第61話 あなたに堕ちてるの

 決して広いとは言えないものの、簡素で整えられた男子更衣室。


 そこは、ざっと確認したところ、現在利用してるのはどう見ても俺一人で。


 女の人なんて、いるはずがなかった。


 まあ、当然と言えば当然だ。


 女子更衣室じゃなく、男子更衣室なわけだし。


 だけど……。


「ゆ……ゆぅちゃん……!?」


 背後から声を掛けられ、振り向いた先には、白百合のように儚い俺の恋人が立っていた。


 未だ着替えていない、私服姿のままで。


「さ……さと君……き……来ちゃった……」


「き、来ちゃったって……! え、えぇぇ!?」


 恥ずかしそうに、もじもじしながら上目遣いで言うゆぅちゃんだけど、俺は一瞬でパニックに陥った。


 ヤバい。


 何がヤバいって、ここは言うまでもなく男子更衣室。


 男の人が生まれたままの姿になって、私服着から水着に、水着から私服着にチェンジする場だ。ポロリがありまくる。●●●の大解放ゾーンでしかない。そんなものを純粋なゆぅちゃんに見せられるはずがなかった。


 というか、かく言う俺も、今の恰好はあまりよくない。


 ボクサーパンツ一枚の姿だし、これを剥がされたら、完全に真っ裸。


 剥かれた状態の上半身だって、何気にゆぅちゃんに見せるのはお初だ。そう考えると、ますます興h……じゃなく、頭の中が混乱した。どうすんの、この状況!?


「ゆゆゆ、ゆぅちゃん!? と、とにかく今すぐここから出て!? 何か理由があって来てくれたのかもしれないけど、他の男の人が入って来ちゃったら、その時はもう終わりだから!」


「……ごめんなさい。それは……嫌」


「い、嫌!? な、何で!? て、てか、そんなこと言ってる暇な――」


「だって、さと君がずっと考え事して頭抱えてるの、見ていられなくて……」


「……!」


 訴えかけるように、前のめりで言ってくるゆぅちゃん。


 俺は、そんな彼女を前にして、言葉を返すことができなかった。


 心配させてしまった、という事実に、ただただ申し訳なくなる。


 視線も彼女から逸らし、足元の方へやった。


「ご、ごめん……ゆぅちゃん。余計な心配させて……」


 途切れ途切れに言う俺。


 ゆぅちゃんは、そんな俺を前に、首を横に振り、


「さと君は謝る必要ない。誰が悪いとか……こういうの、私の口からは言いづらいんだけど……」


「っ……」


「とにかく、さと君は謝ってくれなくてもいいよ。私がしっかりしておけばいいだけの話だもん。大隅先輩から何か言われても」


「……ゆぅ……ちゃん……」


「大丈夫。夏休みが明けたら、先輩にちゃんと言うつもり。私が好きなのは、名和聡里君ただ一人ですって」


 ほのかに赤い頬をし、俺の胸に縋りつくように体重を預けてくるゆぅちゃん。


 俺は、そんな彼女を受け止め、近くなった顔をドキドキしながら見つめる。


 見つめながら、思わず目を潤ませてしまい、笑みをこぼしてしまった。


 ゆぅちゃんが首を傾げる。


「さと君? どうかした?」


「あ、いや……ううん。何でもない……ってことも無いんだけど」


「……?」


 目をゴシゴシと手で拭う。


 軽く泣いてしまってるのは、きっと彼女に悟られてるはずだ。


 それでも、俺は続けた。


「俺、こんなに幸せでいいのかなって」


「幸せ……?」


 頷く。


「何の取柄も無くて、客観的に見たら大隅先輩に男として何一つ勝ってる要素無いのに、ゆぅちゃんはどこまで行っても俺のところにいてくれる。それを改めて感じて……なんか……ははは」


 ダメだ。


 言いながら、また泣けてきた。


 今までの人生で、母親を除き、ここまで俺のことを肯定してくれる女の子なんていなかった。


 付き合ってまだ間もない。


 俺たちの関係は、これからさらに強く、大切なものにしていこうって段階なはずなのに、果てしない安心感すら感じさせてくれる。


 ゆぅちゃん。


 やっぱり、俺は君のことを誰かに奪われたくない。


 どんなにカッコよくて、どんなにお金持ちで、どんなに心優しい男の人が君の目の前に現れようとも。


 絶対に、君をどこかへなんて行かせたくない。


 こんな独占欲、冴えない俺なんかが抱く権利無いと思ってたんだけど。


「……さと君……」


 涙を拭う俺の頬を、ゆぅちゃんは撫でてくれる。


 そして、自身の額を俺の額にくっつけながら、優しい声音と表情で続けた。


「そんなの、私もだよ?」


「……え……?」


「私も幸せ。まだ付き合って時間も経ってないけど」


「……ゆぅちゃん……」


「私は、もうあなたに身も心も堕ちきってるから」


「っ……」


「どんな男の人が好意を伝えてきても、何があったとしても、あなたじゃないとダメなの」


 好き。さと君。大好き。


 囁くように言って、ゆぅちゃんは俺の唇に、自身の唇を重ねてきた。


 キス。


 暑くて、風通しが悪くて、けたたましいセミの鳴き声がするこの空間でも、その行為はあり得ないくらい幸福感を運んでくれるものだった。


 脳が溶けそうだ。


 甘過ぎる。あまりにも。


「……はぁ」


「はぁ……はぁ……」


 唇を離し、互いに荒く呼吸を再開させる。


 ゆぅちゃんの瞳は、キスの甘さのせいでとろんとし、俺の中の感情をこれでもかというほどに刺激してくる。


 良くない。良く無さ過ぎる。


 そもそも俺、今ボクサーパンツ一枚で――


「っ……!」


 ハッとした。


 完全に意識の外だった自分の股間部分に目が行く。


「あっ……!」


「……あ……」


 青ざめる俺と、赤くなるゆぅちゃん。


 俺の一部分は、完全に凹凸の凸状態になっていて、情けないくらいの戦闘モード。


 恥ずかしさのあまり、俺は叫びながらその場でしゃがみ込み、ただただゆぅちゃんに謝るのだった。


 勃ててしまって申し訳ございません、と。










【作者コメ】次話も更衣室内でのやり取りが続きます! エッチでごめんなさい……。次回もこんな感じ……いや、もっとアレなやり取りが展開されそう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る