第86話 絵里奈へのお誘い

文化祭委員の仕事も進みつつ、ゆぅちゃんと宿題を図書館でやる。冴島さんから言われた。告白した、と。


「あ、あはは……なんかごめんね。こんなことになっちゃって……」


 申し訳なさげに苦笑し、俺とゆぅちゃんに謝ってくる冴島さん。


 近場にあった市の文化交流センターへ涼みに入ったが、正解だ。


 考え事や暑さのせいで冴島さんにいつもの元気はない。


 笑ってるけど、それは明らかに作り笑いで、声に覇気がなかった。


「絵里奈、大丈夫? スポーツドリンク、それで足りる?」


 休憩スペースにあった椅子に冴島さんを座らせ、ゆぅちゃんは隣で彼女を看病する。


 タオルで汗を拭いてあげたり、スポーツドリンクを飲ませてあげてる。


 俺は冴島さんに触れるわけにもいかないし、二人を見守る形で立っていた。現状やれることといえば、冴島さんを心配することくらいだ。


「と、とりあえず体調がちょっとでも戻るまでは三人でここにいよう? 幸い許可なく使うな、って怒ってくる職員さんもいなさそうだし」


 俺が言うと、ゆぅちゃんは「そうだね」と冴島さんの方へ視線をやったまま頷いた。


 冴島さんは力なく笑むばかりだ。


 俺たちの前でそんな顔しなくてもいいのに。


「ダメだなぁ、アタシ。ほんとはさー、夏休みももすうぐで終わるから、カラオケ行ったり、カフェ行ったりして、二人の話を色々聞きたかったのに」


「で、でも、そうは言っても仕方ないよ。全部体調が良くてできることだ。体調が悪かったら素直に楽しむことだってできないし」


「うん……。絵里奈、今はとにかく休んで? まだ夏休みは少しあるから」


 お別れってわけじゃないし。


 ゆぅちゃんがぽつりと付け足す。


 すると、冴島さんはそれを反芻するように呟いた。


「お別れじゃない、かぁ」


 と。


 俺たち二人は疑問符を浮かべる。


 別にお別れではない。


 そんな話も彼女からは聞いていない。


「……確かに、物理的にはそうなのかもね。今は」


「……え?」「……? 絵里奈?」


 小さい声だったために聞き取れず、俺とゆぅちゃんは冴島さんへ聞き返すのだが、彼女は手を横に振って相変わらず苦笑しながら返してくれた。


「ううん。何でもない。それより……あはは……ごめん……」


 手に持っていたペットボトルを左右に軽く揺らす冴島さん。


 その中には、さっきまで入っていたはずのスポーツドリンクが無くなってる。


 なるほど、だ。


「了解。買ってくるよ。次はどんなものがいい? シンプルなやつか、それともビタミン系か」


「シンプルなやつでお願いしていい?」


「シンプルなやつね。了解」


 そう返し、俺は少し離れたところにある自動販売機へ歩こうとする。


 ……が、


「名和くん、ちょっと待ってくれる?」


「――え」


 呼び止められ、俺は急停止。


 体の正面を別の方へやったまま、ギギギ、と顔だけ冴島さんの方へ向けた。


 彼女はこれまた相変わらずに申し訳なさげで。


 俺もそれに釣られて少しだけテンションを落とした。


 どうしたんだろう。


 素直な疑問をもってして。


「……ドリンク、雪妃に買って来て欲しい」


「え……? ゆぅちゃんに……?」


 隣の様子を伺って、遠慮しながら頷く冴島さん。


 いつもならテンション高く、しかし嫌な感じのない言い方でお願いするのだが、今だけは別だ。


 嫌な感じはないけど、そのテンションが低い。


 低すぎだ。彼女の通常時に比べると。


 それにゆぅちゃんも釣られる。


 面倒くさいとか、嫌だとか、そういう気なんて起こってるようじゃなくて、ただ心配の気持ちが勝っていたようだ。


 二つ返事。いいよ、と。


 でも……。


「……じゃあ、私買ってくる。シンプルなやつ、だよね? 欲しいの」


「……うん。ほんとごめん、雪妃」


「いいよ。気にしないで。今は絵里奈、体調悪いんだから」


「……」


 頷くわけでもなく、うつむき気味になる冴島さん。


 そんな彼女を見て、ゆぅちゃんは立ち上がり、何か言いたげな表情で歩き出した。


 この場に残されたのは俺と冴島さんの二人。


 二人きりだ。


 二人きりにさせられてしまった。


「……っ……」


「………………」


 沈黙。


 気まずすぎる沈黙。


 いや、でも彼女は体調が悪い。


 気まずさを感じている場合じゃなくて、体調を気遣うようにしてあげないと。


 そう思い、心配するような一言をかけようとした矢先だ。


「名和くん」


 冴島さんから名前を呼ばれた。


 思わず体をビクつかせてしまう。


「あ、は、はい! な、何でしょう……?」


「ぷっ。何で敬語? 今さらじゃん」


「あっ……。つ、つい癖で……」


 癖って。


 冴島さんは笑う。


 これは作り笑いでも苦笑いでもない。


 本心からの微笑みだ。


「そういうとこ、雪妃の前でもまだ出ちゃうの?」


