第93話 名前のわからない優しい先輩

 照明係のメンバーの中で、俺とゆぅちゃんの立場っていうのはずっと良くない。


 それはそうだ。


 傍から見れば、俺たち二人は文化祭を興していく仕事的な集団の中で、途中参加してきたイチャコラカップルという見方しかされないだろうから。


 きっとこの雰囲気は文化祭が終わるまでは消えない。


 誘ったのは大隅先輩だ。


 大隅先輩が灰谷さんに圧を掛け、俺たちは彼女の立場も考えて参加するしかなくなった。


 あの人はきっと俺とゆぅちゃんの仲を崩壊させようとしてる。


 でも、それは俺たち二人の仲がどれだけ確かなものになっているのかを知らないから。


 口には出さないけど、心の中でバカにしてやることにした。


 どんなことを先輩がしてきたって、俺とゆぅちゃんの仲は揺るがない。


 あなたのしてることは無駄なんですよ、と。


 でも、それを本人の目の前で言えないのは、俺がビビりな証拠で。


 未だに抱く陽キャ男子への恐怖感と、負け犬根性。


 それらが余計な回り道ばかりさせているような気がした。


 本当なら、叫び祭になんか参加せず、先輩に面と向かって言ってやればいいんだ。性格悪いかもだけど、ゆぅちゃんも引き連れて行って。


 そしたらあの人も色々と俺たちのことを諦めるかもしれないのに……。


「……はぁ……」


 委員の仕事の終わり際。


 俺は照明器具を直しに行くようメンバーの人から言われ、一人でトボトボと廊下を歩いていた。


 言うまでもないが暑い。


 照明器具が重いのもあって、一気に汗が出てくる。


 これは帰ったら一回シャワーでも浴びないとやってられない。


 抱えていた器具を改めて持ち直し、また歩き出す。


 こいつを直す場所まではもう少しだ。




「あーあー、重たそう。大変だね、名和君」




 残った力を振り絞るかのように歩を進めだした矢先、誰かから声を掛けられる。


 どうにかうしろへ振り返ると、そこには見たことのある人が立っていた。……名前は覚えてないんだけど。


「やっ。大丈夫? 君が器具を一人で持って行くよう言われてるのを見てさ、心配で後付けちゃってた。ウチも持ったげよっか?」


 髪を三つ編みにしている、小柄でメガネを掛けた女子。


 確かこの人は俺より一つ年上の先輩だったはず。


 荷物を抱えていて手は塞がってるから、慌てて頭を横に振った。いいです、大丈夫です、と。


「ええ~? でもすごく重そうだよね? 遠慮しなくてもいいよ? 二人で一緒に持てばその分疲労も半減するし」


「ほ、ほんとに大丈夫です。せ、先輩……でしたよね? こういうの持って行くのは後輩の役目だと思いますし……どこの世界でも」


「どこの世界でもってw 君は色々な現場を渡り歩いてきた職業人みたいなことを言うねぇ。いいよ。大丈夫。ウチ、こう見えても案外力あるし」


 言いながら、名前のわからない小柄なメガネ先輩は、俺の荷物の片方を強引に奪ってきた。


 仕方なくこっちもなすがままだ。


 少しばかり荷物を持ってもらった。


「別にカッコも付けなくていい。彼女ちゃんじゃなく、ウチの前だからね。安心しな?」


「い、いや、そんなつもりは俺も……」


「そう? 君は見た目と雰囲気通りにシャイなのに、いつも頑張ってるように見えるからさ。お姉さん密かに心配してたんだよ。皆は結構ギラついた視線を君へ送ってるけどね」


「っ……」


 返す言葉もない。


 それはまあ、ある種自業自得なところもあったりするから。


「ここだけのとこさ、話もちょいちょい聞いてんだ。君があの大隅君と裏でバチバチしてるの」


「え……!」


 荷物を落としかけた。


 頓狂な声を出してしまう。


「あはは。びっくり? 話し広まってるのかよ、みたいな」


