第4話 幼き日の姫君と


「本当にこれで良かったのかしら」


 お茶会への馬車の中、車窓を流れる街の景色を見てあることを思い出す。


 エティ。この世界のヒロインであり、この国の王女である彼女のことだった。正直な話、利害的な意味で言えば、勇者というピースを取れた今、彼女と接する必要もない。しかし、何故か私は彼女のいる宮廷に向かっている。


 彼女と正式なコミュニケーションを取ったのは今から6年前のことだ。それまでも、宮廷ですれ違ったり、家の都合で挨拶したり、パーティで話したりはしていたのだが、自分の意思で彼女に接したのはそこだった。


**


 宮廷の庭、花を愛でる少女にゆっくりと歩みを寄せた。


「綺麗な花ですね。これほど目を引く花は初めて見ました」


 振り向いた少女は、少し驚きはしていたが、直ぐに顔を笑顔に戻した。


「マナシグレは、限られた地方にしか芽を出さない貴重な花ですから」


 少女は目の前の青い光を放つ花を撫でてそう言った。大人びた対応と、その知的な話し方に強く興味を惹かれた。

 マナシグレというのは、ゲームでは、確かに他地方でアイテムの素材として使われていたが、宮廷にあったというのは初耳だった。


「ここでは大丈夫なのですか?」

「はい。お父様のご趣味で取り寄せ、特殊な魔法で環境を保っているのです」


 庭に入った時、微かな肌寒さとカラッとした空気を感じたのは気のせいではなかったらしい。


 「なるほど」と納得の声を漏らすと、少女はしゃがんでいた腰を上げ、パンパンとその白いドレスを叩いた。


「確か……シュティルナー家のご息女の方でしたよね? 名前は……」

「セルフィリアです。セルフィリア・シュティルナー。お休みのところ、突然話しかけてしまい申し訳ございません」


 頭を下げると、慌てた様子で少女はそれを止めた。


「いえいえ。滅相もありません。公爵家と王家ではそこまで立場に差もありませんし、同じ歳ではありませんか。気張らず話していきましょう」


 王族と公爵家。そこには大きすぎる程に大きな差があるのだが、きっとこの少女はそれをわかった上で言ってるのだと察した。

 少し眉根をひくつかせた上で私は「はい」と返事した。

 すると少女は、軽くお辞儀をしながら口を開いた。


「申し遅れました。私はエティ・スリーピア。一応王女という肩書ではありますが、ただのエティとして接していただけたら嬉しいです」


 その謙虚さに心臓が大きく鼓動した。王族としては、失格な対応だが、私はそこに美しさが見えた気がした。



 それから少しずつだが、私達の距離は近づいて行った。

 パーティで会えば、2人で夜空を見て話し、魔法学校への訪問のときは一緒の部屋で寝た。いつの間にか、自分の方から彼女との面談を持ちかけるようになっていた。

 初めの方は、彼女に引け目を感じているからだと思っていた。勇者という存在を彼女から奪った、ゲームとは違った意味での悪女としての引け目を。

 しかし、それはほんの少しの要素でしかなく、大部分は単に、彼女の人柄に惹きつけられていたということに気づいた。

 王族ということを感じさせないその振舞いと、公的な場にそれを持ち込まない規律正しさのギャップに目が離せなかった。そしてその裏に感じる寂しさのようなものに母性を擽られた。

 正直に言うと、ゲームのセルフィリアはこの娘の何処が気に入らなかったのか本気で気になるくらいだった。


 でも、近づきすぎて、見たくないところまで見えてしまっているのも明確な事実として存在するわけで。

 別に、彼女の腹黒さを覗き見たというわけではない。いや、まぁ、『黒い』という表現は、ある意味ではあってるんだけど。



「セルフィ!! ライズ君の衣装お披露目はいつかな? 今からでも待ちきれないんだけど!」



 先月会った時、彼女が食い気味でそう言ったことを強く覚えている。だって目がガチだから。

 御淑やかな彼女はどこへやら。こと、ライズに対する興味だけは異常なレベルで大きくなっている。

 ゲーム版で向けられるはずの彼女の想いが、今世では歪んだ状態で形作られていた。


 私のせいなんだろうか? いや、そうなんだろうな。

 

 ライズを彼女から取り上げたことはもちろんだが、『あの状態』のライズを彼女に合わせてしまったのが、どうやらまずかったらしい。



 騎士団に入団させる際、挨拶として王に謁見することになったのだが、私の趣味……じゃなくて、王様に失礼のないように、とびきりの服装で行かせたのだ。そのついでに友達としてエティに紹介した。


 顔を見合わせた瞬間は、それほどエティは反応しなかったのだが、その後が問題だった。


「エティ・スリーピア様。私は、セルフィリア・シュティルナーの弟、ライズ・シュティルナーと申します。これからは騎士団として……」


 そこで動きを止めて、ライズは後ろにいた私の方を振り向いた。


「あ、あねうえ~。やっぱり僕にはまだ無理です~」


 鳴き声と共にライズは、私のもとに抱き着いてきたのだ。

 そう、当時の少年はまだ幼かったのだ。異例の年齢で剣の才を見出され、騎士団に入団する天才少年はまだ齢10の赤子だった。王の謁見で張った緊張の糸が私の姿を見て途切れたのだろう。


 正直ショタコンの私もその可愛さに悶絶しそうだったが、流石に王族の手前、それは自重した……のだが。


「こら、ライズ。もう少しだけ頑張りなさい。そんなに気を張らなくてもいいから。ただ、私の友達のエティに挨拶するだけでしょ?」


 ライズを慰める中、視界の隅に映ったエティの顔は、完全に蕩け切っていた。それを見て私は直感してしまった。彼女は、私と同じ『ショタコン』であることに。

 よくよく思い出してみれば、この頃の彼女は親からの指導のせいで自己肯定感が極めて低く、誰かを護りたいとかそういう庇護欲のようなものが、発散することなく、生まれてからずっと溜まり続けていたのだ。それが、ライズという捌け口を見つけて、暴走したとか、そういうことなのだろう。


「うぅ……あねうえがそう言うなら……がんばる」


 はしたない顔をする王女に、無垢な少年は近づいて行った。


「エティさm……」

「エティお姉ちゃん、でいいわよ。ライズ君」


 エティの笑顔は何より優しいものだった。だが、騙されてはいけないのは、目の奥が笑っていないということだ。

 こいつ、自然な流れで『お姉ちゃん呼び』を確立しようとしてやがる……なんという巧妙さだ。


「エティお姉ちゃん、僕の名前はライズ・シュティルナーです。明日から近衛騎士団として仕えさせていただきます、よろしくお願いします……」

「うんうん。よくできました。まだ10歳なのに、偉いわね」


 ライズの頭を撫でる彼女を見て少し複雑な気持ちになった。その時の感情は今でも心の隅に残っている。史実では結ばれるはずの2人。それを引き裂いた悪女の私が、こんな気持ちを持つこと自体烏滸がましいのに。


ライズの姉の私。セルフィリアとしての私。悪女としての私。それらをせめぎ合わせながら、私はエティとの付き合いを続けていった。

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