第37話 男の子も、女の子も

 冴島さんの家の中に入った俺は、彼女をリビングのソファに下ろすと、すぐさま言われた通り救急箱を用意した。


 この中にバンソウコウも消毒液も、何もかも入ってるらしい。


 主従の関係みたいに彼女の目の前で跪き、傷の治療を開始させた。


 ティッシュに消毒液を浸し、擦り傷へあてがう。


「痛っ……!」


 瞬間的に冴島さんは顔を歪め、体をビクつかせた。


 俺はそれでも手当をやめない。


「すいません。もう少しだけ我慢してください。ちゃんと消毒しとかないと、ばい菌とか入るので」


「だからって、ちょっと強く押し当て過ぎじゃない? 擦らないだけマシだけど」


「擦りはしませんよ。絶対に。あと、押し当てる強さもこれくらいでいいんです。軽く触れるように押し当てるだけじゃ無意味なんで」


「ほんと? てか、何でそんな専門家みたいな感じ? 名和くん、別に保健室の先生とかになりたいわけじゃないよね? もしかして、看護師志望?」


「俺が志望するのは専業主夫ですよ。働きたくないし、働いたら負けだと思ってますから」


 思い切り軽蔑してるような、呆れられてるような目で見つめられた。


 いや、そりゃそうですよね。冗談だとしても、こんなネットに強い人じゃないとわからないネタをぶち込むのはやり過ぎだ。ちょっと恥ずかしくなった。すみません。マジで。調子乗りました。


「っていうのはさすがに冗談ですけどね? 別に俺、看護師志望でも何でもないです。中学の頃の経験を活かしてるだけで」


「中学の頃の経験?」


 疑問符を浮かべる彼女に対し、俺は頷き、続ける。


「保健委員だったんです。三年連続。だから、体育祭とかでも保健室テントで怪我人の治療したりとかしてて」


「へぇ。保健委員。なんか意外だ。名和くんが保健委員って。てっきり何にも属してなかったのかと」


「まあ、さっき言いましたもんね。『働いたら負け』とか」


「うん。ネットでしか聞いたことなかったのに、リアルで本当に言う人がいるなんて思いもしなかったよ。アタシ、真面目に聞いたつもりだったのに」


「知ってんですか……ネットで出回ってるネタだって……」


 そっちの方が意外だよ。何で知ってんだよ。冴島さんが。


「知ってますとも。アタシ、こう見えてネットサーフィンとかよくやるタイプだし」


「意外だ……。なんかむしろそういうことする人をバカにでもしてるのかと、てっきり……」


 俺の言葉に、冴島さんは首を横に振る。


「そんなことしないって。名和くんの中でアタシはどんな人なの? なんか、すごく感じ悪い人として認識されてそう」


「感じ悪くはないですけど、俺なんか精々あなた様の前じゃ椅子同然になるものだって考えてるくらいには畏れ多く思ってます。あ、何なら今ここで俺の背に座りますか? いつ座られても満足してもらえるよう、最近は色々研究をしてるんです」


