第82話 皆からの視線

 文化祭委員の夏休みミーティングは、普段俺たちがあまり足を踏み入れない校舎の二階。つまり、二年生の教室が立ち並ぶ中の空き教室で行われる。


 割と時間ギリギリで到着したせいか、俺とゆぅちゃんが教室の扉を開けると、そこには既にメンバーらしき人全員が集まっていて、二年、三年の先輩方が勢揃いしてらっしゃる。


 大隅先輩もいたし、灰谷さんや武藤さん、それから冴島さんもいた。


 冴島さんだけは、俺と目が合うと、すぐに視線を逸らす。


 気まずさはその立ち居振る舞いからビンビンに感じ取れた。それもそうだ。昨日、あんなことがあったんだから。


「先輩、月森さんと名和君、二人とも来ました。これで全員です」


 大隅先輩が言うと、部屋の最奥で椅子に腰掛けていた男の人が穏やかな表情で頷く。


「ん、了解。じゃあ、さっそくで悪いけれど、各々机と椅子を移動させて全体で円を作ろうか。皆の顔が見られるようにね」


 恐らく三年生だ。


 三年であり、この文化祭員のリーダーでもありそうな彼が指示を出すと、この教室の中にいたおおよそ二十人ほどが一斉に動き始める。


 ただ、それは軍隊のように粛々と、というわけでもない。


 既にこのメンバーの仲は完成されているのか、数人が茶化すような声を上げる。


「葉木さん、どうせなら全員が集まるまでに円作るよう言っといてくれればよかったのに。さっきまで暇だったんですから~」

「それはありますね~。俺たち、そんくらいやっときましたよ~」

「ほんと暇っちゃ暇でしたからねw」


 言われ、葉木さんという名らしいリーダーっぽそうな彼は、いやいや、と手を横に振った。あくまでも笑顔だ。


「どうせならエアコンが効き始めたくらいに動く方がマシだと思ったんだ。ほら、さっきまですごく暑かったし、今になってようやく涼しいかな、くらいに部屋の温度が下がってる。汗かきながら皆を動かすのも気が引けたんだよ」


「おぉう。言うねぇ。さすがはリーダー。皆のことをよく考えてらっしゃる。ほら、わかったらアンタらは無駄口叩いてないで机並べな」


 葉木さんの発言の後、すかさずフォローに入って茶化していた男子たちを律する女子。


 彼女も恐らく俺たちからしたら先輩だ。


 他クラスでもあの顔は見たことがない。メガネとおさげの髪の毛が良く似合ってる。個人的に好きな組み合わせ。


「さ、さと君……。私たちも机と椅子移動させよっか……」


 この場にいる人たちのことを観察していたところ、隣からゆぅちゃんがこそっと言ってきた。


 それでハッとする。


 確かにその通りだ。一年生なのに、動かないで突っ立ってたら何か言われてもおかしくない。初っ端から目を付けられるのだけは勘弁だ。


「ん。あー、いいよ。これは私が運んでおくから」


 置いてあった机に手を出そうとしたところ、その傍にいた女子がにこやかに俺より早く机へ手をかける。


 この人も見たことが無かった。たぶん先輩だ。


「い、いえ。自分、一年なんで。先輩は並べられてる椅子にもう座ってくださって構いません」


「残念。それを言うなら私も一年でした。えっへへ。同級生だね」


 な、何……だと……?


 雷に打たれたような感覚。嘘だろ。この人一年なの? でも、他クラスとかでもあんまり見たことない気がするんだが?


