハンザの頭に直接指示を送ってきた。


 切れた息を無理に繋げた様な言葉は、意識をそれに集中させねば理解し兼ねるものだった。


(この様な見苦しい姿を総祖に晒す訳にいかん。

 もしも総祖がこの領地に参られる事があれば、部屋の扉を開けず、私に知らせろ。その頃にはまともに言葉を送る事もできるだろう)


 だが、ハンザの中で地位を失墜させられたヴァシュラの言葉は、ハンザを従わせる事叶わず、ハンザはユダとヴァシュラを対面させる気でいた。


「こちらですが、私には開けることは出来ません」


 実際に扉が開かない様を見せようとしたが、ハンザの背後から伸ばされたアルカルドの腕に阻止された。


 アルカルドの指が扉に触れると、扉は自ら招き入れるように開く。


 如何なる仕組みで扉が開いたのか分からないハンザが二、三度、瞬きをしている傍らを、何ら疑問もなくユダが通り抜け、入室する。


 ハンザもそれに続こうとするのを、またもアルカルドに阻止された。


 ハンザは、ことごとく邪魔をするアルカルドを睨み付ける。


 対するアルカルドは、殺気すら含む視線を微笑で受け流して見せ、身構える暇も与えない程の優雅な足取りでハンザの前に移動し、ハンザの耳元に顔を寄せた。


「よいのか?この様な事をして。ヴァシュラはお前になんと言った?

 再生すら儘ならない程、弱った自分を晒す一族の者など、私は知らない」


 その囁きは不穏な気配を帯びて、ハンザの表情を顰めさせた。


 ハンザの体から発せられる拒絶の意思を近距離で感じ取った深紅の瞳が、笑う。


「弱き者に一族の末席すら与えず、と仰せになったのは総祖の筈です」


 気丈に対抗した筈のハンザの言葉は、正にアルカルドが予想した通りの言葉だった。


 触れ合う髪から微かに伝わってくる何かしらの反動。


 やがて、ハンザの聴覚はアルカルドが低く笑っている声を拾った。


 冷血の巡る背筋をより冷やされた冷血が巡った様な感覚に陥らせる、嗤い声を。


「愚かな女だ。お前はヴァシュラにも膝を付き、証を示した筈。

 その意味をまるで判っていない様だが、あれは己の存在を賭けて示すもの。

 ヴァシュラが証を破棄すれば、その身がどうなるか分かるな?」


 見開かれた目の瞳孔が絞られるのと同時に、己の心音が跳ねたのが分かる。


「証の破棄は簡単だ。ヴァシュラがお前を見限ればいい。


 これは呪縛だ。証を捧げる厳かな儀式に擬態した・・・。


 もちろん、これを無効にする方法もある。

 お前がヴァシュラより高位になればいいだけだが、ヴァシュラもお前が高位になる迄、待つはずもない。


 そして、ヴァシュラがお前を見限るのは、この扉が開いた時点で決定している」


 先程から息がうまく出来ない。


 アルカルドの気配が離れ、正面から見下してくるその貌にある薄い唇には、凶事を招く様な微笑が浮かんでいた。


 己の仕出かした取り返しのつかない失態に最早、焦点すら合わず、絶望に佇むハンザに扉の閉まる音が無情に響いた。

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