「え」


「雪妃もアタシと仲良かったし、こうやって仲良くなる前は君の中じゃ冴島絵里奈と同じ立ち位置にいる存在、みたいに認識してたんでしょ? 名和くん、自分で言ってたし」


「っ……」


「どう? 雪妃の前でもそんな感じ?」


 違う。


 答えは心の中で簡単に出ていた。


 でも、俺はそれを隠さなければならなかった。


 隠さず、あっけなく伝えてしまうと、その事実がたぶん冴島さんを傷付けてしまう。


 わかっていた。


 こういう風に思うことが傲慢だということも。


「……さあ……どうだろ……?」


「別に隠さないでいいじゃん。てか、隠そうと思って隠せるもんじゃないし、アタシは自分で聞いときながらその答えをもうわかってるんだから」


「なっ……」


「ふふっ。ハメたなって感じ? アタシはそんな気なかったんだけど? もうちょっと冷静になんなきゃねー。ふふふっ」


 一転して本当に楽しそうな冴島さん。


 俺は……事実を知られていた恥ずかしさやら申し訳なさやら、どうしていいのかわからなくなった頭でただ黙り込む。


 頬を掻くしかなかった。


 今度はこっちが苦笑して。


「そりゃね、こんだけ付き合ってて仲良くしてる子相手に敬語はないよ。実際、名和くんは雪妃のこと『ゆぅちゃん』って呼ぶくらいにはデレてるわけだし?」


「っ……。え、ええっと……」


「傍から見てても会話の最中に敬語使ってる様子見られないしね。残念でした」


「あ……あぁ……」


 もう恥ずか死ぬ。


 顔を抑え、俺は自分の体温が上がっていってるのを感じた。


 いっそのこと殺してくれ。


「……けど、それでいいんだと思う。それがいいんだよ」


「……え?」


「アタシ、なんか安心した。冷静に考えたらさ、君がアタシに現を抜かすということは、アタシの好きな雪妃を君が傷付けるってことだもん。つまり、アタシが君が誘惑するということは、自分で自分の首を絞めることに繋がる。そんなのバカじゃんね?」


「ゆ、誘惑って……」


「誘惑だよ? 君のこと、アタシ好きだもん。雪妃と同じ種類の感情で、雪妃と同じくらいの想いの強さ。えへへ。やるねぇ、名和くんは」


「……やるねぇって言われてもだよ……。それ俺、素直に喜んでいいのかな……?」


「皮肉だけどね。一応喜んでいいんでは? こんなに可愛いアタシを落としたんだからさ」


「っ~……」


「名和くんは自分に自信があんまりないみたいだからね。これを機にもっと自信付けてこーよ。ほら、今日照明係で移動してる時の廊下で皆からああやって言われても言い返せるくらいの自信」


「あの時かぁ……」


 思い出してゾッとする。


 叶うなら二度とああいう展開は訪れて欲しくないのだが、きっとこれから先あるんだろうなぁ、と思ったり。


 照明係の活動もまだ始まったばかりだし。


「アタシね、昨日君に告白したじゃん?」


「……う、うん。そう……だね」


「もう一度言うけど、あれは本心。君のことが大好きなの」


「っ……!」


 声にならない衝撃が体に走る。


 面と向かって言われるのは凄まじい。


 ……でも、だ。


 冴島さんは続ける。


「でも、安心して欲しい。アタシは努力する」


「……ど、努力……?」


「好きでありながら君の傍に居続けて、雪妃の傍にも居られる努力」


「……そんな……!」


 自分が嫌になってくる。


 俺は目の前の女の子に対していったい何を言わせているんだ。


 こんなのは俺が迎えたい彼女とのエンディングじゃなかった。


 だったら正しいエンディングが何なのか。


 そう聞かれても明確な答えは導き出せない。


 どうにか。


 どうにかしないと。


「後出しじゃんけんみたいな悪いことする人はね、結局報われないんだ。わかってるし、それを力で雪妃から君を奪って、なんてことだけはしたくない。というか、できない。君が雪妃を想ってるのだって、きっと本物だから」


「……っ」


「だからね、アタシは――」


「冴島さん」


 潤み始めていた彼女の瞳を真っ直ぐに見やり、俺は強く名前を呼んだ。


 そして、同じ目線になるため、彼女の隣へ腰を下ろす。


 俺は冴島さんの肩へそっと両手をやった。


「明後日とか、時間ある? たぶん、その日は委員のミーティングもないはずだけど」


「へ……? あ、う、うん。時間はあるけど……」


 それがどうかした?


 とばかりに首を傾げる。


 冴島さんの見開かれた瞳には動揺の色が浮かんでいた。


 俺は確かな意志をもってして提案する。


「じゃあ明後日、俺の家へ来て欲しい。一緒にやりたいことがある」


 冴島さんの肩にやっていた手へ力が入る。


 彼女もそれは同じみたいだ。


 一気に体を硬直させ、


「……え……?」


 頓狂な声で疑問符を浮かべた。


 無理もない話だった。

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