「爆笑w さっそく同級の奴のこと先輩と勘違いしてやんのw 名和くん、いくら友達が少ないからってそりゃないよw 一年の奴の顔くらい覚えとこーぜw」


 横から武藤さんが俺のことを肘で突きながら言ってきた。傍には灰谷さんもいる。


「まあまあ~。ナワナワ、ありがとね。今日は来てくれて~」


「いえいえ、そんな。あれだけ頼まれたら参加しないわけには」


「……あははっ。そっかそっか」


 安堵したような微笑を浮かべる灰谷さん。


 彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。先輩が多いからか、どことなく大人しい感じだ。


「まあ、存在を知られてなかったのなら軽く名前だけ教えとくね。私、荒田志保あらたしほ。部活は陸上部。よろしくっ」


 ピースと共に眩しい笑顔を向けてくれる荒田さん。


 なるほど。これで俺が名前を把握してなかった理由がわかった。


 眩し過ぎるんだ、彼女。表情からもわかるけど、これは絶対にいい人。


 優しくて、明るくて、誰にでも分け隔てなく接するタイプの超絶陽キャラ。


 眩し過ぎるがゆえに、俺は彼女から自然と目を逸らしていた。


 ほら、アレだ。太陽を直視できない、みたいなアレ。うん。自分でも何言ってんだって感じだけど、とにかくもうそういうこと。


「あ、え、えと、名和聡里なわさとりです……」


「ぶっふっw 声ちっさw」


 自己紹介返しをしたというのに、傍で武藤さんが吹き出す。


 もうほんと、この人は余計なことを言わないで欲しい。


 声ちっさ、という言葉が俺の胸に深く深く突き刺さる。


 それはもはや、言葉と言う名の暴力だった。ほんとやめて。シンプルに傷付いたよ。事実なんだけども。


「せっかく可愛い可愛い彼女さん連れてんだからさ~、もっと胸張って男らしく自己紹介くらいしなよ、名和くんもさ~」


 最悪だった。


 武藤さん、遠慮のない声の大きさで言うもんだから、皆が一斉に俺の方を見てくる。


「え、あの子彼女いるんだ」

「もしかして、隣のあの可愛い?」

「月森さん……だっけ?」

「えー……! うそぉ、見えない……!」

「どういう経緯で……?」


 名前も顔も知らない人たちの視線が痛い。


 大隅先輩も、冴島さんだって俺の方を見てた。


「あ、あはは……。なんかすごい注目集めちゃった」


 ほんとこの人は……!


 皆の前だ。いつものノリで武藤さんを責めることもできず、俺はただ心の中で彼女を睨み付け、表向きではひたすらに下を向く。


 この状況。もう何も言わずに乗り切るしかない。


 そう思ってたんだけど……。


「っ……!?」


 ギョッとした。


 隣にいたゆぅちゃんが、皆の前だっていうのに俺の右腕を抱いてきて――


「そ、そうです……。私たち……お付き合いしてます……」


 ボソッと小さい声で告白。


 空き教室内は一斉にざわめきたち、もはやミーティングどころではない雰囲気になってしまった。


 男子の先輩やら、女子の先輩がキャーキャーはしゃぎ、大興奮。


 今から真面目な会議をするんだろうに、こんなのでいいんだろうか……。


 俺はもう前を見ることができなかった。


 だけど、ゆぅちゃんと付き合ってるのは事実。


 否定もできず、ただ黙り込むだけ。


 前からはたくさんの先輩方が質問しに寄ってきた。まるで有名人にでもなった気分だ。


「えー! 名和君、どういう経緯で月森さんと付き合ったの!? 馴れ初め教えてー!」

「弱み握ったとか!? 弱み握ったとか!?」

「名和ー! なんか言ってくれー!」

「くっそぉぉぉぉ! 羨ましいぞぉぉぉぉぉぉ!」


 こんな大勢の大騒ぎの前。


 ゆぅちゃんと付き合った経緯なんて雑に話せるもんじゃない。


 さすがに言えなかった。


 だんまりを決め込み、ひたすらに耐えていた時だ。


「はい! 一回静かに、皆!」


 穏やかだが、よく通る強い声が室内に響いた。


 雑音のすべてが一瞬でかき消される。皆が黙り、静かになった。


「名和君に話を聞きたいのはわかるけどね、集まった趣旨を忘れないで。僕たちが今から行うのはミーティングだ。文化祭員としてのね」


 間違いない。


 正論だ。


 でも、その正論でうるさかったこの場を静かにできる。


 この人の凄さを垣間見た気がした。


「質問なら後でいくらでもするがいいさ。とにかく、今は会議に集中。わかったかい?」


 渋々な態度で皆言うことを聞く。


 それが凄い。


 凄いんだけど――


「っ……」


 そんな中、俺は冷や汗を流す。


 大隅先輩。


 俺への注目が逸れていく中、彼だけはずっと俺のことを見ていた。


 何か言いたげに、そして、何かを企んでいるかのような瞳で。

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