第8話 名和くんのTシャツと経験したかったこと

 なぜ?


 なぜだろう?


 世界にはよくわからない疑問や未解決の物事、その他さまざまな謎がある。


 謎が生まれるたびに人々は頭を悩ませ、答えを見つけようとするものだ。


 だから、俺も今、生まれた謎に対して頭を悩ませてる。




 ――いったいなぜお風呂に入りたいと言ってた月森さんが俺の家に来て、俺の家のシャワーを使ってるんだろう。




 何この状況? ボーナスゲ――げふんげふん。試練か何かか? 


俺の理性やうんたらかんたらを試してるみたいな、神様の作り出したそういうアレコレだったりするのか?


 血の出てくる鼻にティッシュを詰めつつ、俺は一人リビングで立ち尽くしていた。


 もうすぐ買い物やら外出してる父さんや母さん、千早が帰って来るとはいえ、家には誰もいない。俺たち二人だけだ。


 ほんと、月森さんはどうして俺の家に来てシャワーを使ってるんだ。謎過ぎる。まあ、シャワー使っていいよって言ったの、ボクなんですけど。はい。もう色々混乱してたから仕方ないんですよ。汗だくのままだったし。何なら俺も今汗かいてるから、「いいい、一緒に入っちゃうゥ?」なんて言ってみてもよかったりしたのか? いやいや、そんなわけないだろ落ち着けバカ。あぁぁ、思考がまとまらん。どうしてこうなった? 何でこうなってるんだ? わからん。わからなさすぎる。そもそもなんで月森さんはこんな時間に俺の家へ来ようとしたんだぁぁぁ!


 困惑の極みに達し、俺は遂に机に倒れるような形で突っ伏した。


 家族が帰って来るかもしれないという焦りと、状況な謎さ加減に混乱してる。冷静に何かを考えられる状態じゃなかった。


「と、とにかくこういう時は聞こう。なんで俺の家に来たのか」


 そうだ。それがいい。


 何でもかんでもわからないことを聞かずに自分の中で結論付け、失敗してしまうのは俺の悪い癖だ。コミュ障だから人に聞けないってのもあるのだが……。まあ、とにかく聞こう。うん。




 ガチャ。




「――!」


 扉の開く音に体がビクッと反応。


 び、びっくりする……。あの音は浴室の扉が開く音だ。玄関じゃない。月森さん、シャワーから上がったらしい。


「……いや、それはそれでまた安心してられないんだけどな……」


 独り言ちる。


 そうなのだ。湯上がり月森さんとか、試練でしかない。


 菩薩の心を持ってして臨まないと、彼女が視界入った瞬間煩悩で身を焼かれる。


 こらえろ……こらえるんだ俺……。


 そんなことをひたすら考えてると、足音が聞こえ、リビングに月森さんが入って来た。


「……ご、ごめんね。ありがとう。シャワー……使わせてくれて……」


 ……あっ……。


 一瞬で頭の中の『煩悩退散』やら、『菩薩の心』なんて言葉が凄まじい光に消滅していく。


 まだ乾ききってない髪の毛。貸した俺の服。上気した顔。


 それらすべてを総合させたお風呂上がりの月森雪妃さんの前では、何もかもが無意味だったんだ。


 彼女を直視しないということでしか、湧き上がる煩悩を対処できなかった。


 俺はすぐに下を向き、そのままたどたどしく言葉を返す。


「い、いえっ! そんな全然、き、気にしないでくださいっ!」


「名和くんは……いいの? シャワー、浴びなくても」


「お、俺は、はいっ! このまま入って家族の誰かが帰って来でもしたら……その、た、大変なので……」


「そ、そっか……」


「あっ! に、臭うとかなら全然速攻で入るんですけど!」


「う、ううん。全然。いつもと変わんない。……いい匂い」


 視線を外し、頬を赤らめながら言ってる彼女をチラッと見て、俺は顔がめちゃくちゃ熱くなるのを感じた。


 お、俺の匂いがいい匂い……。ま、マジですか……。


 特にこれといって特殊な洗剤とか柔軟剤なんてもの使ってないつもりだが、こ、これはどう反応したら……。


 悶々としながらも、すぐにハッとする。いけない。余計なこと考えてる暇なかった。


「そ、そういうことなら、とりあえず俺の部屋行きましょう! ここに居ると、もし誰かが帰ってきた時隠れられない。俺の部屋なら、ベッドの中とか、押し入れの中とか、何でもあるんで!」


