異世界でも天才忍者は無双しない

新巻へもん

第1話 天才は不遇をかこつ

 小六は天才的な忍びだった。

 しかし、天才であるが故に後継者争いの原因となるとして、先代の棟梁に疎んじられてしまう。

 その処置は長く尾を引き、この大事な戦においても、小田原の本城ではなく、忍城などという支城に詰めさせられていた。

 しかも、あくまで一足軽としてである。


 小六は『忍びは忍び難きを耐えてこそ忍び、名を上げようなどと考えてはならぬ』という教えを忠実に守っていた。

 そのため、忍城内にて普段は目立たぬようにしている。

 いざというときに腹痛などで役にたたぬ穀潰しとして同輩にさげすまれながら、小六は密かに忍び働きをした。


 忍城を囲む堤の構築中には、夜陰に紛れて堤に穴を開け工事を遅延させる。

 また、寄せ手の石田方の蓄積する兵糧を汚染して食べられなくした。

 誰にも認められることのない影働きをこなすことに、小六の胸中にわだかまりが全く無いわけではない。

 なにしろまだ若かった。


 技術の鍛練は熱心に行っていたので当代一流の領域に達していたが、それに比べれば精神的には未熟な部分を残している。

 下忍の立場であれば、里の掟に従い働くことになんの疑問も感じないように徹底的に人格を破壊されたであろう。

 しかし、小六は前棟梁の血を引いていた。

 何かあったときには、現棟梁である兄の後を継ぐ可能性もないわけではない。

 そのために、忍者としてはなんとも中途半端な育成をされている。


 忍城に来ての小六の楽しみは、城主の娘である甲斐姫の姿を垣間見ることだった。

 甲斐姫は美しいだけでなく、武芸の腕前もかなりのものである。

 小六も年頃だけに甲斐姫の姿を目にすると胸が騒いだ。

 この時代立身出世も本人の器量と運次第である。小田原に攻め寄せた総大将の豊臣秀吉も出自の身分は極めて低い。

 武名を上げれば甲斐姫を妻とすることも不可能ではなかった。


 いよいよ忍城が危うくなると、小六は甲斐姫の身を案じる。

 いざとなれば隠している手腕を晒してでも守るつもりでいたが、そもそも落城しないにこしたことはない。

 ある夜、密かに城を抜け出すと、石田治部の陣を強襲した。


 そこに立ちはだかったのが、鬼左近である。後に関ヶ原で対陣した徳川の将兵に後々まで悪夢を見させた男は一味違った。

「小童、どこから迷い込んだ?」

 その声と共に今まで小六がいた空間を槍が貫く。


 後ろにもんどり打ってかわしながら、小六は腰に差した長脇差を引き抜く。

 りゅうりゅうと槍をしごく左近は上機嫌だった。

「北条の乱波。わしの槍と十合も合わせるとは見事よ。いざ尋常に勝負」

 その間にも、変事を悟った石田治部の馬廻衆が駆け寄ってくる気配を感じた小六はあっさりと遁走することにする。

 得物の長さが違い過ぎて左近の方が圧倒的に有利であったし、時間の経過がさらに状況を悪化させることも理解していた。


 今までは軽くいなしていた槍先を強く刀で打ち据えると、小六は身を翻して走り出す。

 敢えて弱そうな相手に挑み手裏剣や長脇差で手傷を負わせ、手当のために追手の人数が割かれるようにした。

 陣の周辺に張り巡らされた柵を楽々と乗り越えると暗闇の中に溶け込み姿を消す。


 小六は己の不幸を呪った。

 左近は常陸方面との折衝のために陣を離れているはずだったが、どうも予定より早く帰陣したらしい。

 小六は世の中には刀槍の技に優れた化け物がまだまだいると慢心を戒め、そんな相手から無事に逃げることができたことをもって自らを慰めた。


 忍城内の寝床に潜り込みながら考える。

 甲斐姫も腕が立つが、鬼左近には及ばないだろう。

 あの男が寄せ手に混じることがあれば、次は死力を尽くして戦わなければなるまいと気を引き締めた。

 しかし、ついに再戦のときは現れずに、いくさは終わりとなる。


 北条家の本城である小田原城が落ち、和議が結ばれたとのことだった。

