第73話 ゆぅちゃんの脳回復

 それから少しして。


 ゆぅちゃんは俺の勧めた通り、四冊の寝取られ同人誌を読み切ってくれた。


「あ……あぅぅ……うぅぅぅ……」


 結果として、精神的なダメージを負わせてしまったというところではあるのだが……。


「ありがとう、ゆぅちゃん。それから、ごめん、ゆぅちゃん。これも破壊されてしまった脳を回復させるために必要なことなんだ」


横たわり、ぐったりする彼女の前で、俺は手を擦り合わせながら合掌ポーズ。


 ゆぅちゃんは、死体のようになりながら、ひたすら同人誌に出てきた登場人物の名前を呟いている。正直、俺はやり過ぎてしまったのかもしれない。不安になってきた。


「ひどいよ……ひどい……本当に……このジャンルを作った人は罪に問われるべきだと思う……」


「それは同意でしかない。でも、この世界には寝取られでしか欲を満たせない悲しい人たちもいるんだ。どうかわかってあげて」


「若菜ちゃん……柚希ちゃん……どうして……どうしてぇ……」


 しまいには本当に涙を浮かべ出すゆぅちゃん。


 その姿を見て、俺も涙しそうになる。


 読ませてしまったのは俺だけど、可哀想に。寝取られ四連続で感情がぐちゃぐちゃになってる。


 ただ、ここだ。


 ここでアレをぶち込むんだ。


 俺は置いていたリュックサックの中から、次なる兵器を取り出す。


「ゆぅちゃん。じゃあ、次はこれを読んでみようか」


「や……! もう寝取られ同人誌は嫌なの……!」


「違うよ、これは寝取られモノじゃない。よく見てみて?」


 俺の言葉を受け、ゆぅちゃんはそーっとこちらへ視線をくれる。


 俺が手に持っていたのは、二人の男女が見つめ合っている表紙の純愛同人誌。


 見るからに寝取られ要素は無い。


 これを読んで、破壊された脳の超回復を行う。


 ……そのつもりだったんだけど。


「いやぁぁぁ! それ嫌だ! 嫌なの!」


「え、えぇ!? ど、どうして!? 表紙から見てもわかるでしょ!? 純愛だよこれ、ゆぅちゃん!」


 訴えるも、ゆぅちゃんは怯えるようにして首を横に振り、


「わ、私、知ってる! 表紙で純愛を装っておいて、中身はすっごいすっごい残酷な寝取られするの! やだもん! この二人が仲を引き裂かれて離れ離れになっちゃうの! そんなの読んだら私……し、死んじゃう!」


 もはや寝取られがトラウマの域に達しているゆぅちゃんだった。


 顔を青ざめさせ、怯えながら言ってくる。


 やり過ぎたかもしれない。じゃなくて、やり過ぎだった。四冊も寝取られモノ読ませたの。深く反省だ。本当にごめんゆぅちゃん。


「だ、大丈夫だよ。これはそういうの一切無いし、この旅行を通じてゆぅちゃんに読んで欲しいなって思ってた一冊なんだ」


「さと君の鬼……! 悪魔……! 私、もう騙されないんだから……!」


 がるる、と威嚇しながら睨み付けられる。


 さめざめと泣きたくなった。


 まさかゆぅちゃんにそこまで言われてしまうとは。


「そ、その呼び方はやめてぇ……。べ、別にそういうつもりなかったんだ……。俺はあくまでもゆぅちゃんの壊れた脳を修復してあげようと思っただけで……」


「修復するどころか、もっと壊れちゃったよ……! うぅぅぅ……! もうっ……! もうっ……! もぅっっっ……!」


「……牛かな?」


「ばかっ……!」


 ベシベシ、と太ももを叩かれてしまう。


 まったく、何てことだ。


 脳超回復作戦は完全な失敗に終わってしまった。


 まさかゆぅちゃんのご機嫌を損ねてしまうどころか、嫌われてしまうようなことになるなんて。


 せっかく初めてこうして二人きりで旅行に来たのに。


 俺は……俺は……!


 そうして、自分で自分のことを呪っていた刹那だ。


 涙目でお怒りのゆぅちゃんが、突如として俺に抱き着いてきた。


「――!?」


 俺は完全に虚を突かれて、床に正座していたところから、上体のバランスを崩してしまいそうになる。


 なんとか転んで仰向けになってしまうのを手で阻止するものの、状況が読めなさ過ぎてポカンとした。


 そのまま一瞬の沈黙が生まれる。


 ゆぅちゃん、さっきまで怒ってなかったっけ……?


「え、えと……その……雪妃さん……?」


「んん……! ゆぅちゃんって呼んで……!」


 いかん。やっぱりまだ怒ってる。


 俺は慌てて訂正。


 ゆぅちゃん、と呼び直した。


「……さと君の……ばか……」


「ごめんなさい……本当に……。ちょっと色々と調子に乗り過ぎてしまいました……」


「四冊も……こんなの読みたくなかったよぉ……!」


「うん……ごめん……脳回復のためとはいえさすがにやり過ぎた……」


 ひたすらに謝る俺。


 ゆぅちゃんはそんな俺の顔を見るためか、密着していた自分の体を俺から離す。


 そして続けた。


「色々考えてくれてたのは嬉しいよ……? 私のためにしてくれてたってことはわかってるし……」


「はい……」


「でもね、私、本当はさと君と一緒に今回の旅行を楽しむだけでよかったの」


「……え」


「もちろん、同人誌を読むのは好きだから、ショップで色々買いたい。寝取られで傷付いた気持ちを癒せるものがいいなって思ってた」


「……うん」


「けど、そんなのは少し建前。私の一番の癒しは、さと君が傍にいてくれること。さと君と一緒に色々な場所へ行くこと」


「……」


「旅行先で寝取られ同人誌をたくさん読むことじゃないの……」


「っ……」


「……ごめんね。何度も言うけど、せっかく色々考えてくれてたのに」


 いや、違う。


 謝るのはゆぅちゃんじゃない。


 俺だ。俺なんだ。


 寝取られ同人誌を不用意に読ませてしまった俺に非はある。


 溢れる思いのまま、俺は彼女のことを抱き返した。


 不意を突かれたのか、ゆぅちゃんは小さく「ひゃっ」と声を漏らした。


「違う。違うよ。ゆぅちゃんは謝らなくていい。明らかに変なことしてたのは俺だから、謝るのは俺だ」


「……でも、ごめんねって言葉は別にいらないよ……? そういうのより、こうして抱き締めてくれたら……私は一番……」


「じゃあ、もうずっと抱き締めてる! こうして、ずっとずっと!」


 意志の強さそのままに、俺は高らかに宣言した。


 今日はこれから同人誌ショップを巡る予定だったけれど、少しくらい時間にズレが生じてもいい。


 最近は色々とごたついているし、まだ解決できていない大隅先輩の件が俺の中でモヤになってずっと残ってる。


 ゆぅちゃんとの仲を深めて、つながりを強くさせておきたい。


 大隅先輩なんかが入って来ても、絶対に揺さぶられない絆。


 それを、この旅行で俺は築いておきたいんだ。


 もっともっと、ゆぅちゃんのことを知りたい。


 恥ずかしいところも何もかも。


「……ね、ねぇ、さと君……?」


「……? どうかした?」


 抱き合っている最中に、彼女が消え入りそうな甘い声で俺の名前を呼んできた。


「きょ、今日の夜のことについて……一つ相談があるんだけど……」


 俺の心臓はドクンと跳ねた。

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