「べ、ベッドの……中……」


「い、行きましょっか!」


 そこ反応しないで欲しかった。


 俺も言った瞬間に言い方間違えたかも、と思ったんだ。見事に反応されましたとさ。


 座ってた椅子から立ち上がり、俺は赤くなった彼女の方へ歩み寄る。


 そして、背中を押すみたいにして一緒に階段を上り、部屋まで連れて行った。


 で、ガチャリと鍵を掛ける。ふぅ。これでひとまず安心だ。


「そこまで綺麗に片付いてないですけど、クッションの上でも椅子でも、適当なところに腰を下ろしてもらって大丈夫です。ゆっくりしてください」


「う、うん。あ、ありがと」


 言って、遠慮がちに部屋の隅っこ。クッションも何も無い堅い床の上に座り込む月森さん。


 それを見て、俺は突っ込まずにいられなかった。


「つ、月森さん……? もっとこっち、クッションの上にでも座っていいですよ……?」


「え。う、うん。い、いいよ、私はここで。こっちの方が……なんかまだ大丈夫だから」


「……もしかして、部屋の中汚かったですか? 俺なんかの部屋のクッションの上には座れない、みたいな……」


 おずおずと言う俺に対し、月森さんは焦って首を横に振り、


「ち、違う! 違うよ!? そうじゃなくて、え、えと……わ、私……男の子の部屋の中とか……入るの初めてだから……」


「へ……?」


「こういうのも……経験しとかないと、と思ったんだけど……やっぱりまだ私には早かったかも……。す、すごい緊張してる……」


 消え入りそうな声で、恥ずかしそうに言う月森さん。


 嘘だろって感じだ。自分から俺の家に行きたいって言ったのに、まさか男子の部屋の中に入るのが初めてだとは。てっきり慣れたものなのかと……。


「あ……! で、でも、なんかこういう言い方すると名和くんを利用したみたいになる……ごめん」


「い、いやいや。そこは謝らなくてもいいよ。そんなの全然気にしないし、むしろ俺なんて使って欲しいくらいですから。何でもできることがあるならやります」


 それが全部俺のご褒美なので。


「ほ、ほんと……? いい……の?」


「はい。痛いこととか、生命の危機を感じるほど苦しいことじゃなかったら全然大丈夫です」


「……そ、そっか……」


「俺……つ、月森さんと……ふ、普通に仲良くなりたいので……!」


 さりげなくだが、勇気を振り絞った。


 その甲斐あってか、月森さんは安心したような優しい表情を作り、頷いた。


「私も……名和くんともっと仲良くなりたい。恥ずかしいところ見られたけど」


「そ、それは……」


「こんなの……名和くんだけだもん。クラスの男子、みんな私のこと怖がってるみたいだし」


 そんなことはない。むしろ高嶺の花として崇めてるんだ。


 そう言って安心させてあげたかったけど、今だけはその言葉を喉元で留めた。


 彼女に対する独占欲。陰キャで弱者男性代表みたいなところあるけど、発動させてしまったんだ。申し訳ない。今ばかりは許して欲しい。


「じゃ、じゃあ、時間の許す限りゆっくりしていってください。何かしたいこととかあったら、言ってくれても大丈夫ですので」


「うん。ありがと。でも、ちょっとだけ涼んだら帰るね。ご家族に私がいることバレたら……マズいもんね?」


「っ……。た、たぶん……そうかも?」


「だよね。私と一緒。恋人だったらいいんだけど」


 クスッと笑いながら言う彼女に対し、俺も同じように笑った。


 恋人だったら、か。


 もし、月森さんが俺なんかの恋人になったら……。


 想像しただけでも幸せな気持ちでいっぱいになる。


 けど、それはそれで彼女からしてみれば嬉しいことなのだろうか。いや、確実にそんなことないな。罰ゲームだ。


 想像した結果、笑いを苦笑に変え、俺はガクッと肩を落とす。


 そんな現実、たぶん一生あり得ないんだろうな。良くて友達だと思う。友達でも幸福すぎるわけなんですけど。


 その後、俺たちは適当に談笑して、彼女を家まで送った。


 最後、月森さんは借りた俺の服をすぐ返す、と言ってくれたが、別に返却はいつでもいいと言って、別れた。


 俺と月森さん、身長がほとんど同じだから一緒のサイズの服が合うんだ。


 恋人になったら服の共有とかもできたりするな……。


 なんてことを考え、一人で頭を振って妄想を霧散させる。バカか俺は。


 何度も言う。そんな現実は確実に無いんだ。下手な希望を持つのはやめろ。


 陰キャは陰キャなりに身の丈に合ったことをしとけばいい。それでいいんだ。

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