第88話 どうして好きは一つだけ?

「ふーん。なるほどねー。名和くんは純情な雪妃にこんなすっごいゲームをやらせてたんだー。ふーーーーーん」


 隣からジト目。ものすっごいくらいのジト目。


 誤解を解きつつ、俺は自室で冴島さんと二人きりになってエロゲをプレイしていた。


 パソコンを前にし、デスクに向かって並んで座る。


 気まずくはあった。


 何だかんだゆぅちゃん以来だし。こうして一緒に女の子とエロゲをするのなんて。


「ま、まあ、うん。やらせてたし……何なら今なんてゆぅちゃんは自分から色んなジャンルに手を出してると言いますか……」


「うっわぁ~……アタシの知らない間にそんな風に……。何? 君からしたら調教完了。ぐへへ、ってとこなの?」


「そんなエロオヤジみたいな発想はしてないよ! ハマってくれたのは意外だったし、むしろ最初なんて俺も嫌われて元々、みたいな感じだったんだし!」


「嘘だぁ~。こんなエッロエロなゲームをあんな子にやらせるくらいだもん。どうせ処●喪失させるのと感覚的に似てそうだし、名和くん裏でめちゃくちゃ興奮してそうだよ」


「勝手な推測やめて!? あと、堂々とそういう発言するのもやめてよ! こ、ここは俺たち以外誰もいないから助かってるけどさ!」


「あ、今のアタシの発言でもちょっと興奮してたり……?」


「してないわ! 冴島さん、ほんと俺のことなんだと思ってんの!?」


「好きな女の子を寝取ったどうしようもない変態エロゲーマー?」


「ま、まだ寝てないから! 変態エロゲーマーってのも……ち、ち、違……」


「――違うなんてことないよね? 【メス豚調教淫戯 ~お姉ちゃんの正体はただの●乱でした~】なんてゲームしてる人が健全なわけないもん。完全に女の子を堕とす喜び感じちゃってる人だもん」


「そ、そんなことっ……!」


「しかも、嘘ばっかり。寝てないって言っときながら、東京旅行はお忍びで二人きりだったじゃん、雪妃とさー」


「で、でもまだ――」


「お風呂とか一緒に入ったんじゃないの? 『さと君、私と一緒に入ろ?』みたいに甘い声で雪妃から誘われて」


「――っ!」


 ドキッとした。


 言い方とかがゆぅちゃんにそっくりだったから。


「はぁ~あ。名和くんの嘘つき~。ド変態~。もう許しませ~ん」


「な、な、ちょ、ちょまっ……!」


 呆れてため息をつき、俺からわざとらしく距離を取る冴島さん。


 ヤバい。さすがにやり過ぎたか。


 ヘッドホンを取り、彼女の方へ体の向きを変える。


 冷ややかな視線を向けられるのも承知の上だった。


 だけど――


「――なんてね。うーそ」


 にこっと笑い、彼女は俺の持っていたヘッドホンをゆっくりと奪い取ってくる。


 そして、それを自分の耳に付けた。


「そんな本気になって焦んなくてもいいよ。今さら君がどういう人間か、とかでドン引きとか無いしね」


「え……。そ、そうなの……?」


「そうだよ。だってどういう人か知ってるし、あの雪妃が付き合いたいって思うくらいの人だし、何よりもアタシ自身好きになっちゃった男の子だもん」


「っ……!」


「ちょっとやそっとのことで引いたりとかしません。というより、引くとしたらむしろ君の方」


「……? お、俺の……?」


 疑問符を浮かべると、冴島さんは少しだけうつむき気味になって頷いた。


「アタシは一方的に君へ好意を向けてる。何度も言うけど、雪妃がいるのに。本当に勝手にね」


「冴島さん……」


「だから、引かれるのは普通アタシの方。でも、君は今日こうしてアタシを家へ呼んでくれた。おかしいよ。拒絶しないなんて。アタシが名和くんだったら、絶対距離取ってる。彼女もいるからって」


