第4話 コーヒーブレイク

「アンタ何やらかしたのよ」

 午前中の休憩時間である。

 喫茶室でコーヒーを淹れながら、凛はこぶしに問いただした。

「えー、チノちゃん酷いよ。なんで悪いことしたのが前提なの?」

「胸に手を当ててみなさい」

 こぶしは反射的に自分の胸に手を持っていこうとして、……手を胸の下側にぶつけた。本人がドジなことに加え、平均より大幅に豊かな胸部が原因である。


「痛ーい!」

(まったくこの子は…漫画か!)

 凛は同僚とものドジっぷりに呆れて項垂れたが、こぶしと違って遮る物なく足元が見える自分の視界に気付き……ため息をついた。


「ハァ、アンタに心当りが無いならまあいいわ。でも心の準備はしておきなさいよ。ウチらヒラに部長が個人面談や話があるなんて、まず無いことなんだから」

「えぇー、私クビなのかなあ?どうしようチノちゃん、これじゃヤっくんを養えないよ!」

 急に心配になったのか、こぶしは不安を口にする。が、表情や口調からはさほどには深刻さが感じられない。何より、自分の職よりも同居のヒモ?を心配する辺り、相当重症だと凛は思う。


「アンタねぇ…。まあ、飲んで」

 凛は、コーヒーを淹れたマグをこぶしに差し出した。表面に揺蕩う湯気が、黒い水面をかすかに隠している。香気のほうは給湯室全体に行き渡って久しいが、マグを手に取ったこぶしは改めてその香りを楽しんだ。


「で、その『ヤっくん』に一度会わせなさい」

 凛は、件の男に会わせるよう求めた。

 しかし、こぶしからは待てども返事がない。不審そうに目をやや細め三白眼で――俗に『ジト目』と呼ばれる目で凛を見続けるばかりだ。

「ど、どうしたのよ」

「うー、チノちゃん、ヤっくんのこと狙ってるの?ダメ、あげないんだから!」

 どうしたら話が通じるのだろう…と凛は気が遠くなりかけたが、親友を見捨てるわけにも行かない。

「そうじゃないって。アンタに相応しい相手かどうか、厳しくチェックするだけよ」

「なーんだ、そうならそうと言ってよぉ~。いつにする?今日でもいいよ?ヤっくんは世界一カッコいいから、私が吊り合わないって言われそうだけど~」

 途端に笑顔に戻ったこぶしは、機嫌よく凛の面会申し入れを了承した。『ヤっくん』がダメ出しされる可能性についてはまったく考えていないようである。

「さ、流石に今日は無理よ。今度の日曜はどう?ニチアサの後…コホン、10時ごろにアンタのマンションに行くカンジで」

「えーと、…うん大丈夫!じゃあ日曜の10時ね」


 話が一段落したところで、こぶしは蠱惑的な香りを放つマグカップのコーヒーに口を付ける。

 ほほを湿らせる湯気。

 唇に感じる、マグとコーヒーの心地よい熱さ。

 流れ込んでくる液体は前歯を甘く痺れさせ…舌の上でその香りを花開かせる。

 薫香の後にやってきた酸味を楽しみつつ喉奥に流した後も、それはまだ十分に熱を持っていて、こぶしの胃をじわりと温めた。

 ほぅ、と思わず吐息が漏れる。


「チノちゃん、相変わらず美味しいね!お店で飲むコーヒーより好きだなぁ」

「あー、まあね。その辺の拘ってない喫茶店は問屋に長期契約で豆卸してもらってたり銘柄お任せだったりするから、実は味はあんまりなのよ」

「え、そうなの?」

「ドリッパーも一回一回洗わないし、デキャンタに入れてヒータで保温してるような所もあるからね…。それこそ、コンビニの100円コーヒーのほうが豆もそれなりの使ってるし挽き立て淹れたてで、よっぽどまとも。惜しむらくは、カップが紙コップってところね。器で香りの感じ方とか口当たりが変わるから」

 褒められた事が嬉しいのか、少し緩んだ表情で凛は答えた。


「へぇー、そんなんだ。全然知らなかったよ。…でも何でコーヒーに詳しいの?コーヒーって男の人が凝るイメージなんだけど…」

「……あー、ちょっと、一時期影響を受けた作品があって、ね」

「ふーん」

 少し言いにくそうにしている凛に首を傾げつつ、こぶしは残りの休憩時間いっぱい、コーヒーを楽しむのだった。

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