第6話 自己暗示

 少し時は遡る。


 小六が意識を取り戻すと、石造りの部屋の中にいた。

 明らかに小六の知る建物の作りや調度品ではない。

 脚のついた台の上に敷かれた寝具の上におり、小六は無意識のうちに状況を確認する。

 半身を起こして周囲を確認すると薬種箱と長脇差がない。

 つまり徒手空拳となったことを意味していた。


 あまり歓迎すべき状況ではないが、その一方で手足を拘束されていないということは、小六の存在をそれほど危険視していないということになる。

 もっとも中途半端な縛めなら解くことは小六にとってさしたる難事ではない。

 傍らの床に寝そべるアーレを見る。

 頭を起こすと大きなあくびをした。


 この態度からも緊急事態ではないらしいと判断した小六は寝具の上に座りなおす。

 忍びとしての素地が出ないように注意を払いながら、周囲を観察した。

 いきなりこんな状況になれば当然示すだろう態度を演じる。

「誰かいますか?」


 ほぼ石壁ばかりの部屋で唯一木製の扉の向こうから反応があった。

 扉の頭の高さのところにある小窓が開く。

 小六には全く理解できない言葉が返ってきた。

 京の都で見聞きした南蛮人の言葉に似ているような気がするが、それとも明らかに異なる音をしている。


 小六は恐る恐るというように扉に近づくとかすれた声を出した。

「ここはどこ?」

 小窓がパタンと閉じられる。

 扉の向こうから誰が駆け去る気配がした。

 音の聞こえ具合からすると階段を下りているように聞こえる。どうやら高層階にいるらしい。

 城のようなところに監禁されているのだと判断する。


 小六は混乱して怯えているふうを装って扉をドンドンと叩いた。

「誰かいるんでしょ。ここを開けてよ」

 湿らせた声を出しながら、冷静に扉の強度を計る。

 分厚い一枚板でできており、破壊には手間暇がかかりそうだと判断した。

 さて、どうするか?


 振り返って部屋の調度類を改めて観察する。

 他と比較できないので正確なところは分からないものの、置いてある卓などは、南蛮寺で見たものと遜色なさそうに見えた。

 小六は訳ありの家族などを閉じ込めておく座敷牢のようなものだと理解する。


 扉から聞こえる音に再度体の向きを変えた。

 床に接する部分に開口部ができて、すっと何かが押し込まれる。

 脚のない箱膳のようなものの上に、皿などが載っている。どうやら料理や飲み物らしい。

 台を押し込みきると、開口部が閉じた。


 小六は自分が演じている小童ならどうするか考える。

 育ち盛りなら警戒心は食欲に負けるな。

 台を両手につかんで扉から離れた壁際に運んでいく。

 高いところにある鉄格子のはまった窓からの光と風が届く床に座り込んだ。


 アーレがのそりとやってきて食べ物の匂いをかぐ。

 ひとしきり鼻を鳴らしていたが、満足したのか、すぐ近くの床に寝そべった。

 小六に向かって頷いてみせる。

 食べても大丈夫ということらしい。

 そう判断した小六は台の上のものを食べ始めた。


 作り置きらしくすべてが冷めている。

 お椀に入っていたものは、稗や粟などの雑炊に似ており、問題なく食することができた。大蒜と豆と萵苣チシャの汁物にも忌避感はない。

 ただ、縦に細長い器に入っている白い飲み物は、ほのかな甘みを感じるが少し獣臭く慣れない味がした。


 これぐらいの年頃なら、口にできるものなら何でも飲み食べする。

 小六自身も忍びである以上、毒でもなければなんでも食べた。

 食べ終わった食器を扉の前に置く。

 壁際に戻ると扉の下が開いて回収されるのが見えた。


 床に座り込んで小六は状況分析をする。

 食事もそれなりのものが出たことであるし、虜囚という感じではなさそうだ。

 狼のアーレが話しかけてこないということは、今は口をきくな、ということであり、この世界でも動物と話をするのは奇異に見えるということなのだと解釈する。

 とりあえずはじっと待つことにした。

 忍びにとって待つことは何の苦痛でもない。


 半刻ほどの時間が過ぎる。

 扉が音を立てて開き、数名の人物が入ってきた。

 その中の一人は目立つ赤色の髪をしている。しかも、明らかに女性だった。

 紅毛人か、と小六は考える。

 顔立ちは全然違うが、なんとなく甲斐姫に似た覇気を感じた。


 女性が後ろを振り返って何か言う。

 そのときは相変わらず意味をなさない音だったが、次に小六へと話しかけると明瞭に意味が通じた。

 これからいくつか質問をするが嘘をついても無駄だ、と宣言する。

 小六は伴天連の妖術だなと判断し、精神を統一する。


『不死の高嶺が消えるとき、小六が消えてわらし出づ』

 繰り返し使ってきた言葉を念じるとともに、一度脳内に浮かべた富士の山をかき消した。

 この自己暗示により、忍びとしての人格は消え、薬草売りのが表に出る。


 ころくが体を支配しているときは、忍びの技は使えない。

 ただの貧農の小倅でしかなくなるが、どんなに手荒な尋問や催眠術でも正体を暴くことはできなかった。

 この瞬間には忍びは存在しないから当たり前である。

 小六の咄嗟の判断での賭けであった。


 その結果、魔法は小六の発言に含まれる詐術を見破ることはできずに終わる。発言した当人が嘘だと思っていないのであるから無理もない。

 服を着替えるように命じられた小六は軟禁を解かれ、避難民が固まって住む天幕に連れていかる。

 一晩眠って目が覚めたとき、忍びの小六として意識を取り戻した。

 ころくとして行動している際の記憶は引き継がれているので、行動に支障は生じない。


 こうして、小六はザルツの町中で避難民と一緒に暮らし始める。

 黒目、黒髪は珍しく言葉も通じない小六ではあったが、実年齢よりも五歳ほどは若く見える優し気な風貌は、避難民の年上の女性たちの母性本能を刺激した。

 なにくれと世話をしてもらい、小六はそれに対し、上手に甘える。


 もともとザルツは温泉と保養のための町として発展したが、マージャ王国に押されて国境となったため、要塞化されたという経緯がある。

 そのため、前線にありながら、どこか長閑な雰囲気を帯びていた。

 小六にとっても箱根の湯治場に似た風情を感じさせる。


 そんな空気の中で、小六はこの世界の言葉を急速に身につけていった。

 棟梁の指示で奥州から上方まで広く旅をしたことがあり、知らない言葉を学ぶ訓練を受けていたのが役に立つ。

 また、アーレも人目のないところでは、小六に言葉を教える労力を惜しまなかった。


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