第13話 ナナリーと小六
荷車の高さを含め、人の身長の二倍ぐらいのところからナナリーは落下する。
人間の体はもろいもので、踏み台ほどの高さからひっくり返っても場合によっては命に係わってしまう。
ナタリーはそれよりずっと高いところからの落下であり、頭や首から落ちると命の危険があった。
真っ逆さまに落ちてきたナナリーを小六が抱きとめ、むっちむちの体を支えきれずに盛大にひっくり返る。
倒れながらもナナリーが怪我をしないようにその体を支えていた。
背中を丸め転がることで力を逃がしながら、小六は悲鳴をあげる。
「うわっ」
小六は傍目には落下事故に巻き込まれた不幸な男を完璧に演じた。
ただ、豊満で柔らかな体に押しつぶされるというのはある意味幸せかもしれない。
「くそっ。なんだ? ああ、もう。早く俺からどいてくれよ~」
まずはブラン帝国の言葉で叫び、周囲の兵士の笑いを誘う。
次いで、マージャ王国の言葉でナナリーに体の上から退くように言った。
慌てて起き上がろうとしながら、至近距離で小六の目を見たナナリーは訝し気な表情になる。
「あれ? あなたは……」
その様子を見て取った小六は、小さな声でナナリーに警告した。
「余計なことを言うな。言えば殺す」
明瞭なマージャ王国の言葉だけでなく、小六の瞳に現れた冷たい刃にナナリーは胸が苦しくなる。
呼吸しようとするが、うまく息が吸えない。
そこに小六が優しい声で被せる。
「黙っていれば危害は加えない」
ナナリーの下から這い出しつつ、助け起こした小六は、体についた土ぼこりを払った。
「ついてないなあ」
無邪気な様子を装って頭をかいてみせる。
近くの老騎士が笑いかけた。
「いい女の尻に敷かれるのも悪くはなかろうて」
「えー、俺は嫌だよ」
そこへ騒ぎに気付いたシャールが駆け戻ってくる。
「一体なんの騒ぎだ?」
部下から事情を聞いたシャールは、ナナリーへも確認した。
「あの男が触ってくるんです」
ナナリーはここぞとばかり訴える。
シャールはデカいため息をつくと、軍監に向かって白目を向けた。
「軍監どの。他人の物に勝手に触れてはいけないことぐらい、子供でも分かっていることです。それなのになぜ私の所有物を?」
「シャール殿が持っていても使い道がなかろう。わしが買い取ってもいいかと思ってな。値付けの前にちょっと確認しただけだ」
「店の軒先でも、商品に触れる前には店主に断りを入れるのが礼儀と思うが」
「ん。まあ、固いことを言うな。それで、買取の金額だが……」
「お断りする」
「まだ金額を言っていないだろう」
「どんな値段であってもお断りする。私は礼儀のない方とは取引しない主義でね」
今までの不満をぶつけるようにきっぱりとシャールは言い切った。
これ以上話すつもりはないと、不服そうな顔をする軍監に背を向け、ナナリーに向き直る。
「もう、あの男と同じ馬車には乗りたくないだろう。誰かに一緒に馬に乗せてもらうことになるが……」
「それでは、あの人でお願いします」
ナナリーは小六を指名した。
「まあ、コロクでも別に構わないが、私の部下ならば他の者でも不埒な真似はしないと思うぞ」
「他の方は全く言葉が通じないのですが、コロクさんは少しは私の言葉が分かるようなので」
「なるほどな。確かにその方が気が楽か」
シャールは小六に依頼をする。
「悪いが、ナナリーを乗せてやってくれ」
「了解であります。閣下」
周囲の騎士たちの真似をして返答をした。
見た目はまだ子供でしかない小六がしかつめらしく敬礼する姿を見て、シャールは心を和ませる。
実はシャールはナナリーの存在を持て余していた。
成り行きで所有者となっているが、軍監が指摘したように、シャールにはナナリーの肉感的な体には用がない。
かと言って、売り払えばどのような運命が待っているかはっきりしているだけに踏ん切りがつかなかった。
だからといって、小間使いとして身の回りの世話をさせるには素性が分からず不安があるし、行軍中ゆえにとりあえずさせておく掃除などの雑用もない。
しかもシャール以外はほとんど言葉が通じないので、誰かに指示を任せることも難しかった。
何もしないでいるのに無料で食事を与えているようなものである。
小六が意思疎通できるのであれば、任せてみるのもありかもしれないなとシャールは考えた。
誘導されて乗馬に近づいていくナナリーは、馬の足元で寛ぐアーレを見て少し怯えたような表情をする。
今までも誰かに噛みついたことはなく、小六に懐いているということは分かっていても、怖いものは怖いという風情だった。
小六はナナリーを馬の背中に押し上げると、ひらりとその後ろにくっつくようにして鞍にまたがる。
シャールが出発と告げると、一行は再び馬を走らせ始めた。
念のため、シャールはしばらく小六とナナリーの様子を観察していたが、危なげななさそうだと見て取ると、再び先頭に出るために馬腹を蹴る。
頼んでおきながら、二人乗りをする姿に少しもやもやしたものを感じていた。
自分はあのように男性にエスコートされたことがない。
男性に負けないほどの乗り手であることこそ自慢だったはずだが、今までは全く気にならなかったことに少し不満を覚え始めていた。
周囲には仲睦まじく二人乗りをしているように見える馬上では、甘さの欠片もない会話がされている。
「俺があの巨漢を殺したこと、言うな」
「い、言わないわ」
しばらくするとナナリーはおずおずと口を開いた。
「あの時は助けてくれてありがとう」
小六はナナリーの胴に添える左手に力を込める。
ナナリーは慌てて言った。
「もう、言わないから。一度だけでもお礼を言いたかったの。本当に感謝してる。だから裏切ったりしないわ」
小六は腹部を圧迫していた手を緩める。
ナナリーはほっとしながら、自分の後ろにいる小六を他の言い方で宥めようとした。
自分が取るに足らない存在であることを伝えようとする。
「言葉が通じないし、通じても誰も私の話すことなんて信じないわ」
最初はうまく内容が伝わらなかったようだが、何度か繰り返すとやっと意味が通じた。
小六は考えをめぐらす。
ナナリーが人として扱われない奴婢のような立場となっているということは理解していた。
確かにそれほど神経質になることもないかもしれない。
シャールが主ということも加味し、とりあえずすぐに殺害はしないという方向に考えが傾いた。
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