「……」


「このゲームだって、何か意味があってアタシにやらせようとしてるんでしょ? 雪妃にもやらせたことをアタシにもやらせて慰めようとか――」


「な、慰めるなんてそんな……」


「いいよ。慰めるってのは安易な表現。君はこんな身勝手なアタシにも何かしようとしてくれてる。どうしようもないよ、ほんとさ」


「……っ」


「どうしようもないくらい優しい。小学生みたいな言い方になっちゃうけど、君は本当に優しい」


 泣けてきちゃうくらい。


 色んな感情がない交ぜになった彼女の無理やり作られた笑顔。


 それは、俺の胸をこれでもかというほどに締め付けた。


 きつく。きつく。


 唇を噛み締めながら、下を向いて俺は首を横に振る。


 違うのだ、と。


「……俺が優しいなんてあり得ない。あり得ないんだよ、冴島さん」


 彼女は少し間を空け、それからクスッと笑った。


「謙遜する必要なんてどこにもないし。こういうのは他者評価がすべてだもん。アタシが優しいって言ったら優しい。それでいいの」


「良くない。だって、俺はまだ君に見せていない一面を持ってる」


「アタシに見せてない一面? 変な性癖とか?」


「っ……! そ、それもあるけど、女の子に対する考え方とか、引っ込み思案なとかところとか、眩しくてたまらない冴島さんみたいな人に対する嫌な考え方とか、勝手にいい人を演じて気持ちよくなってる性格の悪いところとか……!」


「……うん」


「今日こうしてエロゲに誘ったのだって否定はしたけど、根本的な部分で言えば自分勝手な思いのまま、冴島さんを慰めようとしてただけだ。君のことなんて全然考えてない。ただ、俺がこうすれば君が楽になれるとか、そんな安易なことしか考えてない。最低な奴で……!」


「……うん」


「エロゲをやってもらうことで君に引かれようとしてた。変なことをすれば、君の中で作り出した俺の虚像なんて簡単に崩れ落ちてしまうだろうだなんて、簡単に高をくくって……! カッコつけて独りよがりになって……!」


「……うん」


「他にも色々、本当に色々悪いところがあって、そんな俺なんかを好きになるなんて絶対にやめた方がいいのに、心の奥底では嬉しいと思ってる自分がいたりして……! そ、その、えっと、あ、アレ……? 何だ? 何……これ……?」


 気付けば、だった。


 自分の悪いところを語るのに必死になっていて、感情の揺れ動きに気付かなかったからだろうか。


 俺の目からはなぜか涙が浮かび、それが頬を伝って落ちていた。


 抑えようとしても収まってくれない。


 とめどなく流れる涙は、きっと俺がこの状況で流していいようなものじゃなかった。


 バカげてて笑えてくる。


 どう考えても違うだろ。


 何でだ。


「……ごめん……本当にごめん……冴島さん……。俺は……俺は……」


「いいよ。君がそうやって泣く必要ない」


 そんな言葉と同時に、彼女は耳に付けていたイヤホンを取り外し、それを机の上に置いた。


 それから俺の手を両手で掬うように握り、大切そうにしながら自身の胸の方へ持って行った。


「謝らなくちゃいけないのはアタシの方だから。君をそうやって苦しめてる。大人しく友達でい続ければいいのに、寄り添うような君の優しさに勝手に惹かれた」


「っ……」


「っふふ。でもほんと、君はどこまでいってもそんななんだから。悪いとこ言おうとしても優しさが滲み出てる。何? 私に引かれようとしてたって。そんなの、君がただ傷付くだけじゃん?」


 だとしてもだった。


 俺が傷付くことによって彼女が傷付くことを避けられるのならそれでいい。


 その方が百倍マシだ。


「普通はそんなことしないよ。今日のこともだけど、色々笑えることするなぁ」


「……ご、ごめん」


「ふふふっ。謝んなくてもいいってば。そういうとこ含めてアタシは君のことを好きになったんだから」


 見つめてくれる冴島さん。


 彼女の瞳にも涙が込み上げている。


 それでも泣くまいとしているのか、涙が頬を伝うことはなかった。


 俺の手を握っているのだが、そこへ力が込められる。


 どうしようもない想い。


 どうしてこうもままならないんだろう。


 そう思う。


 いっそのこと、俺の体がせめて真っ二つに分かれてしまって、一緒なだけ冴島さんのことも大切にしてあげられたならどれだけいいだろう。


 けど、それもまた俺の勝手な願いに過ぎない。自己満足だ。


 想いの結びつきは、たった一つであるからこそかけがえのないもので。


 二つになってしまえば、それは途端に寂しいものになる。


 そう理解していても、悲しくてたまらなかった。


 冴島さんの想いを受け取れないことが。


 それによって、どうしても彼女を傷付けてしまうことが。


「……帰ったら……しばらく哲学書でも読もうと思う……」


「へ? 哲学書?」


 こんな時に何を言ってるんだ。


 そんな思いが彼女の目線から伝わってくる。


 俺は短く答えた。


「どうして……好きな想いは一つしか持てないし……あげられないんだろうって……」


 冴島さんの目の色が少し変わった。


 一瞬暗くなって、でもそれはすぐににこりと微笑まれて元に戻って。


「……じゃあ、その哲学書……読み終わったらアタシにも貸して?」


 たぶん、アタシも読まないとダメなやつだから。


 俺なんかを想ってくれた女の子は、いつもよりももっと優しい声のトーンで俺にそう言ってくれるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る