第70話 二人一緒に脳破壊。

「はむっ。ふむっ。んんんっ! 美味しい! これ、美味しいよ! ゆぅちゃん!」


 東京行きで乗った新幹線の車内。


 俺は、さっそくゆぅちゃんが作って来てくれたというサンドイッチを頬張り、その美味しさにただ感動していた。


「ふふっ。そんなに慌てなくても大丈夫だよ、さと君。サンドイッチは逃げないから」


「いやいや、逃げるかもって不安になるよ。こんなに美味しいと」


「……逃げないよ。そのサンドイッチ、さと君に食べられるために私の手から生まれたものだし」


 言い方ですよ、雪妃さん。


 微笑を浮かべながら言う彼女は、どこかそのセリフも相まって、ヤンデレというやつに見えてしまう。


 心なしか、今日は表情にも陰が見えるっていうか……闇が伺える。


 そんな気がした。


 ……まあ、そういうクソデカ感情が彼氏である俺からすれば嬉しいわけですが。俺も大概だな、と思う。自分で自分のこと。


「あとね、もしそれでもさと君の元から逃げようとするサンドイッチがあったとすれば、私がこの使い捨てのお弁当箱の中に鎖でつないで、逃げられないようにしてあげる」


「……へ……?」


 雪妃さん……。なんか顔が怖いです……。


「私の前から逃げようとするものはね、何でも鎖につないでおけばいいんだよ。暴れても、ジタバタしても、絶対にそこから逃げられない、固い固い鎖で」


「え……」


「あははっ……! けど、仕方ないよね……? 本当は私のモノなのに、簡単に別のところへ行こうとするんだもん。私の手から生まれて、私の一部だったのに、他の何かにほだされて、別の場所へ行こうとしてるんだから。さと君以外のどこかに」


「あ……あの……雪妃さん……?」


「フフフフフ……。ユルサナイ……絶対に……ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナ――」


「ゆ、ゆぅちゃん……!」


 なぜか一人で暗黒面に堕ちかけてるゆぅちゃんの手を握り、正気に戻してあげる。


 彼女はハッとし、笑顔で首を傾げてきた。


「……? なぁに? さと君?」


 ダメだ。


 目を見ただけでわかる。


 今日のゆぅちゃん、だいぶヤられてる。


 想像以上にダメージ負ってるみたい。


「え、えっと……その……そんなにヤバかったの? 読んだ同人誌」


「へ……?」


「もう、漏れ出てるので。その傷から吹き出す闇が……」


 少し厨二病っぽいセリフだけど、そんなことをツッコむ人はこの場に誰もいなかった。


 ゆぅちゃんは俺の言葉を聞き、ジッと見つめる瞳からなんと一筋の涙。


 ギョッとしてしまう。あんまりにもいきなりだから。


「ゆ、ゆぅちゃん!? だだだ、大丈夫!?」


「あ……う、うん。大丈夫……だいじょうぶ……ぐすっ……」


「どう見ても大丈夫じゃないね! はい、これ。使って?」


 ポケットに忍ばせていた、まだ綺麗なハンカチを彼女に渡す。


 ゆぅちゃんは「ありがと」とそれを受け取ってくれ、目元を覆った。


 覆ったまま、「うぇぇ……」と小さく泣き声を漏らす。


 漏らしながら、俺の方に頭をもたれかけさせてきた。


 本当に重症だ。


「カナちゃんが……! カナちゃんがぁ……!」


「え? か、カナちゃん?」


「同人誌の中のヒロイン。寝取られて、変わってしまって、主人公のナミキ君を裏切るの……」


「あ……あぁ……」


 堕ちモノ、ですか。


 ありがちなやつと言えばありがちなやつ。


 というか、寝取られのほとんどは『堕ち』をウリとしてるわけだが。


「それも、一人の男の人に寝取られてってわけじゃないんだよ? 複数の男の人のはけ口になって、それを良しとしてるの……。何で……? どうして……? 普通、そんなのおかしい話でしかないのに……」


「ちょ、ちょっと待ってゆぅちゃん。おっけー。ゆぅちゃんが寝取られ同人にえげつないくらい脳破壊されたのはよくわかったけど、まずは詳細だよ。どんな内容のものを読んだのか、順を追って話してくれる? 感想共有したいから」