 小田原城に詰めていた城主から開城せよ、との指示が出て、石田方と講和する。

 他の北条方の城が軒並み落城するなか、最後まで耐え抜いたのは武士の誉れだった。

 あくまで講和の結果として、城門を開いたのであり、小六の恐れていたような乱暴狼藉は起こらず、甲斐姫たちは静々と城を出て行った。


 一方、腹の虫が治まらないのが、寄せ手の石田治部である。

 戦下手と揶揄されては心穏やかではない。

 個人的な恨みは別にしても、忍城が落ちなかった裏に、凄腕の忍びが居ることは、怜悧なだけに見抜いていた。

 これからも東北仕置きが残るなか、不安材料を捨て置くわけにはいかない。

 草の根分けてでも捜し出せ、と厳命する。


 このため、小六は甲斐姫の一行についていくわけにはいかなかった。

 風魔一族からの指示もないので、当面の危機を避けるため、薬種のあきんどに身をやつして、東へと逃れる。

 蒲生家預かりとなり、会津へと向かうはずの甲斐姫への未練を断ち切るように逆方向を選んだのだった。


 追っ手がかかったのは知っていたが、小六はその点はあまり心配していない。

 童顔の小六が薬種箱を背負い歩く姿は、生計たつきの足しになるよう健気に働いているようにしか見えなかった。

 面倒なのは小六を稚児扱いしようとする者の視線である。

 どこから正体が露見するか分からなかった。

 凡庸な顔になるよう化粧けわいを施して、耳目集めぬように小六は、村々で売り道を歩く。


 その小六の後ろをついてくる存在があった。

 一頭の狼である。

 群れをつくらずに単独行をするのは珍しいなと思いつつも小六は放置していた。

 武蔵国を中心に狼は真神まかみとして信仰の対象である。

 戦場で倒れた人の味でも覚え襲ってくれば別だが、小六の方から手を出すのは控えた。

 忍城を出て十日ほどに近くなるが、小六の後を大人しくついてくる。


 川で魚を釣って夕餉にしたときに、小六は一匹を少し離れたところに置いて様子をみた。

 狼は魚を食べ終えると両前脚を揃えて座る。

 口を開くと人語を話し始めた。

「結構なものを馳走いただき有難く存ずる」


 小六は驚かない。やはりただの狼ではなかったかと思うのみであった。

「アーレと申す。実は私は豪の者を探して遠きところより参った。小六殿の腕前は、先の戦にて十分に拝見つかまつっている。どうか一臂をお貸し願えないだろうか?」

 小六は沈思黙考する。


 忍城主が手紙を寄こせたのであるから、風魔一族もその気になれば小六につなぎをつけることはわけないはずだった。

 それがないということは、見切りをつけられたか、小六に構うどころではないのか、そのどちらかと想像する。

 いずれにせよ、長い間小六を縛り付けていたくびきから解き放たれたのを感じていた。


 先の当てもない小六は血が騒ぐのを感じる。

 こうして辞を低くして頼みごとをされるという体験も新鮮だった。

「いいでしょう。お引き受けします」

 あっさりと応諾した小六にアーレも驚かない。

「では、こちらまでご足労頂きたい」

 近くの淵まで案内をする。


 小六の目の前で水面に曼荼羅のような文様が浮かび上がった。

「この先に、小六殿のお力添えを必要とする地があります。準備はよろしいですか?」

 小六は短く頷く。

 アーレは淵の側で体勢を整えた。

「私のすぐ後に続いてください。それでは行きますよ」

 ぱっと跳躍すると淵の水面に触れるかどうかというところで曼荼羅が光を放ちアーレは姿を消す。


 面妖なこともあるものだと思いつつ、小六も地面を蹴った。

 白く眩い光が小六の体を包み、長い長い落下が始まると同時に、頭に霞がかかったようになる。

 これは地獄まで落ちるのではないかと思い始めたとき、はるか下の方に青空が広がっているのが見えた。

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