「座んないから。そんなこと研究もしなくていい。てか、早く傷のケアの続きして? 消毒液ティッシュ押し当てられたままだとヒリヒリするから」


「あっ……! そ、そうですね! 了解です!」


 言って、俺はティッシュを交換し、傷口部分の汚れを取り除く作業に専念。


 ただ、そこで会話は途切れ、微妙な沈黙が訪れる。


 気まずさが生まれた。


 俺は今日、言いたいことを言いに冴島さんの元を訪れたのだ。傷のケアだけをしに来たわけじゃない。


 沈黙を破り、再び声を掛けた。


「その……冴島さん?」


「何?」


「何て言ったらいいのか、言い方に困るんですけど……うーん、えっと」


「……? 何? どうしたの?」


「あ、いや、あのですね……」


「言いたいことがあるならハッキリしなよ? 今、ここにはアタシと君の二人しかいないんだし」


「それはそうなんですけど……」


「期末テスト、いつもより力抜いてくれって言うのは無しね?」


「そ、そんなんじゃないです! それだけは違くて……」


 言いたいことは決まってる。


 ただ、それをどう切り出して言うべきか、悩んでいた。


 つい、下を向いてしまう。


 俺はダメな奴だ。ここまで来たら、思いを口にすればいいだけだというのに。


「……まあ、わかってることだけどね。君がそういう人じゃないってことは」


「え……?」


「アタシだって、別に今回の期末テスト、美海たちがああ言ってるけど、点数高い方が雪妃を独り占めできるだなんて本気で思ってるわけない」


「そ、そうなんですか……?」


 呆気に取られたかのように俺が小首を傾げると、冴島さんは自虐的な笑みを浮かべながら頷いた。


「そりゃそうじゃん? 雪妃はモノじゃないし、あの子にも気持ちとかあるし。ていうか、それ以前にアタシはもう無理だって言われたから。友達以上の関係になるの」


「……」


「アタシ、どうして女の子に生まれちゃったのかなって思う。男の子だったら、君にも負けなかったのに。好きって想いも、君より強い自信あるから」


「冴島さん……」


「けど、そういう勝手な考えに走っちゃうのも、アタシがまだ雪妃のことをちゃんと真に理解してないからかもしれないね。どうしたってアタシは女の子だから。友達以上の関係にはなれないから。深くは知ることができない。できないんだ」


「っ……」


 傷をケアする手を止めてしまう。


 気付けば、俺は喋っていた。


 悩みあぐねていたことを、口にせずにはいられなかった。


「そんなの……俺もですよ」


「……え?」


「俺だって、月森さんのこと、まだ全然ちゃんと知らない。知れてない」


「……でも、知れる権利は持ってる。雪妃は、たぶん君のことが一番好きだから」


「そんなことない! 一番なんてことない!」


「一番だよ。そこを否定する理由がわからない。何? 慰めのつもり? だったらやめて。不快なだけだから」


「違う! そうじゃない! 一番って表現が良くないんだ! 大切な人って風に考えてくださいよ!」


「……大切な人?」


 俺は頷いた。それから続ける。


「月森さんのことは俺も深く理解してない。けど、冴島さんのこと、すごく大切な人だと思ってます」


「何を根拠に?」


「エッチな動画ですよ。月森さん、あんたにそういう知識付けた方がいいって言われて、ちゃんと真面目に今も勉強しようとしてるんです。ふざけてるようにしか思えない時もありますけど、彼女はあくまでも本気で、あんたとの仲を続けていきたいからそうしてる。そこに疑う余地なんてないんです。月森さんは紛れもなく大切に思ってるんですよ。冴島さんのこと」


「は、はぁ……?」


「それなのに、やめてくださいよ。月森さんにエッチな勉強させるだけさせといて、自分の勝手な思い込みでそのまま放置するとか。あんた、やってることヤリ●ン男と一緒だ。もう関係を解消したいなら、ちゃんと自分の口で友達をやめるように言ってください」


「っ……」


「でも、だからって俺はそこで終わらせるつもりないですから。二人が関係解消させようとしても、また仲直りできるよう動かせてもらいます」


「え……?」


「だって、そんなのどうせ逆張りじゃないですか。冴島さん、本当は月森さんのこと大好きなのに、自分に嘘ついて『アタシなんていない方が』って考えに陥って関係解消したりそうですから。だから俺、動きます。月森さんのことも大切だけど、俺からすればあんたのことも大切だ。欠けちゃいけないんですよ。色々と」