「……じゃあ、はい、これ」


「……?」


 ゆぅちゃんは自分のスマホの電源を入れ、タップ&スワイプし、とある画面が開かれたところで、それを俺に渡してきた。


「私、電子で買ってるから、それを今から読んでくれる……? 東京に着くまで……ううん。東京に着いてからも、一緒に感想共有しよ……?」


「お、おぉ……」


「じゃないと私、これから先も傷付いたまま生きていくことになりそうなので……」


 涙を浮かべながら、切ない表情で俺へ訴えてくるゆぅちゃん。


 俺は彼女のその訴えを受け、傷の深さを理解して頷いた。


 わかった、と。


 手に持っていたサンドイッチの残りを口へ放り込みながら。






●〇●〇●〇●






 新幹線に揺られること、おおよそ三十分ほど。


 時間を掛けてもいいから、コマの細部、描写の隅々までしっかり見て、感想を聞かせて欲しいというゆぅちゃんのお願いを受け、俺は言葉通りそうした。


 するとまあ、すべて読み終えるのにこれくらいの時間がかかったわけだ。


 俺は天井を見上げ、一つ息を吐く。


 それがすべてを読み終えた合図になる。


 待ってました、とばかりにゆぅちゃんが隣から声を掛けて来た。


「どうだった?」


 不安と、期待と、それから何か。


 彼女の瞳には、それらがない交ぜになった複雑なモノが浮かんでいたが、とりあえず俺は咳払いし、股間部分を隠すように、もじもじしながら切り出した。


「ヤバい。エロい」


「だよね……!?」


「それも、劇薬みたいだ。今まで感じたことのないエロス。死ぬほど胸糞悪いけど、とんでもなかった。なんか…………うぅぅ……ゆぅちゃんが闇堕ちしかける理由がわかった気がする」


「わかってくれた!? そうだよね!? そうだよね!?」


 俺の手を握り、それを強く握りながら言ってくるゆぅちゃん。


 彼女と付き合い始めて、これは何度思ったことかわからないけど、学校で見るクールな雰囲気はどこへやら、だ。


 テンションが上がって、声音もおかしなことになってる。一応、新幹線の中だから、ボリューム自体は抑えめではあるけども。


「大抵の寝取られ作品って、一人の男の人に恋人や奥さん、想い人が奪われるってモノが多いと思うの。でも、この作品……【孕ませ村の淫習】は大勢の男の人からヒロインが……カナちゃんが犯されて、それで主人公の知ってる彼女じゃなくなっていく。ひどい作品なんだよ!」


「ひどい作品って言っても、それは貶し言葉じゃないよね? ゆぅちゃんの言ってた通り、描写から細かいコマまでしっかり見たけど、どれも心理描写が緻密で、作者の腕の良さを感じる。正直、こんなの寝取られ同人誌で感じたくなかったことではあるんだけど。より一層脳破壊されるから……」


「そうなの! 本当にそうなの! やっぱりさと君はすごいよ! 私の思ってること、全部言葉にしてくれる! 欲しかった感想くれる! うぅぅ! 好き! 大好き!」


 いかん。


 あのクールビューティなゆぅちゃんが恥ずかしがることなく冴島さんのごとく俺のことを『好き』と言ってくれる。


 キャラ崩壊が凄まじい。これが同人誌の力というやつか。


「……しかし、これなぁ……うぁぁ……なんか俺もダメージ凄い……」


「私もだよ……。しばらくは忘れられそうにない……何でここまでの作品を読んじゃったんだろ……。少し後悔してる……」


「わかる……。こう、なんていうか、同人誌は何もここまでしてくれなくていいんだよね……」


 ゆぅちゃんには決して簡単に言えないけど、『慰めるのに使うことができればいい』のだ。


 精巧なストーリー進行、心をえぐるエロスが読みたいってわけじゃない。


 もちろん、作者としては大勢の人に読ませたいから、すごいものを作ろうって気になるのはわかる。


 けど、これはいくら何でもやり過ぎだ。


 同人誌のレベルを逸脱してる。不必要なくらいに。


「……ゆぅちゃん……」


「……? 何? さと君?」


「あ、あの、こんなこと絶対に無いと思うけど、もしも俺とゆぅちゃんがこういう村にいた身だとしても……ゆぅちゃんはこういう風にならないで……? お願いだから……」


「――! そ、そんなのならないよ! なるわけない! 絶対にならないから!」


「……うぅぅ……本当に……?」


「ほんと! ほんとだよ! だ、だってそんな……好きでもない大勢の男の人たちとの子ども……とか……私は絶対に無理だから!」


「ゆぅちゃん……ゆぅちゃん……あぁぁぁ……」


「そ、そもそもこんな目に遭ったら、現実の女の子は快楽堕ちどころか廃人化してる! ショックだもん! 絶望だもん! 結局カナちゃん、主人公のナミキ君にも村に置き去りにされてるし!」


「ゆぅちゃぁん……ふぇぇぇぇ!」


 結局、俺も見事に脳を壊された。


 なんてこった、というほかない。


 旅行開始早々、俺たち二人は脳破壊カップルとして東京の地へ足を踏み入れることになったのだった。













【作者コメ】

描いててわかる。好き勝手にやり過ぎだと。

しかし、ここにこそせせら木の描きたいものがあるッ!

ラブコメが!!!!! あるッッッッッッ!!!!!!!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る