交錯 1
その女は沈痛な面持ちで扉に背を預けて立っていた。
室内の何かを案じ、守るように。
足の付け根辺りまで伸ばされたプラチナブロンドの巻き毛、白磁の肌に映える赤唇、伏せ目から僅かに見える、紺碧の瞳。
纏う毛皮から覗く脚線美と豊かな胸部に加えて、際立つ美貌に心穏やかではいられない。
「ヴァシュラ様・・・」
案じる者の名を呟いた時だった。
まず、体の奥から例え様の無い不安が顔を覗かせ、じわりじわりと広がって行くのを感じた。
不安を味わう猶予を与えられた後、それを飲み込む緊張が突き上げる。
緊張によって体を急速に支配された受けた女の腰がふらつき、砕けそうになったが、女はそれを堪えた。
逃げよと告げる本能を、理性と僅かな矜持を総動員してなんとかその場に留まる。
この感覚は、魔力が発する圧力。
これ程強大な魔力を持つ者の心当たりは、一つしかない。
(これが・・・総祖・・・っ。格が違いすぎる!)
戦慄にも似た光りを宿す紺碧の双眸が、右前方の闇をじっと凝視していた。
もうすぐそこに現れる筈の、総祖と呼ばれる者の纏う銀の燐光を畏怖と千秋の思いの狭間で激しく揺れる心中で待つ。
女に、自身の複雑な心境を整理させる程の時は与えられず、銀の燐光が闇を払い始めた。
銀と蒼の燐光が完全に闇を払い、露わになったその者達の姿を見た女は、部屋の扉から駆け寄ってくるなり、叩頭し、一族の長であるユダと、ユダに次ぐ実力者と称されるアルカルドに初見の口上を述べた。
「私は、ヴァシュラ様に仕える者で、ハンザと申します。
総祖とアルカルド様にお出まし頂き、尚且つ、拝謁できます事、我が血に刻む名誉でございます。
私の畏恭の証を御身に捧げること、どうぞお許しください」
この両名を前にしてみれば、己の身などそこらに転がる石同然であり、無論、両名が石に興味を持つとは思い難い。
そして、唯一誇れる己の容姿すら両名の前では、翳む所か雲散霧消してしまう。
ハンザは叩頭しながら、生きた心地がしなかった。
「・・・示してみよ」
ハンザは、厳かな総祖の許容の美声に驚愕し、反射的に顔を上げようとした。
だが、反射的なその気配を察した者により、有無を言わさず頭を踏みつけられる。
「証を示さずに拝顔するなど、無礼にも程がある。
ヴァシュラに仕えておきながら、礼儀も満足に持ち合わせぬか?」
「お、お許しを!けれど、この非礼は私の問題。
ヴァシュラ様は、総祖に対する畏敬の念を欠いたことはありません!」
冷徹に言い放つアルカルドに対して、ハンザは慌てて非礼を詫びた。
「黙れ。仕える者から、主の品位が伺えるのは当然のこと。
ヴァシュラも堕ちたものだ」
「アルカルド、控えよ。
私はヴァシュラに会いに来た。お前からも話を聞きたい。証を示せ」
ユダに言われて、不承不承、踏みつけた頭から足を下ろす。
ハンザは一呼吸置いて、叩頭したまま、ユダの靴先に口付けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヴァシュラはどの様な状態か?」
領主の椅子に腰を下ろし、一息ついたユダがハンザに尋ねた。
だが、当のハンザは恍惚の世界に行ったきりであった。
魔は、強き者を崇拝する生き物。
その強き者が自分の一族の長であり、その上、筆舌し難い美しさを備えているのだ。
先程、この強く美しい総祖の靴先でも触れられた事に無上の喜びを感じた。
やがて、ハンザの中で願望が頭をもたげる。
優雅に組まれたあの足元に、この身を投げ打ってしまいたい。
数多の命を刈り取ったとは思えぬ、その長い指で触れて欲しい。
そして、プラチナの髪に見え隠れする首筋から、血を啜りたい。
存在を目にしただけで余裕をなくす思考が、領主の存在を深い霧の中へと置き去りにする。
そんな、妄想に耽入ろうする貪欲なハンザの頬へ見舞われる衝撃があった。
頬に走った痛みと妄想を掻き消されたハンザが驚きの視線の先には、アルカルドの侮蔑も顕わな表情があり、その手が何よりもハンザの頬を叩いた事を語る。
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