第3話 「同僚」と書いて「とも」と読む
オフィスの入口ドアが開き、パンツスーツに身を包んだ、長身のやや痩せ気味な女性が入ってくる。エフォートレスショートの黒髪にシャープな輪郭、大きくやや吊り気味の目は、ボーイッシュでありながら色気を感じさせる。
美女、と言ってよいだろう。
しかし、姿勢よく大股で歩く快活な姿は、多くの人に“ヅカの男役”や“女学校の王子様”といった印象を与えるはずだ。
パンプスのタップとシステムフロアの手による規則正しいパーカッション。活力に溢れた足音を立て、彼女はこぶしの席近くまでやってきた。
「うわっ、アンタ早いねー。まだ8時前だよ?」
「おはようチノちゃん。最近はいつも7時前に出社してるの。道路混まないし」
同僚同士の、気の置けない朝の会話。
「まあ、ウチの会社はフレックスだし現場は6時から動いてる所もあるけど…。前はいつも9時ギリギリだったじゃん。何かあったん?……あと何度も言うけどチノちゃんて呼ぶなし」
「ええー、
「いや、『ちの』じゃなくて『かやの』なんだけど。あと可愛いのはアタシのイメージと違うじゃん」
少し自虐的に、彼女――茅野凛は言った。
「むー、じゃあ下の名前でリンちゃんって呼ぶ」
「――ッそれも止めろ!可愛すぎるから!!……だいだい押しキャラ二人と同じ呼ばれ方とか、照れる」
前半は勢いよく、後半は自分だけに聞こえるような小さな声で、凛はこぶしの提案を拒否した。
「そんな事より!お早い出社の理由は何なの?愛社精神にでも目覚めた?」
話を元に戻したいのか、凛は先の質問の答えを急かす。
「ふっふっふー、聞きたい?ねぇチノちゃん聞きたい?」
「うっわウザ、呼び方も戻ってるし…。はいはい聞きたい聞きたい、何なん?」
呼び方を矯正することを諦めて、凛は殴りたくなるくらい見事な笑顔を満面にたたえた同僚に、答えを催促する。
「ヤっくんがね、毎朝5時にちゅーして起こしてくれるの。そしたら私も朝型になっちゃった。家で二人ゆっくり朝の時間も楽しみたかったけど、移動時間のこと考えたら渋滞に遭わない早出早引けのほうが二人の時間が増えることに気付いたの!どう、私賢くない?」
想像した中で一番くだらない答えの、さらに斜め下を行った同僚の回答に凛は頭を抱えた。
「…ハァ、またヤっくん?アンタべた惚れじゃない」
会ったことは無いが、今年の5月に知り合ったという同居の彼氏にこの同僚は惚れ抜いているらしい。凛はぽわっとした性格のこぶしが、段々と心配になってくる。
「ていうか、ソイツ仕事は?アンタが早く帰っても、家に居るわけ?」
「ヤっくんはいつもお
盲目的な同僚の言葉に、凛は絶句する。
(完全にヒモじゃんそれ!駄目だこの子…早くなんとかしないと…)
「アンタねぇ、ソイツ絶対ヤバいから!」
「確かにヤバいカッコよさなんだよねえ…」
惚気るこぶしを見て、凛は思う。もう、手遅れかもしれない。それでも1年半になる付き合いの同僚、今では親友の一人と言っていい相手の目を、何とか覚まさせなければ。
凛はこぶしの肩に手を置き、目をしっかりみて声をかける。
「いい、こぶし。アンタは今冷静な判断が出来なくなってる。まだ仕事には影響は出てないけど、そのうちとんでもないミスするから!ウチらの仕事、ミスがすぐ大怪我や下手すれば死亡事故に繋がるってこと分かって――」
大きな声で話していたため、他者の接近にこぶしも凛も気が付かなかった。
「やあ、お早うございます。朝から元気ですね」
聞き取りやすいバリトンの優しい声。清潔感のある三つ揃いに、隙なくセットされた髪。紳士服のカタログからそのまま出てきたような中年男性が、そこにいた。
「ま、松本部長。お早うございます!」
「お早うございます~部長」
凛とこぶしは、自分らが所属する部署の長へ朝の挨拶を返した。急ぎ姿勢を正した凛に比べ、こぶしがどこかのんびりしているように見えるのは性格の差か。
「何か、トラブルでしたか?仕事のことであれば伺いますが」
落ち着いた声で、松本は二人に話しかける。慌てたり怒った所を見たことがないと評される松本だが、その声は聞く者さえなだめる効果があるようだった。
「…いえ、すみません。プライベートの事でした」
「部長、申し訳ないです」
騒いでいたことを謝罪し仕事に戻ろうとするこぶしに、松本は思い出したように声をかけた。
「ああ、そうだ。麻績村さん、昼に少しお話しできませんか。お聞きしたいことがありまして」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます