家出少女と家なき者

真塩セレーネ(魔法の書店L)短編小説

一期一会

──人生って色々なんだね。嫌になって投げ出したくなる時もあるけど、そんな時はね、あの日を思い出すの。


 電車に揺られながらドアに背を預けて、明かりが灯り出した街の景色を力無く眺めた。じわっとした夏の蒸し暑さが身体にまとわりついて、仕事帰りの私は目を伏せぎみに線路を見つめだす。


 それに気づいて眩しい街の景色へと視線を戻し、こんな時こそと過去へ想い馳せる。


 あの日、私はまだ学生だった。学校から家に帰ってお母さんと些細なことで喧嘩して、咄嗟に荷物を小さな鞄へ詰め込んで、家を飛び出した。


 熱海のおばあちゃんの家に泊めてもらおうと、東京駅の切符販売機の前まで走って……そこで右往左往している八十代くらいの見知らぬおばあちゃんと出会った。


「あの、大丈夫ですか。切符買うの迷ってます?」


 ほんの些細な声掛けをした私は、一緒に並んで切符を買って、途中まで一緒の電車に乗ることに……


 おばあさんは東京から九州まで行くらしい。新幹線を勧めたけどよく分からないから、快速で行くらしい。


 おばあさんの手を引いて電車に乗ると、横に座って話を聞いてみた。


 すると家が長崎にあると言い、その次に「私のお母さんはね心配性なのよ〜いつも口煩いけどね。側にいてあげないとね。それにおじいちゃんの分も夕食作ってあげないと」とだんだん話の内容と見た目がチグハグになっていく。


 けれど、口調は穏やかで優しく笑窪の可愛いおばあさんだ。話を聞いていると、気づいたら真剣に聞き入っていて……


 五駅くらい過ぎたところで一緒に電車を降りようと提案した。


 彼女は認知症で迷子かもしれない。昔話と今の話がごちゃごちゃに混ざっている。


 結婚して子供の話をされた後、改めてどこ行くの? と確認したら「家に帰るところだけど東京の……どこだっけ。あら、覚えてるはずなんだけどね。えーとね大丈夫よ」と言った。


 そのとき確信したんだ、家の帰り方が分からないんだと。


 休憩と言って優しく手を引いて降り、駅の窓口まで送った。駅員さんにはもちろん事情を話して。


 その後しばらく待って、おばあさんの持っていた携帯電話から息子さんの電話番号らしきものがあって連絡がついた。


「よく分からないけど、お母さんが迎えに来てくれるみたい」そう言って笑った彼女に、切なくなった。きっと、迎えは彼女の息子さんだと思う。


 自分のおばあちゃんのように優しい人だから……危なっかしくて一緒に乗って、幸せそうな話を聞いて。


────なんだか無性に家に帰りたくなった。


 おばあさんと駅員さんに挨拶して別れ、結局私は電車に乗り込み、母の待つ家路についた。熱海のおばあちゃんにはメールで「ごめん、やっぱり家帰るね」と連絡しておいた。


 どれだけ幸せな家庭でも、思い出も、家路も忘れてしまう……


 家出は帰る家がある人がするもので────


 いつかすべてを忘れてしまった時、どこへ帰るのだろう……


 なんて電車に揺られながら考えたことは懐かしい。ドラマチックな出会いでも別れでもない、些細な出会いと別れ。


 別れ際だって、おばあさんは私のことを理解していなかった。5駅一緒に話していたのに、よそよそしく「誰かしら」という顔で会釈されて見送られた。


 ドラマのように何か印象的な言葉をかけられて心の支えにしているわけでも無くって、ただの些細な出会い。けど、彼女は最後まで楽しそうに笑顔だった。それが印象に残っている。


 帰り道から見える家の明かりと、帰って「おかえり」が温かい。心はそれだけで小さくも豊かになる。


 そして大切な家族に少しでも生活の中で笑顔に出来たらと思って、母の好きなチョコレートを買って帰ったのが良い思い出。


 社会に出て上手くいかない時、私はいつもこれを思い出すようにしている。


 私の帰りを待ってくれている人が一人でも居る、だからもう少し……


 もう少しだけ────生きてみる。



 電車に揺られて耳から雑音が聞こえ始めて、思い出から目が覚める。すっかり輝きを増した夜景だけど、スマホを開こうとは思わなかった。


 こんな日があったって良い。ぼんやり眺めながら流れ星が降るかもなんて想像しながら一人暮らしの部屋へ帰る。


 あの時と違って家の電気はついていないけど、実家や地元には私を知る人々の存在が明かりになっている。


 後で、あの日と同じチョコレートでも買って食べよう。











あ、流れ星────────なんてね。




end.


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