第20話 誘いの手

 シャールたちが足を踏み入れているのは、中継貿易で栄えている小国である。

 首都ともう一つの大きな町があるぐらいで面積もそれほど大きくはない。

 一応は独立国だがブラン帝国の影響を強く受けていた。

 そのため、シャールがあまり長居できる場所ではない。

 滞在していることを知ったら帝国が圧力をかけてくる恐れがあった。


 ただ、シャールが領地に送りだした使者たちには、この国の西部で落ち合うことを約束している。

 町にはなるべく近寄らないようにして森の中に潜みながら、シャールはマーグルフが率いているであろう部下たちの到着を待った。


 季節は晩夏ということで森の中でも豊かな恵みがある。

 木の実を集めたり、ウサギや鹿などを狩ったりして食材には困らない。

 問題は誰がどのように調理するかである。

 シャールはお嬢様なので料理などはできるはずがない。

 カチュアも武術と魔法の修行に明け暮れていたので同様に食事は作れなかった。

 老騎士たちも、もちろんそんな技能は持っていない。


 結局、そういう生活能力を有しているのはナナリーと小六だけだった。

「ほら、少しは役に立ったでしょう?」

 ナナリーは豊かな胸を張る。

 確かになかなかの料理の腕をしていた。


「凄いわねえ」

 カチュアが褒めたが、相手は小六である。

 ナナリーは文句を言った。

「褒めるなら私でしょ。ほとんどの工程は私がしたんだから」


「いや、そうだけど、コロクもかなり手伝っていたわよね。肉の解体とか」

「本当に器用なものだ」

「そうですか……。そんなふうに言われる照れますね」

 カチュアとシャールに褒められて小六は恥ずかしそうに微笑む。

 その様子を見てナナリーはぷっと頬を膨らませた。


 別の日にシャールたちが剣の稽古を始めると、小六とナナリーは並んで堅い木の実の殻を砕く作業をする。

 切り株の上に布を敷いた上に木の実を置くと木製のハンマーで叩いた。

 単調な作業の繰り返しになるので、自然と話をするようになる。

 ナナリーは声を潜めた。


「あのさ。いつまで猫を被ってるつもりなの?」

「ナナリーには関係ない」

「でも、考えてよ。私がコロクの実力を知っていたのに黙っていたってバレたら、ますます私の評価が下がるでしょ」

「それ以上には下がらないんじゃないかな」


「ちょっと、やめてよ。そうじゃなくてもカチュアさんには睨まれているんだから」

「大丈夫だよ。あれはわざと憎まれ役をやってるだけだと思う」

「本当に?」

 ナナリーは適当なことを言ってるんでしょという目で小六を見る。


「シャールさんは素直だから。誰かに騙されないようにカチュアさんが目を光らせているんだろうね。お爺さんさんたちも年の割にはいい動きをしていて戦士としては大したものだけど、純朴って意味ではそれほど変わらないからさ」

「あなたぐらい腹黒い人はそうそういないでしょ」

「ひどいなあ」


 小六はナナリーに対する警戒の水準を下げていた。

 本人が言う通り、この集団の中でナナリーの発言力は皆無に近い。

 そもそも、小六が活躍したという話の内容自体が嘘くさいのだ。

 外見ではまったく強そうに見えない少年が一人で数千人の軍を壊滅させるなど、おとぎ話の中身としても大げさと思われるのが落ちである。

 ナナリーがいくら力説したところで信用されるはずはなかった。


「話を戻すけど、その純心少年の演技をいつまで続けるつもりなの?」

「止め時が難しいんだよ。ナナリーさんのせいでね。これで俺までが正体を偽っていたと知られたらショックが大きいし、シャールさんからの評価が最悪になっちゃう」

「それは悪うございましたね」

「本当にそうだよ」


 小六としては、帝国を出たので、そろそろ活躍してみせてシャールにカッコイイところを見せたいと思っていた矢先である。

 決して嫌われたりぞんざいに扱われたりということはないのだが、どうも弟のような存在として見られているのをひしひしと感じていた。

 どちらかというと庇護する対象としか扱われておらず、これでは二人の関係が発展するのが難しい。


 しかし、ナナリーが正体を偽っていたことが発覚したときにシャールが傷ついた顔をしていたことを考えると、小六はそう簡単に実力を発揮するわけにはいかないと考えていた。

 ましてや、ブラン帝国の都でシャールを陰から助けたことなどを明かすことなど論外である。

 皇叔ゴウタールに薬を飲ませて一時的に口をきけなくして暗示をかけ、密かに始末した側近に変装してシャールを皇宮の外へ逃れさせたのは実は小六だった。

 それ以外にも帝国追放刑の布告文ほかを入手するなどの行動もしている。


 少年には似つかわしくない険しい顔をしている小六に、ナナリーは慌てて言った。

「あのね。私もそんなつもりじゃなかったから恨まないでね。あ、そうだ。おっぱい揉む?」

 挑発するように大きな胸を突き出し襟元を大きくはだけ、布の端からピンク色の乳輪の一部が顔をのぞかせる。

 さすがに小六もこのナナリーの言動には虚を突かれた。

「は?」


「私に対して怒ってるみたいだから、お詫びというか、それで怒りを収めてくれるならって話。男の人っておっぱい触るの好きでしょ? 変に真面目ぶらなくってもいいから。えー、おっぱいだけじゃ満足できない?」

「あのさあ。若い女性がそんな言葉を連呼するなよ。それに見えてる」

「あ……。すいません」


 素直に謝るナナリーを見ながら、小六は考えた。

 やはり、この女は自称だけでなく、本当にくノ一らしい。刀槍を手にしての戦いには不向きだが、男女の道には長けているということなのか。あっちの手練手管で俺を骨抜きにする自信があるらしい。

 ここは一つ手合わせしてみるか?


 小六も相手を篭絡するための重要な手段として性愛の技術は学んでいた。

 ただ、前棟梁の血を引くため、勝手に子供を作られては困るとの周囲の思惑から実地での経験はない。

 ここで虚勢を張って敗北してもつまらないと考えて小六は自重した。


「俺に色仕掛けは無用だ」

「そう。まあ、何もしなくても許してくれるのならそれでいいや」

 ナナリーはほっとした表情をする。

「あ、そうだ。代わりにいいこと教えてあげる。ここからだと南の方にちょっと離れたところになるんだけど、隠された力を引き出してくれるという神殿があるんだよね。そこにお参りしたらコロクが実力を発揮するようになっても怪しまれないかもしれないよ」

 小六は興味なさげに黙ってハンマーを振り下ろし木の実の殻を砕いた。



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