第2話 赤き髪の姫騎士

 小六の居る武蔵国から遠く遠く離れた場所、城塞都市ザルツの城門前は避難してくる住民でごった返している。

「急げ急げ。敵はもう川向うまできているんだぞ」

 城門のところで兵士が人々を急かした。


 緊迫した兵士の声に今にも後ろから襲い掛かられるんじゃないかと、小さな子供を連れ荷車の横を歩く若い母親が怯えたように後ろを振り返る。

 その目に見えるのは避難してくる人の列のみ。

 兵士が脅してはいるものの、さすがにまだ敵の姿は見えなかった。


 入城する人の列をかわして、ブラン帝国の騎士シャール・ド・エッサリアは、接近するマージャ王国相手に威力偵察に出る。

 本来なら偵察などは部下に任せればいいのだが、エッサリア家の子飼いの兵士が少ない寄せ集めの混成部隊であり、二十歳になったばかりのシャールの威令が行き届かなかった。

 まだ若い上に、今は頭部を覆った兜で見えないが、鎧を着ているよりドレスの方が似合う美貌の持ち主である。

 シャールの父ギャレットのような威厳は望むべくもなかった。

 名声と実績がない以上は勤勉さを売りにするしかない。


 同行した子飼いの部下の一人マーグルフが進言する。

「姫様。あそこの丘の上からなら良く様子が分かるかもしれませんな」

 王国軍がすでに進出済みなら面倒なことになるな。シャールはそう考えもしたが、敵情を得ることを優先する判断をした。


 マーグルフの指し示す丘の向こう側は平坦で、国境になっている川まで見通しを遮るものはないはずである。

 シャールはエッサリア家子飼いの五騎と共に小高い丘に駆け登った。

 この丘は石の切り出しが行われていたので、頂上部分は半分ほどが切り立った崖になっている。

 上からの眺めは抜群だった。


 下馬したシャールは視界を遮る兜を脱ぎ、紅玉で染めたような短い髪が現れる。

 女性といえども兜がずれないように短髪を維持するのが騎士のたしなみだった。

 吹き寄せる風がシャールの顔を撫でる。

 馬を飛ばしてきた体に心地よかった。

 数歩前に出ると、シャールは強い陽光を避けようと額に手をかざす。

 川向こうに大きな陣地が築かれ、此岸にもより小さな方陣ができていた。


「渡河中の攻撃はもうできませんな」

「あの様子だと六千はいるだろう。こちらがすべて精鋭なら試す価値はあったがそうではないしな。そもそも彼我の兵力差が十倍では野戦は不利だ。ここは定石通り籠城するしかあるまい」

「となると、厄介なのはあれですかのう」

 マーグルフが大きな陣の中に引き込まれている巨大な車輪付きの物体を指さす。


 遠投投石機だった。

 長い腕の先にセットした巨石を錘の力を利用して遠方まで飛ばすことのできる最新兵器である。普段は車台に載せて移動し戦場で組み立てることができた。

 最大射程は五百歩近くもあり、遠投投石機がない側は一方的に射程外から一抱えもある岩石を浴びせられることになる。

 シャールは遠投投石機を睨んだ。

 本心としてはかなりの脅威を感じている。


 この丘は石の切り出し場であり、打ち込む岩石には不足しない。城壁を破壊するのは難しいだろうが、城門に何発も食らえば突破されることが予想された。

 さらに、この兵器には別の使い方がある。

 捕虜などを撃ち込んでくるという悪魔の所業のようなことも可能だった。

 なんとか実際に使用される前に遠投投石機を破壊したいが、近づくことすらままならないだろう。


 ただ、シャールは士気を考えて明るく言った。

「幸いなことに一台しか無さそうだ。それほどポンポンと連続で撃ってこれるわけじゃない。まあ、戦が始まれば破壊する機会もあるかもしれないしな。そこまで深刻に悩むほどのことではない。所詮は機械だ。それに川を渡すのにも時間がかかるだろうし直ちに脅威にはならないだろう」


 陣地に掲げられるマージャ勢の旗へ視線を移す。

「それにしても、相手の指揮官は噂通り野獣将軍ビーストジャバダンか」

「そのようですな。周辺の村からの避難が間に合ったのは不幸中の幸いでした」

 ジャバダンはマージャ王国と敵対する国からは評判の良くない男だった。


 別に常勝将軍というような武名を誇るわけではない。腕力だけが自慢の巨漢の戦士で、兵の指揮はそれほど巧みではなく凡将と目されている。

 だだ、戦場での婦女暴行を愛好するという困った趣味を持った男だった。

 過去の戦において、戦闘中よりも戦後に多くの者を殺したと評されている。


 普通であれば名誉なことではないはずなのだが、それを本人が自慢げに話すのだから救いようがない。

 そんな男の配下の兵の質も容易に想像できるというものである。

 避難民を含めて約三千人ほどの運命は、シャールの戦いぶりにかかっているのだった。


「見るべきものは見た。そろそろ引き上げるとするか」

 踵を返して馬に戻ろうとしたシャールの背筋を悪寒が走る。

 戦士の勘で剣を引き抜くと横に払った。

 キンという金属同士がぶつかる音がする。


 シャールは自分の周囲の気配を頼りに剣を振り回しながら叫んだ。

「姿隠しの魔法だ。気を付けろ」

 つき従っていた騎士の一人カチュアが口早に何かを唱え一際大きな気合の声をあげる。

 それと同時に、シャールの周囲に十人ほどの軽装の戦士の姿が現れた。


 護衛の騎士が間髪を入れずに槍を繰り出して四人を倒すが、それには目もくれず残りの六人が一斉にシャールに斬りかかる。

 シャールは巧みに体を動かして、一人を斬りながら、他の五人の剣をすべて鎧の頑丈な部分で受け止めたり弾いたりした。

 金属鎧の防御力をよく理解した無駄のない動きである。

 シャールは剣を合わせて押し返すと、さらにもう一人の首を飛ばした。


 襲撃者たちは一度数歩ほど間合いをとる。

 そこで異変が起こった。

 機敏な動きをしていたシャールが急に動きを止め、苦しそうに息を吐く。

「くっ」


 カチュアが叫んだ。

「麻痺の魔法だ。どこかに魔術師がいる!」

 先ほどカチュアが唱えた解呪の魔法の範囲外だったのだろう。

 今まで見えなかったが黒いローブを着た者の姿が三十歩以上離れた崖の近くに見えた。麻痺の魔法を使ったため、姿隠しの魔法が破れたようだ。


「もらった!」

 生き残った四人の襲撃者が再びシャールに迫る。

「姫様っ!」

 シャールは魔法のために身動きができない。

 そして、マーグルフら護衛の騎士たちからは襲撃者も魔術師も遠い状況で、誰にも為すすべはなさそうだった。

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