第3話 崖上から落ちてきた少年
激戦を広げている者達には認知する術はなかったが、空中にぽっかりと透明な穴が開く。
一つはシャールと麻痺の魔法を使っている魔術師の中間の地点で地面からは子供の背ほど高さ、もう一つは魔術師の真上で四階ほどの建物の高さがある崖の際のところだった。
低い方の穴から狼のアーレが吐き出され、地面にぱっと降り立つ。
もう一方のものからは意識のない小六の身体が出てきた。
当然重力に引かれるままにそのまま落下する。
頑丈な薬種箱を下に麻痺の魔法を維持している魔術師に激突した。
傍目には崖上から落ちてきたように見えただろう。
魔術師というのは一般的にあまり体を鍛えていない。
この場にいる魔術師も例にもれずひょろっとした体つきで、もちろん首も細かった。
小六がぶつかった衝撃で頸椎が折れ即死する。
そのまま小六のクッションになるように倒れた。
地面に横たわる魔術師の上で小六は軽く跳ねる。意識を失ったままだった。
アーレはその様子を心配そうに見つめる。
やはり世界を渡る秘術はどんな強者でも、耐えがたいらしい。
俺は女神に直接加護を与えられていたがなかなかきつかったからな。
アーレは前世の死の直前に提示された条件を思い出した。
現世に転生できるが狼の姿であること、頼みとする戦士を異世界に自ら探しに行けること、その戦士とのみ双方向の人語での意思疎通ができること。
条件としてはあまり良くない。
だが、自らの手で可能な限り道を切り開いてきた男は、思い残したもののために女神の条件を飲んだ。
狼の身になった今、直接小六を助ける術はない。
代わりに周囲を見回して状況を確認し、空気中の臭いをかぐと唸り声をあげ歯を剥いた。
***
麻痺の魔法の効果が切れたシャールは、回避と受けに専念する。
もともとの剣技では刺客を圧倒していた。
守りに徹すると四人同時に相手取っても危なげがない。
残りの刺客もシャールに意識を取られているうちに、護衛に次々と斬られた。
ふうと大きく息を吐くと、シャールは付近の気配を探る。
戦士としての勘がまだ警戒を解くなと告げていた。
どこからか現れた狼が鋭い歯を剥きだして何も無さそうな空間に飛びかかる。
悲鳴が上がりぱっと血潮が狼の口を濡らした。
罵声とともに物音がする。
カチュアがすかさずその場所に向けて再び解呪の呪文を唱えた。
一瞬、抜き身の刃を持った男が狼に脚を噛まれている姿が浮かび消える。
「姿隠しのマジックアイテムです。解呪できません!」
しかし、それで十分だった。
既に十分な血を吸った槍が三方から空中を貫く。
断末魔の悲鳴が響いた。
新たな血潮が刃先を濡らして滴り落ちる。
頭を振っていたアーレが口の中の肉片を吐き出すと、地面に横たわる小六のところへと向かった。
その鼻先に顔を近づけスンスンと臭いを嗅ぐ。
呼吸があることを確認して満足したのかその横に身を横たえた。
部下を引き連れて、シャールがすぐそばまで足を運ぶと、アーレは頭をもたげる。
シャールは剣を拭って鞘に納めた。
両手を広げて害意が無いことを示す。
「別に危害を加えようというわけじゃない。私の危機を救ってくれたそこの男性の手当てをしたいだけだ。お前の主か何かかだろう?」
ちゃんと話が通じたのか、狼は場所を空けて座りなおした。
シャールは片膝をつくと横向きになった男の顔を覗き込み、ガントレットと手袋を外した手を額に当てる。
まだあどけなさの残る顔にシャールの心臓はとくんと鼓動を打った。
この辺りではあまり見ない黒髪と同じ色の睫毛が顔を彩っている。
後ろから声がかかった。
「姫様。ひょっとすると刺客の一味という可能性もあります。あまり気安く触らない方がよろしいのでは?」
「顔を見てみろ。まだ子供のようだ。それに、麻痺の魔法を使っていた魔術師を自らの体を使って倒したのを目撃している。落下事故かもしれないが、いずれにしても敵ではないと思う」
「まあ、確かにマージャ王国の手の者とは見えませんが……」
「いずれにせよ、敵であれ味方であれこのままにはしておけない。ザルツの町へ連れ帰る。誰か、馬に乗せよ」
シャールたちは急ぎ後始末をすると馬に乗ってこの場を離れる。
物見に出てきたところを待ち伏せする罠をしかける策を施すとは、ジャバダン自身はともかく配下に目端の効く者がいるらしい。
シャールは物憂げに考える。
とりあえず、あの丘に長く留まるのは得策ではないのは確かだった。
馬を駆けさせながら、シャールは子飼いの部下たちを鼓舞する。
「不意を打たれはしたが結果的に十名を超す暗殺者と魔術師を倒すことができた。しかもこちらは損害なし。籠城戦の最中に蠢動されることを思えば、かえって良かったかもしれないな。今回の戦いにおける初戦は当方の大勝利と味方に流せ。これで士気が少しは上がるだろう」
姿を見えなくする魔法は厄介ではあるが、その魔法の支援を受けて隠密行動するのにも技量が必要だった。
音を立てずに動くのもそう簡単ではない。お互いの姿が見えない中で行動するというのもさらに困難度が上がる。
専門の訓練を受けた暗殺者と、十人相手に魔法を展開できる有能な魔術師を倒せたということは誇張なしにかなりの戦果と言えた。
カチュアがシャールの側に馬を寄せてくる。
「姿隠しの指輪と思われるものを回収しておきました。他にもあの連中の装備の中に二、三、価値がありそうなものがあったから町に戻ったら目録を作って報告するわ」
「ああ、それは助かる」
「それで、あの少年はどうするの?」
シャールは首を振って、部下の一人の馬に横向きに乗せられた少年を見た。
さらにその後ろの地を駆ける狼にも目を向ける。
「よく訓練された狼を連れた子供か。確かにちょっと得体が知れないな。しかし、悪い人間ではない気がするんだ。恩人には違いないしな。あの魔術師が倒れなければ危なかった。まあ、当面十分な監視はつけておこう。カチュア、あの少年の尋問には同席してくれ」
「いいわよ、シャール。ただ、今日は勘弁して。連続で解呪の魔法を高速で展開したせいで魔力が尽きて倒れそう」
「大丈夫だ。仮に少年の意識が戻っても今日は尋問しない。町に戻れば私も軍監どのの相手をしなくてはならないからな。忠告を無視して偵察に出た件への嫌味を拝聴する私にも、そんな余力はなさそうだよ」
シャールは冗談とも本気ともとれる態度で口元を歪め、そっとため息を漏らすのだった。
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