「そ、それっていったいどのくらいの人が知って……!? ちょ、う、嘘ですよね? 何でこんな……!」


「まあ、大隅君が月森さんのことを気に入ってるってのは前々から割と有名だったからね。それこそ、たぶん名和君が彼女と付き合い始める前から」


「………………」


「そりゃ君がそのことを知らないのも無理はない。ウチたちと学年違うし、何よりも大隅君と名和君は接点なんてまるで無さそうだし」


 意地悪な笑みを浮かべて言う先輩。


 それは、要するに俺のことを陰キャラだと言いたいんだろう。


 まあ、事実だし今さらどうとも思わない。


 ゆぅちゃんと付き合っていなければ、俺は絶対に今だって大隅先輩みたいな人と絡むことはなかった。それだけは確実に言える。


「でもね、名和君。聞いて欲しい。これは大隅君の肩を持つわけじゃないんだけどさ」


「……はい」


「彼、そんなに悪い奴でもないよ? それこそ、人から恋人を奪うような腐れ外道じゃない」


「え……」


「月森さんのことも好きは好きだろうけど、君と彼女の絡みを見て、彼なりに何か諦めるきっかけを掴もうとしてるんじゃないかな、とかウチは思ったり。もちろん推測だけど」


「……」


 思いもよらない言葉だった。


 一瞬困惑して、頭の中ではすぐに否定の言葉が浮かぶ。


 違います、とか。そんなことはない、とか。大隅先輩の何を知ってるんですか、とか。


 でも、最後のは違った。


 あの人のことをよく知らないのは俺もだ。


 よく知らないからこそ怖い。


 どういう経緯で今の大隅先輩があって、どういう考えでゆぅちゃんのことを好きになったのか。


 だから、俺だってきっと迷走してる。


 ゆぅちゃんは俺のことをあんなに好きだって言ってくれてるのに。


「叫び祭に参加するっていうのも、もしかしたら彼なりに考えあってのことなのかも。確か名和君も参加予定だよね? あれ何? 参加するよう言われたクチ?」


 問われ、本当のことを言っていいのか少し迷いつつ、俺は頷いた。


 そうです、と。


「大隅先輩に言われました。君も参加して欲しいって」


「月森さんも参加するんだよね。申し訳ないけど、見てる側からしたら絶対に何かあるやつじゃんって今からでも思う。何気楽しみw」


「楽しみにはしないでください……。俺は普通に憂鬱なんで……」


「はははっ! まあ、そうだよね~w あんなのに出る奴物好きか目立ちたがり屋しかいないもんw 君とは絶対に相性悪いやw」


「はぁ……」


「まあまあ、頑張って。男にはやんなきゃいけない時もあるでしょうから」


 そうだ。


 ケジメはここでしっかり付けておかないと。


 大隅先輩とのゴタゴタはここで一気にすべて終わらせる。


 ゆぅちゃんに褒められた俺の良いところ。


 それは、彼女に一生懸命になってあげられるところだから。


「さてと。じゃ、着いたね。ここらでお話も終了かな」


 先輩の言う通り、荷物を直す場所に辿り着いた。


 誰かと一緒にいれば、きついことも気が付けば終わってる。


 でも、それは楽しい場合だ。


 無意識のうちに楽しんでいた。


 大隅先輩のことを聞けて少し満足したのかもしれない。


「よいしょ、と。ふぅ。なら、ウチはここらで帰らせてもらうね」


「ほんとすいません。ありがとうございました」


「ん。いいよいいよ。ウチも君と一対一で話してみたかったから」


「ありがとうございます」


「普段は彼女ちゃんが近くにいるし、ウチが近付いたら嫉妬させちゃうかもだし」


 いたずらな笑みを浮かべ、先輩は「じゃあ」と手を振ってくる。


 結局この人の名前は聞けなかったけど、俺は不思議なくらい気持ちを楽にさせられていた。

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