第32話 商売と人脈
南側の国境で預けていた武器を返還してもらいシャールたちは隣国に入る。
アルビオンを抜けたのは結果的にメリットが大きかった。
資金が増えたことを別にしても、ブラン帝国の影響下にある国々を通らずにメルヴァ王国の勢力圏に入っている。
ナナリーの両親の出身地であるメルヴァ王国とブラン帝国は直接干戈を交えてはいないが、相手の軍隊を受け入れるほどの友好関係にあるわけでもない。
大規模な追っ手がかかる心配はしなくてよくなった。
なお、アルビオン国境でシャールを取り逃したことについては、帝国の指導者の間で新たな軋轢を生じている。
遮二無二シャールを攻撃すれば撃破できたのにしなかったのは、現地の指揮官が臆病者だったからだと皇叔ゴウタールが非難した。
それに対して軍の重鎮が、素人は黙っていてもらおうと応じる。
現場の状況からすると攻撃は難しかったという結論にならざるを得ない。
こうしてゴウタールはまた評判を下げることになった。
異国の空の下、シャールは馬上で揺られている。
落魄の身の上だが悲壮感はない。
一人も損なうことなく追討軍から逃れられたことで心は穏やかだったし、思わぬ大金の還付で懐は豊かである。
未来に向かって不安より期待の方が大きかった。
唯一シャールの気持ちにさざ波を生じさせる存在が小六である。
濃厚な手の甲へのキスをして忠誠を誓ったものの、相変わらず、シャールの食事を用意したり、こまごまとした物の管理をしたりしていた。
衣類の洗濯はナナリーが請け負っているが、ちょくちょく小六の配下であるメグやマリーの手を借りている。
実質的にシャールの日常生活は小六に負うところが大きくなっていた。
ずっと一緒に居た老騎士からは、冗談交じりに小六は執事と呼ばれることもある。
こうなると日頃の金の出し入れも任せた方が早いと、シャールはそれなりにまとまった金額を預けた。
金を握る人間は立場が強くなるのは、どこの場所でも変わらない。
シャール一行のなかで小六の存在感が増したが、本人は以前と変わらず威張るようなことはしなかった。
何か作業中でもシャールが呼べば、すっ飛んでやってくる。
古くからの部下もそんな小六に対して嫉視は向けづらかった。
小六と年齢が離れているというのも好材料だったかもしれない。
地味ながら地歩を固めつつある小六だが、見た目は相変わらず子供っぽさを残しており、シャールと個人的な親しさが増したわけでもなかった。
変に馴れ馴れしくされても不快だが、シャールはなんとなく物足りなさを感じている。
そんな個人的な思いとは別に、シャール一行はメルヴァ王国そのものには極力近づかず、衛星国を粛々と南下していた。
ただ、大所帯となったことで不便さも生じている。
町に近づいても中に入るのは拒絶された。
武装兵150というのは小国の町においては相対的に大きな戦力であるし、千人を町中に入れて混乱が生じないわけがない。
それでも、過日のように軍を整えて入国を阻むというところまでにはならずにすんでいる。
アルビオンの通過を許されたというのが、ある種の信用力となっていた。
そして、町には入れなかったが、どこにも商売熱心な者はいて、シャールの野営地まで出向いて物を売る。
千人分となればかなりの売り上げになり、臨時の市が立ったような状態となった。
個人的な買い物は別にして、一行全体の取引は小六が矢面に立つことになる。
商売の面でも小六は如才ないところを見せた。
不当に高い値段で購入することがないのはもちろんのこと、大量購入を理由に廉売を強いるようなこともしない。
きちんとした品質のものを商う人間に適正な利益が出るように意を用いている。
当然、小六個人に対する賄賂などには目も向けなかった。
このことは、シャールに対する目に見えない信用を積み上げることになる。
旅人や行商人が行く先々で、赤毛の女騎士相手の商売は間違いないという噂を広めた。
最初のうちは警戒されていたが、移動するにつれてシャールを歓迎するようになる。
物を売りに来るだけでなく、雇ってくれないかという依頼も舞い込むようになった。
故郷に居る限り、階級や人間関係が固定されてしまっているために自由に志の翼を広げられない不遇な者が一定数存在する。
外に出ていこうにも故郷から離れたことがないので、どこに行けばいいか分からない
そんな鬱屈しているところに、シャールの率いる金回りのいい将来性がありそうな集団が現れれば、そこで一旗揚げてみようというのは自然な流れだった。
中には、単に美女の色香に迷わされただけという者もいたが、この時代、人口は力の源である。
剣や槍の腕前がからきしでも、生活に密着した技能を持つ者はこれから町を作ろうとしているシャールにとって必要だった。
服や食器、家具を作れるということも、シャールの一行に足りない能力である。
特にその中でも、鍛冶屋が加わったというのはありがたかった。
ブラン帝国から遠く離れ、ここでは異分子でしかないシャールの集団ではあったが、身内のものが参加しているということは、地元との摩擦をさらに軽減する。
新参者との意思疎通においては、方言も含めてメルヴァ語に堪能なナナリーが大活躍をした。
私を連れてきて正解だったでしょ、と全身で主張してもカチュアが何も言わないほどである。
そして、ほどなく、ナナリーは思わぬ功績をあげた。
メルヴァ王国から派遣されてきた騎馬隊が、シャールに対して詰問をしてきたときのことである。
勢力圏から出て行かなければ実力で排除すると居丈高に告げた隊長が、通訳しようとしたナナリーを見て怪訝そうな顔になった。
ナナリーの両親の名を告げて、その娘ではないかと問いかける。
驚きながらも肯定すると、馬を下りて歩み寄りナナリーを抱きしめた。
なんと、隊長はナナリーの父の弟であると告げる。
これまでの数奇な運命を知ると、ここまでナナリーを保護してきたシャールに深い謝意を述べた。
「我らが陛下へはよしなに取り次いでおきます」
そして、一緒にメルヴァ王国へ行かないかとナナリーを誘う。
立場が向上して居心地が良くなっていたため誘いは謝辞するが、落ち着いたら訪ねていくことを約束した。
300の騎兵との衝突が避けられてシャールはほっとする。
この僥倖も元をただせば、小六がナナリーの命を救ったことにあるということをシャールは知らなかった。
メルヴァ王国の騎兵隊が引き上げた翌日、近隣の村に住んでいるという初老の男性が血相を変えてやってくる。
「こちらにメルヴァの騎兵隊がいると聞いたのですが……」
事情を尋ねると山で人食い巨人を見かけた者がいるのだという。
村を守って欲しいと懇願されてシャールは快諾した。
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