第4話 逃げ場なし

 ザルツの町に戻り、うるさく的外れな意見を言うばかりでクソほどの役にも立たない軍監の相手を終えるとシャールはぐったりとなる。

 ちなみに籠城戦においては、糞尿も重要な戦略物資だった。

 ぐつぐつ煮たものを城壁の上から浴びせると敵の士気はぐっと下がる。 


 誰しも高温の糞尿など浴びたくはない。

 火傷もするし非衛生的である。

 治癒魔法を使う魔術師に見てもらえる順番も後回しにされがちだった。

 そして、何も後遺症が残らなくても、同僚の兵士からは汚いあだ名で呼ばれることになる。


 それはさておき。

 ザルツの要塞にある自室に入ると厳重に戸締りをしてシャールは鎧を脱ぎ始めた。

 ひと昔前であるならば、従卒に手伝ってもらわなければ金属鎧の着脱は大変だったが、最近ではなんとか一人でも可能となっている。

 女性の従卒を連れてきて世話をさせるという選択肢もあったが、相手がビースト・ジャバダンと聞いて取りやめていた。


 シャールの見立てではこの防衛戦はかなり厳しいものになる予想である。

 ブラン王国の若き新皇帝周辺に、本気でザルツを防衛する気があるのか疑わしい空気もあった。

 防衛のための兵数も少なく、練度も高くない。

 シャールはそう簡単に負けるつもりもなかったが、万が一のことを考えると、ザルツに女性を同行するのはためらわれた。


 本当は幼馴染であるカチュアも都に残したかったぐらいである。

 ただ、本人がその説得を頑としてはねのけた。

「地獄に落ちるときは私も一緒よ。あんた一人に重荷を背負わせるつもりはないわ」

 落城による地獄絵図が発生しないようにする責任の重さが追加されたが、シャールにとっても魔法を使えるカチュアの申し出はありがたい。


 鎧を外し終わると手入れをする。

 数太刀浴びたものの魔法による強化処理が行われている表面には目立つ傷はなかった。汚れを落とし、可動部分に油を差す。

 慣れた作業に没頭するときは目の前の重圧を一時だけでも忘れることができた。


 その後は鎧に合わせるための詰め物をした服を脱ぐと、身体を念入りにほぐす。

 肩、腕、腰、脚と順に曲げ伸ばしをした。

 同時にゆっくりと呼吸をする。

 薄着姿で汗ばみ肌に血色が通った姿はとても扇情的だった。

 肌着も下着も実用一点張りで男性用と大差なく、セクシーさの欠片もないのにこの威力である。


 開脚し体の前面を床にぺたんとつける格好のときなどは、いろいろと見えそうで見えないのでさらに刺激的であった。

 誰も見ていないということで伸び伸びとしている。

 かなり未来に、同じような扇情的な姿を小六に晒すことになるのだが、当然シャールはそんな先のことなど知る由もない。

 ストレッチを終えると全身を触診し打ち身や捻挫がないことも確認した。


 次いで部屋の隅の樽からたらいに水を移す。

 シャールはためらいなく短衣や下着類も脱ぎ捨て、そばの籠に放り投げた。

 ランプの明かりを受けて白い裸身が浮かび上がる。

 そこには鎧を着ているときからは想像できない艶姿があった。

 バッキバキに割れている腹筋と筋肉質な脚であったが、ヒップは柔らかな曲線を描き、ウエストはきゅっとくびれている。

 胸には形の良い膨らみと薄紅色のツンとした突起が息づいていた。


 シャールはまず頭と顔を洗う。

 その動きにつれて、まるでそれだけが別の生き物のように胸がやわらかく揺れた。

 頭から桶の水をかぶると、今度はたらいに入り、手で体の汗を洗い流した。

 張りのある皮膚が水を弾いて流れ落ち、肌の上に留まらない。

 このシャールの瑞々しい肌には、まだ誰も男が触れたことはなかった。


 籠城戦が始まると水浴びもそうしょっちゅうはできなくなるな。

 そんなことを考えながらシャールはごしごしと髪の毛を布で拭いた。

 短い髪の毛はこういうときは便利である。

 手早く全身の水気も取った。

 荒い布の感触が肌に残る。


 新しい下着と室内着を身に着けたシャールは机に広げたザルツの町周辺の図面を眺めため息をついた。

 本日の偵察の結果、彼我の戦力差は十倍以上、こちらには城壁があるものの、敵には遠投投石機があることが判明している。

 

 何度図上演習をしても結果は自軍の敗北としかならない。

 首都から援軍でもあれば別だが、その望みはなかった。

 シャールを自分を愛人に望みはねつけられた新皇帝の叔父ゴウタールが援軍を出すことを許すはずがない。

 

 この無理な防衛指示を受けた後に、撤回して欲しくば我が部屋に来い、と恥も外聞もない手紙を送りつけてきた男である。

 父のギャレットが居ればこんなことにはならなかっただろうが、数か月前に別方面の戦場で非業の死を遂げていた。


 ギャレットの死と共にブラン帝国軍の精兵、特にエッサリア家の私兵も大損害を受けている。

 シャールの供回りが老人ばかりなのも、その戦いに従軍しなかった生き残りで構成されているからであった。

 ただ、このジイ様たちは腑抜けた帝国正規兵などよりは断然強い。

 とはいえ戦争は数である。

 首都の防衛に一兵でも多く留めたいお歴々は、マージャ王国領に近いザルツの町は重要地点ではあるものの多数の兵を派遣する気はなさそうだった。

 帝国の行く末を考えるとシャールは暗澹とした気分になる。

 

 大局についても不安しかないが、シャール自身もこの状況に翻弄されていた。

 三十歳以上も年が離れた好色な狒々爺の玩具になるか、ほぼ確実に残虐な敵将に辱められる結果が見えている戦場に出るか、究極の選択を突きつけられてシャールは後者を選んでいる。

 その選択が正しかったのかどうかの自信はいまだになかった。


 こんなことなら真面目に恋愛をして、好きな男を作って一度だけでも契りを交わしておくべきだったか。

 シャールの脳裏に今さらながらの後悔が浮かぶ。

 明日の朝も早い。

 こんな愚にもつかぬことを考えるなら寝よう。

 シャールは剣を引き寄せるとベッドに身を横たえるのだった。


 目蓋を閉じると、今日出会った少年の顔が浮かぶ。

 あいにくと目をつぶった意識のない姿だったが、可愛らしい様子には心を動かされた。

 頑是ない男の子に熱心に迫られ求愛されるのも悪くないかもしれない。

 眠りに落ちる前にシャールはほんの一瞬そんなことを考えるのだった。


 ***


 同時刻、ブラン帝国の首都では、首脳陣の一人である皇帝の叔父ゴウタールが側近と額を寄せ合って戦後処理の方針を話している。

「できれば、良いところで痛み分けといきたいものじゃな。あの娘、敵将の玩具にするには少々惜しい」

「しかし、あの兵力ではマージャ王国軍に手痛い損害を与えるのも難しくありませんか?」


「だから、ワシが救いの手を差し伸べてやったというに。その手を払って自費で傭兵を雇いおった。まあ、よい。ザルツは皇帝直轄領だ。一度はマージャ王国領となってもらわねばな」

「その後、閣下が回復する。領土も増えるし名声も上がる。完璧な計画でございますな」

 わははは。

 二人は顔を見合わせて、楽しげに笑うのだった。

 


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