第8話 火遁の術

 小六は夜陰に乗じて難なく城壁を越える。

 籠城戦が長期に及び兵士に疲労が蓄積して夜間の見張りの数も十分に確保できなくなっていた。

 一方で、王国軍に大規模な夜襲を行うだけの練度がないのも明らかである。

 遠投投石機による攻撃が威力を発揮するなか、わざわざ不利な接近戦に臨むはずもなかった。


 これらの理由から城壁の上の兵士の数が減り、しかも巡回のパターンも分かっている小六にしてみれば、警備をすり抜けるのは造作もないことである。

 地上に降り立ち敵方を見やれば、城にぎりぎり石が届く距離で、投石機がまるで異形の怪物が休むような形で佇んでいた。

 周囲にはかがり火がたかれ、多数の兵が警備している。

 その外側を柵が囲って、後方の陣営地とつなぐ通路ができていた。


 小六は直接投石機には向かわない。王国兵があちこちにたむろする中を影のように走りぬけた。

 王国の正規兵は陣営地を築いてこもっているのがほとんどだが、傭兵やならず者で構成される補助兵は、適当に天幕を張っている。

 勝ったも同然とのことで、放棄された村に隠匿されていた酒を掘り出してきて宴会をしていた。

 戦利品の分配で勝手なことをほざいている。


「やっぱ若い女がいいよな」

「だなあ。自分でやってよし、奴隷として売っぱらってよしだからよお」

「敵の大将、めっちゃ好みだわ。ヒイヒイ言わせてみてえ」

「しかし、うちのボスはめぼしいの独り占めするらしいじゃねえか」

「いい女とっ捕まえたら、さっさとずらかるか」


 そんな集団をいくつかやり過ごして、小六は陣営地に接近する。

 もちろん大きく迂回してザルツの城とは反対側から忍びよった。

 顔の下半分と頭髪を布で隠し鉄片を仕込んだ鉢金を額に巻くと陣営地の様子をうかがう。

 こちらも勝ち戦がほぼ確定して妙に浮かれていた。

 陣営地を巡る柵は小六の障害にならない。

 難なく跳び越えると、もっとも立派な天幕に向かった。


 中から聞こえる声になんともいえない表情をしている歩哨二人に、小六は棒手裏剣代わりの長い鉄釘を投げる。

 城の補強工事で出た釘を拾って研いだものだった。

 声を出すことなくくずおれた二人を捨て置いて、小六は天幕の入口をめくる。

「勝手に……」

 振り返って怒鳴る巨漢の口に釘が二本吸い込まれた。

 これがジャバダンの発した最期の台詞となる。


 小六は若い女性にのしかかっていたジャバダンの髪を掴むと引き剥がした。

 煌々と天幕内を照らすランプの一つを拾って黒い布で巻くと、それ以外のランプを遺体に向かって蹴飛ばす。

 ガシャンと割れて火の手が広がった。


 普通の忍者なら、ジャバダンの天幕に居た女のことなど気にしない。

 まとめて始末するか、せいぜい放置するかである。

 しかし、小六はまだ若く、そして甘かった。

 小六は怯えて口もきけない女を抱えると天幕を飛び出す。


 水を溜めた樽を見つけると女をその中に漬けた。

「焼け死ぬ。ここにいろ」

 女の目を見ながら密かに習い覚えたマージャ語で命じる。

 催眠術のように言葉がしみいり、女はこくりと頷いた。


「火事だ!」

 女にかけた言葉と同様にアーレから学んだ単語を叫び、少し離れたところで身を伏せ待機する。

「敵襲だ。閣下を救え」

 寄せ手の幹部らしい声がする。

 その声を記憶すると、陣営地の端の柵沿いを悠々と投石機に向かって歩いた。

 小六は腰の革袋に釘で穴をあける。

 点々と黒いものが地面に筋を作っていった。


 本営での異変は同心円状に順次伝わっていく。

 離れたところであればあるほど錯綜して情報が届いた。

 小六は暗がりで幹部の声を模して叫ぶ。

「敵襲だ。閣下を救え」

 これが混乱に拍車をかけた。


 激しく火の手を上げるジャバダンの天幕に兵士が殺到する。

 火急のときでもあり、奇襲してきた相手も相当な人数という思い込みから同士討ちが起こった。

 それを制圧するために外縁部の兵が逐次投入される。

 遂には投石機の周りを固める兵士にもその影響が及んだ。


 小六は先ほどと同様に声を張り上げる。

 完璧な声帯模写に、投石機警護の兵も浮き足立った。

 見れば本営で激しく炎が上がっている。

 さすがに全員が持ち場を離れることはなかったが、警備に隙ができた。


 すかさず小六は腰に下げていたもう一つの革袋の口の紐をほどいて、投石機に向かって投擲する。

 最後に明かりが漏れないようにしていたランプを投げつけると、反応した兵士を無視して柵を跳び越え逃げ出した。

 背後の投石機で火が上がり激しい燃焼が起こる。


 革袋の中身は三つのものの混合物だった。

 煮炊きに使われていた木炭、共同便所の床下から回収した硝石、温泉地ということでふんだんにある硫黄。

 これらを砕いた粉を混ぜると種子島銃の発射に使われる火薬ができた。


 小六は上方に派遣されたときに、かつての栄華を失いつつある堺の町で、火薬の製法を学んでいる。

 この火薬は種子島銃の発射薬としてだけでなく、陶器に詰めて火をつける焙烙玉という一種の焼夷弾のような使い方もしていた。

 

 遠投投石機のような大きなものを燃やそうと思っても、ただ裸火を近づけただけではなかなか燃え上がらない。

 そこで革袋に詰めた火薬を飛散させたところにランプの火を反応させることで一気に爆発的な燃焼を発生させたのだった。


 火災による空気の膨張により火薬がさらに広範囲に広がる。

 一気に燃え広がった火は周囲で警戒していた兵士にも燃え移った。

 こうなると遠投投石機の消火どころではない。

 火がついて走り回る同輩から移されないように逃げ惑うのに忙しくなった。


 こうなると戦場に流言飛語が飛び交うことになる。

「ブラン帝国の援軍だ」

「裏切者が出たぞ」

「魔神だ。火の魔神を呼び出しやがった」

 大混乱のなか、小六がこぼした火薬に火が走った。木柵にも当然のことながら燃え移る。

 そして、マージャ王国軍の正規兵を囲む火の輪となって迫った。

 

 そのタイミングでザルツ城からシャールに率いられた騎兵150ほどが突出してくる。全滅覚悟で遠投投石機を破壊せんとする決死の覚悟での攻撃だった。

 ただ、近づくまでもなく標的が火の粉を巻きあげて盛んに燃える様を見たシャールは目標をすぐさま変更する。


 陣営地外にたむろする補助兵を馬蹄にかけて蹴散らしながら、陣営地から逃れ出てくる正規兵を槌で叩き、斧で斬りまくった。

 その動きに合わせて地面を走るアーレが、牙で噛みつき、爪を立てて被害を拡大していく。

 シャールは火勢が弱まったのに合わせてさっと軍を引くが、かなりの打撃を与えたと感じていた。

 

 

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