 言い終わって思う。


 なんか、言ってることめちゃめちゃで本当の思いが伝わってるのか、と。


 つい頭を掻きむしってしまった。


「まあ、結局アレです! 誰一人悲しんで欲しくないんですよ! 俺と関わったからだって噂が出回りそうで、またぼっち生活になりそうなんで!」


 言い切った俺とは対象的に、冴島さんは複雑な表情だった。


 自身の情けなさを嘆いてるものと、悲しみのもの。その他色々な感情が絡み合ってるような複雑な顔で俺を見つめ、やがてうつむいてしまう冴島さん。


 無言だ。何か言い返してくるかと思ったが、無言。


 だから、俺もそれ以上は何も言わず、曝け出されたままの彼女の膝の治療を再開させた。


 消毒を終え、バンソウコウを貼る。


 バンソウコウを貼ったところで、冴島さんは口を開いてくれた。


「君はさ、よくわかんない人だね」


「……え?」


「教室の隅っこにいたと思えば、突然アタシたちのことを色々穿って見てくる。気持ちを揺さぶってくる」


「……」


「少し前までは想像もしてなかった。こんなこと、まさか名和くんに言われるなんて」


「……まあ、紛れもなく陰キャラですから」


「ううん。陰キャラとか、そういうのは関係ない。君はある意味スイッチみたいなものだったんだなって思って」


「スイッチ……?」


 よくわからない表現だった。首を傾げてしまう。


「色々なことを変えちゃうスイッチ。でも、色々なことに気付かせてくれるスイッチ。魔法の存在みたい」


「……なんか、冴島さんっぽくない言い回しですね」


「だね。君に変えられた。変な風にされちゃったかも」


 言いながら、ニヒヒと小さく笑う冴島さん。その表情が少し、いや、なぜか毒気なく可愛く見えてしまい、ドキッとした。顔を逸らす。


「もしかしたらさ、アタシ、中学の頃に君に出会ってたら、好きになってたかも」


「え……!? な、なぜに……!?」


「いじめられてたんだけどね、たぶん名和くん、アタシのこと助けてくれてたと思うから。こうやって動けるくらいだし」


「それは……わからんですけどね? ほら、俺陰キャラだし……」


 言うと、彼女は頬を軽く膨らませた。


「また陰キャラって言う。そこは関係ないんだって。名和くんは何キャラだろうと、きっと力になってくれるから」


「い、いやぁ……」


「そこはアタシ、疑ってないよ? 君のこと、好きだし」


「へ、へぇっ……!?」


 わかってる。わかってるんだ。その好きに恋愛感情が入ってないことは。


 ただ、一ミリだけ、不安に思ってしまう自分もいた。


 冴島さんの表情。見つめる顔。わずかに赤くなってる頬。


 そんなことは絶対ないと思ってるはずなのに……俺は……俺は……!


「とっ、とにかくっ! 怪我の治療も終わりましたし、言いたいこともほぼ言えました! お、俺、今日はこの辺で帰ろうかなって思います!」


「……ほんと?」


「ふぇ……?」


「名和くん、本当に言いたいこと、全部言えたの?」


 ソファの上に体育座りし、わずかに小首を傾げながら上目遣いで俺を見つめてくる彼女。


 その脚、太ももと太ももの間からは絶対に見てはいけない究極ゾーンが顔を覗かせている。


 まるでブラックホールみたいだった。


 見ちゃいけない。


 そう思うのに、目が勝手にそっちの不へ吸い寄せられてしまう。


 ダメだ……! ダメだ俺……! 死んでもそこを見てはいけない……! 戻ってこれなくなるぞ……!


「い、言えましたっ! 全部言えましたからっ、かか、帰りましゅ!」


 熱くなった顔を向こうの方へ逸らしながら、俺は立ち上がる。


 冴島さんはクスクス笑ってた。


 なんかその笑ってる姿すらも可愛く見える。ヤバい。


「そっか。なら、玄関までお見送りするね?」


「は、はひっ!」


 ぎこちなく歩く俺と、面白そうに俺の背を突きながら歩く冴島さん。


 玄関の扉部分に着き、ようやく帰れる。危なかった。


「じゃ、じゃあ……その、テストも近いけど、お、お互い頑張りましょう」


「あははっ。テストね。んー、別にアタシは特に何も思ってないけどね?」


「な、何も思ってないとは……?」


「そもそもそんな点数ゲームなんてしてるつもりないよってこと。君は普段通り頑張りなよ」


「え、ええぇっ!? な、何をいきなり!?」


「いきなりでもないでしょ。さっきも言ったけど、もう雪妃の気持ちは君にあるんだから」


「い、いや、あの、そ、そんなことないですからね!? 何言ってんですか、もう!」


 恥ずかしさを誤魔化すように、俺は彼女に背を向けた。


 顔を見なくてもわかる。冴島さんは笑ってた。最初とは比べ物にならないほど明るく。


「な、なら俺、本当に帰りますよ? 今日は失礼しました。また明日、学校で」


「うん。あ……でも、ちょっと待って? アタシの方がまだ君に言い残したことあった」


「え?」


 言われて、俺は振り返る。


 玄関扉の取っ手を持ちながら、なぜかコソコソッと小さい声で言い始める。


「……??? 何ですか? ちょっと、全然聞こえないんですけど?」


「だからね? ………………っ!」


「は、はぁ? あ、あの、だから何で距離離れてるのにコソコソ耳打ちするような言い方? 聞こえるわけないじゃないですか、そんなんで」


「ふふふっ! じゃあね、童貞くんっ!」


「なっ!? どっ!? なぜにいきなり罵倒!?」


「じゃーねっ!」


 そう言って、冴島さんは軽く手を振り、玄関扉をばたんと閉めた。


 結局、俺は彼女が何を言おうとしてたのかわからず、そのまま帰る羽目になるのだった。






●〇●〇●〇●〇●






 男の子に面と向かって「大切」と言われたの初めてだった。


 たった一言。言葉の中のワンフレーズだったのに、それを聞いてから、まだ胸がドキドキしてる。


「……アタシ、恋愛対象は女の子だけだって思ってたのにな……」


 力が抜けて、玄関の扉に背を預けたまま、ズルズルとその場に座り込む。


 つくづくアタシってバカだ。


 この感情は、今さら向けていいものじゃないって決まってるのに。


「……名和くんのばか……」


 そんなこと言われたら、アタシ……。

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