第15話 背後に動く影(前編)


 走った。兎に角走った。

 何処に行けばいいのかは考えていなかったけど、取り敢えずこの城の出入り口に行けばいいと思ったので、ゲートハウスに向かった。

 今振り返っても、この判断は正しかったと思う。近衛兵にれっきとした毒物を仕込んだのだ。犯人は出来るだけすぐにこの場を去ろうとするはずだ。追いつけるとしたら、そこしかない。


 そんなことを考えながら走ると、ゲートハウスが見えてきた。もう、日も暮れて辺りが暗くなってくる中、そこに一つの人影を見つけた。

 よく見えないが、あのフォルムのドレス。間違いない。パーティで見たあのドレスだ。そこまでの印象は無かったけど、ちゃんと覚えていた。これは、毎回欠かさずパーティに参加していたおかげかしら。


「令嬢が、護衛も付けずにお帰りですか?」


 声を掛けると、彼女はその反応で以て返事をする。上がり切った肩は、きっと驚いた証だろう。


「ご機嫌麗しゅう。セトロス嬢」


 私は今、どんな顔をしているのだろう。自分の顔だというのに全くわからない。ちゃんと、作り笑いはできているだろうか。体裁は整っているのだろうか。まぁ、もう取り繕う必要も無いのでしょうけれど。


「……こ、これはこれは。セルフィリア様。公爵家のご令嬢が私のような末端貴族にどのような御用でしょうか」


 この期に及んでしらを切るつもりだろうか。


 その様子を見て、段々と心の奥から怒りが湧き溢れてきた。これほどまでに鮮明な怒りを感じるのはきっと、前世ぶりだ。

 でも、まだ確証は何も持てていない。動くのはそれを得てからだ。


 その筈だったのに……。


「気安く下の名前で呼ばないで。私の弟に変な毒を盛った女の分際で」


 やってしまった。どうしても気持ちが先立ってしまった。弟を傷つけられたのに、黙って見ていることなんてできなかった。


「……がう……じゃない……」


 彼女は何やら言葉を呟きながら、手で顔を覆って崩れ落ちた。

 予想外の反応に少したじろいでしまう。


「何を言って──」

「違う、私が悪いんじゃない!」


 何を言っているのか尋ねようとしたところ、彼女は片手を払った。

 何を動揺しているのかは知らないが、どうやら、確信犯だ。

 しらを切り通すつもりなら、ここの反応としては、『知らない』を装う必要がある。しかし、既に彼女は容疑を認めた上で『悪くない』と、そう言っているのだ。


 ライズに何かを盛ったのはこの女で間違いないらしい。

 

「何を言ってるのよ。アンタがライズに変なものを食べさせたのは事実でしょう!?」

「違う違う違う違う」

「どれだけ否定したってやったことは取り消せないのよ!」

「違う! わ、私は……ただ、アイツに言われた通りにしただけで……」


 彼女の手は強張り、血管が見えるほどになっている。指の隙間から見える彼女の顔は段々と歪んでいく。そして、体は震えている。

 私は、この反応を知っている。この姿をする人がどのような状態の人なのか知っている……知っている筈だった。

 だからだろう。私がこれ程までに悪意をもってしても、この人への心配が捨てきれなかったのは。

 私の身体は無意識のうちに彼女の方に歩み寄っていた。


「あなた、大丈──」

「いけませんねぇ。人を責める時は魔の域に足を踏み入れていないと」

「!?」


 背後から声が聞こえ、歩みを止める。それと同時に懐から袋を取り出し、相手に投げつけた。

 その瞬間、辺りに煙が充満する。

 それに対して相手が一歩後ずさったのを見計らい、距離を取った上で、その方向に向き直る。


「これは……煙幕ですか。最近の令嬢はこんなものまで持ち出しているのですか。まったく、物騒な世の中になったものです」

「何なのよ、アンタは!」


 ウィズダムに言われて用意していた『奥の手』を、一番初めに使ってしまった。それ程までに私の身体は『コイツは危険』だと告げていた。


「初対面の人間に対して取る反応じゃないと思うんですけどね……ま、背後を取られれば誰だってそうなるか」


 煙幕の中でよく見えないが、ガタイは良い。声も低いし、男と見てまず間違いない。更にさっき感じた悪寒とこの気持ち悪い魔力……。


「もしかして、魔族……」


 気が動転し、考えが口から漏れてしまっていた。


「……フフフッ。ハハッ。ニャハハハハッ! 傑作ですよ、これは。もう笑うしかありませんよ」

「何が可笑しいのよ!」

「いえね、まさかこんなに簡単にバレるとは思ってなかったのですよ。やはり『人間の魔法』なんて、使うべきじゃありませんね」

「人間の魔法……いや、その前に『やはり』ってことはやっぱりアンタは──」

「【ブリーズ】」


 言い切る前に、奴は魔法を唱えた。

 正確に言えば、ただそういう言葉を発しただけだが、私にはそれが魔法だということを瞬時に理解できた。それは一重に前世の記憶のお陰だ。

 【ブリーズ】。それは、低ランクの風魔法。威力が低い分消費魔力も少ない。

 ゲームではそういう立ち位置の魔法だった。


 現に今、その魔法によって発生した風により、私の煙幕は払飛ばされてしまった。

 煙幕が消え、その中から出てきたのは、長身で細身、そして黒いコートを身に纏った仮面の男だった。


「そうです。正解ですよ。私は魔族です。まぁ、もっとも、ただの魔族とは与えられた格が違いますが」


 そう言って、彼は右手を払う。それによって、今までローブの皺で隠れていた胸の刺繍が顕になった。


「それは……魔冠の紋章……」

「おや、驚きました。まさか知る者がいたとは……」

「なんで、アンタみたいのが、王宮に入ってきてるのよ」

「簡単でしたよ、私の魔法に容易く惑わされてくれるのだから」

「そりゃあ、そういう類の話よね。そうでないと、魔王軍幹部がこんなところにいるはずがないわ」


 『魔冠の紋章』……それは、『勇者伝説』のゲーム内で登場するキーワードのひとつ。魔王軍内でも指折りの実力を誇る8人の幹部にだけ与えられる称号だ。ゲームでもかなり討伐に困難を極めたことをよく覚えている。そんなことは知っている。

 だが、私には一つ疑問点があった。たった一つだが、とびきり重要な疑問点だ。

 

 私は──


 ──この男を『知らない』


 そう、知らないのだ。今世で聞いたことがないんじゃない。前世含めて知らないのだ。


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