第16話 背後に動く影(後編)

 私はこの世界を全て把握していると思っていた。それくらいにゲームをやり込んでいた。だが、こいつは知らない。

 把握していることと言えば、ストーリー上きちんと主人公に倒される魔王幹部は6人で、残り2人は勇者パーティの仲間達が討伐したという話だけ。その能力も、見た目も、戦い方すらも話に出てこない。


 つまり、この男の素性が全くもって掴めない今、対峙するべきではない。


「で、どうします? ただの人間ひとりと、魔王幹部。力の差は明白だと思いますが」

「逃げるって言ったら逃してくれるわけ?」

「まぁ…‥私の追跡から逃げられるのであれば」

「それ、実質的に逃す気ないってことよね」


 そんな会話を続けながら、あの女に目を向ける。すると、発狂し疲れたのか、彼女はその場に倒れ込んでしまっていた。

 日は暮れ、近衛兵も自分の寮へと帰る時間……いよいよ、助かる可能性が薄れてきた。


「そりゃあ、私の姿を見られたのですから。それに、個人的に私は貴方に興味が湧いたってのも、ありますかね」

「興味?」

「えぇ。だって貴方、只者じゃないでしょう?」

「何が言いたいのよ」

「『魔冠の紋章』。その形くらいなら、魔王幹部の被害から逃れた人族から伝わっていてもおかしくない。だが、その呼び方まで知っているのは、不自然だと思いませんか?」

「幹部の誰かが、身分を自慢する時に口を滑らせたんじゃない?」

「いえ、それはあり得ませんよ。『魔冠の紋章』の呼び名を用いるのは、魔王様ご本人と魔法職の私ともうひとりだけ。他は力任せの能無しですから」

「そのもうひとりが言った可能性もあるじゃない」

「ハハッ。それこそあり得ませんよ。彼の声なんて、私ですら数回しか聞いたことがないのに」


 そこでピンと来たキャラクターがいる。

 『寡黙のレティス』。

 主人公が対峙した魔王幹部の1人。寡黙で顔が良いという、それだけの理由で人気投票で上位に入っていたキャラクター……って、そうじゃなくて。ゲームでも、「……」以外のセリフなんて数えるほどしかないような奴なのよ。

 そんなのと面識がある時点でコイツは本物だ。

 つまるところ、私の前に立っているのは、幹部を騙る小者なんかじゃなく、正真正銘の魔王幹部。それも、恐らく私もよく知らない精神系の魔法使い。

 状況は最悪だ。

 だが、まだ万事は休していない。

 

 私がここまで話を引き延ばしているのは、一重にそのチャンスに賭ける為だった。そして、肌感覚ではタイミングは今だ!


 懐に秘めたもう一つの煙玉を右手に取り出す。

 そして、踵を返し、走り出す。


「おや、ここに来て逃亡ですか。いいですよ、追いかけっこでもして時間を潰しますか?」


 うるせぇ。こちとら晩年運動不足。

 

「単純な追いかけっこなんざ、さらさらごめんなのよォ!」


 一瞬、上半身だけを振り返り、相手の胸元目掛け、煙玉を投げつけた。


「何度も同じ轍は踏みませんよ、【ブリーズ】」


 奴は魔法を唱えた。

 その瞬間、風が煙玉を煽り、宙へ──


 ──飛び立つことはなかった。というか、その場に微風すら吹かなかった。


 そのまま仮面男の胸に直撃し、煙が再び仮面男の姿を覆う。


「な!? 【ブリーズ】! 【ブリーズ】!」


 何度唱えても風は出ない。

 よし! 上手く行った! 時間稼ぎの甲斐はあったのだ!


「これは、魔力が離散している……。1つ目の煙玉か。あれに、何か仕込んでいましたね?」


 思ったより情報処理が早い。いや、だがあの煙玉は特別製だ。魔法無しでどうにかするなど不可能だ。


 そう確信していた。


 その確信が私を地獄へと引き摺り下ろすとも知らずに。


──


 走った。今日は本当に走ってばかりだ。

 追いつかれたら終わりだが、ゴールはそれなりに近い。そもそもここは王宮だ。騒ぎが起これば衛兵が集まってくる。

 それまで逃げ切れば私の勝ちだ。その為には取り敢えず、相手の手出しができないところに逃げ込みさえすれば、後はどうにでもなる。


 取り敢えず人々が住む居館を目指そう。


 そう考え、足を動かしていると、背後から冷たい声が聞こえた。聞こえたくない声だった。


「貴方、何者です? 【パラリズィ】」


 それが聞こえると共に、私の身体は動くのを止めてしまった。そしてやがて身体は地面に倒れ込んでしまった。


「な……何をしたのよ……」

「精神関与の麻痺魔法ですよ……それより、私の質問に答えてくれませんかね?」

「あァ!!」


 あまり痛みに声を漏らす。

 仮面の男が私の腕を持ち、曲がらない方向に曲げようと腕を引っ張ったのだ。


「拷問みたいなのは苦手なんですよ、早く吐いて下さい」


 そもそもなぜこの男がここにいる。

 それよりも、魔法を何故使える? 

 私が一つ目の煙玉に仕込んでいたのは──


「減魔剤。煙玉に仕込んだのはそれですね? そしてさっきの会話はそれが効くまでの時間稼ぎ……中々どうして、頭が回るようだ」


 あぁ…‥バレてしまったのか。


「そうよ、なのに何故あんたは動けているのよ!」


 そうだ。一つ目の煙に仕込んだのは減魔剤。恐らくライズが飲まされたものよりも強力なもの。いくら、魔族の魔力が強いとはいえ、30分は魔法を使えないはずだ。


「おや、質問しているのは私の方ですが?」

「いィ……ッ!」


 再度腕を捻られ、激痛が走る。


「言葉の聞き方と態度を気をつけた方がいいですよ。ほら、貴方貴族でしょう? そういうのは得意では?」 

「敬意を払う必要がある者には払う…‥貴方にはその価値がないでしょう!」


 自身の安全を願うなら、相手の言うことを聞くのが正解なのだろう。しかし、それが正しいとわかっていながら、私の口はそう動いたのだ。後悔はない。


「そうですか。まぁ、いいでしょう。全て覗かせていただくことにしましょう。持ち帰れば、時間は腐るほどありますしね」


 どれだけ動かそうとしても、身体はびくともしてくれない。

 入れる力が次々と抜けていく。


「だから、少し眠っていてください。【ドルミ】」

「い……や……」


 そんな拒みは届くことなく、私は闇の煙に包まれる。その直後、ひどい睡魔に襲われた。


「貴方の敗因は2つ。1つは、セトロスの背後に誰かが付いていることを疑わなかったこと。2つは、彼女を始末する際、心を『魔』にすることができなかったこと、つまりは『優しさ』です」


 意識が遠のく中、仮面男のそんな言葉が聞こえた。


 確かに、気付ける予兆はあった。

 王女であるエティが警戒しているセトロス家の者が何気ない顔でその領地に土足で入ってきていたことも。


 それに優しさだって、そう言われれば、敗因なのかもしれない。


 でも──


「し……かたない……じゃない」


 もう二度とあんな思いをしたくなかったんだから。


 今世では、できるだけ人に優しくしようって思ってしまったのだから。


 私は遠い記憶を思い出しながら、もう目覚めないと感じるほどの深い睡魔の海溝へと沈んでいった。



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