第5話
自室は昨日、誠夏が掃除してくれたおかげで綺麗な状態に戻った。ゴミが一つもなく、辺りを蹂躙していた刺激臭が消えている。
「すっご。料理もできて掃除もできるとか完全無欠じゃん……」
浄化された空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく深呼吸。そのまま脱力してベッドへダイブする。
「あれ?」
ベッドへダイブし顔を横に向けると、ある違和感に気付く。視線の先にはちょうど本棚があり、そこにあるはずがないマンガが紛れ込んでいた。
「あそこに百合のマンガ置いてあったけ……?」
ひときわ表紙が派手な単行本が数冊。煌びやかな女性が二人、正面から抱き合ってキスするイラストが目に飛び込む。
あれは確か、ベッド下に隠しておいた代物だったはずだが……。
「げっ」
これは誠夏にガッツリ見られた可能性が高い。他の少年漫画とは違い、表紙が目立つように堂々と置かれてある。
そういう趣味があるのはまだ誰にも公表していない。見られて不味いものでもないが、少しばかり羞恥を覚える。
「私の知らないところで、知られちゃったのは癪だな」
あとで恋愛対象は男性だと釈明しないと、純粋なあの子は変に勘違いする。
先のことを考えて短く息を吐く。
■■■
「姉貴」
「はーい」
「ボク、あのウサギさんのぬいぐるみが欲しい」
「どれどれ~?」
「アレだよ、アレ」
これは私がまだ小学生で、誠夏が園児だった頃の話。
あるデパートのゲーセンで、彼女は真っ直ぐ指差す。
「もしかしてUFOキャッチャーのヤツ?」
「ん」
指差した先には一際サイズが大きいクレーンゲームが置かれてあった。
機械の中には得体の知れない景品が大量に陳列されている。
「アレはウサギなの?」
「ん。姉貴、あのキャラ知らない?」
「知らない、知らない‼」
そのウサギは何故か目玉が飛び出ていて、耳が象の鼻ぐらい長い。全身が黄緑色で口から紫色の舌がペロリとこんにちは。
小さい子が見たら悲鳴を上げそうなバケモノ。軽くトラウマを植え付けてくる見た目をしている。
「あのウサギは可愛い?」
「うん。かわいい」
「どこが?」
「ぜんぶ」
「ザックリしてんなー」
この子のカワイイは一般人が言うカワイイとはまったく別物。
誠夏はウサギのぬいぐるみを物欲しげにジッと眺める。
「仕方ない。お姉ちゃんが取ってきてあげる」
「ん」
アレが取れる確証はない。ぶっちゃけクレーンゲームは苦手だ。
お小遣いが溶けていく未来しか見えない。
「いっくよー‼」
「ん」
百円玉を入れ、早速ボタンを押す。
予想通り上手く操作できず、苦戦を強いられた。アームが全然言う事を聞かず暴れ馬と化す。
たった五分のうちに、千円ほどドブに捨てた。
「姉貴、ムリならいいよ」
「いいや、ムリじゃない。絶対イケる‼」
一度やると決めたことは必ずやり切る。途中で諦めるという選択肢はない。
財産がある限り何度でも、何度でも挑み続ける。
「これで最後か……」
残すは百円玉一枚。もう失敗は許されない状況。
この絶対絶命のピンチに奇跡は起きた。
「やったー。やっと取れた‼」
およそ一時間半。粘りに粘った結果、目的のウサギをゲットした。
「はい。ちょっと早めの誕生日プレゼント」
彼女と目線を合わせるように中腰になり、ウサギのぬいぐるみを渡す。
渡されるや否や、誠夏はウサギの腹部に顔を埋めた。ちょうど彼女の両腕に収まるサイズ感で、なんだか嬉しそうにモフモフしている。
「ありがと、姉貴」
「うふふっ。どういたしまして」
「この子、一生大事にする。死ぬまでずっと一緒」
「死ぬまではちょっと重くない?」
幼馴染にあげた最初のプレゼント。
この後、空っぽの財布を見て泣きそうになったが後悔はない。
彼女の喜ぶ顔が見れたから。
■■■
「姉貴、姉貴、姉貴……」
満月が薄ら顔を出す黄昏時。
遠くから誰かの呼ぶ声がやんわり鼓膜を刺激する。
「早く目覚まして。ねぇ!ねぇってば‼」
意識はまだ暗闇の中。誰かの声とともに、柔らかい感触が伝わってきた。
「サッサと起きないと一発殴るよ。いい?」
「んっ。んんん~」
なんだか物騒なのことが聞えてきたが、それでも瞼を開けることができない。呻き声を上げつつ、現実と夢の狭間で彷徨い続ける。
「もうマジで知らないから‼」
パンと叩いた音が鳴り、ようやく目を覚ます。
腹部を中心にじわじわと痛覚が襲い、反射的に軽く嘔吐いた。
「なになに?いま誰かに殴られた⁉」
「やっと起きた。ボクだよ、ボク」
むくりと上体を起こし、隣に立つ長身のシルエットに目を移す。
「誠夏ちゃん……。ウサギのぬいぐるみ……」
「ウサギのぬいぐるみ?」
「一生大事にしてね……」
「……」
「あっ」
頭が寝ぼけ過ぎて、目の前の女性が幼少期の誠夏ちゃんと重なって見えた。
瞼をゴシゴシ擦り、必死に視覚を調整する。
「誠夏ちゃん。いつの間に帰ってきてたの?」
「ついさっき」
「あれ……?いま何時?」
「夕方の六時」
「まだ朝じゃなかった?」
「は?」
早朝。彼女を玄関で見送ったあと、自室に戻った所まで覚えている。本棚に並べられた百合のマンガを目にして……そこからの記憶がまるでない。
「昼ご飯ちゃんと食べた?」
「覚えてない」
「そもそも朝なにしてた?」
「覚えてない」
「昼は?」
「覚えてない」
覚えていないというか、馬鹿みたいにぐっすり寝ていた。長時間いびきをかいたせいで喉が乾燥し痛い。
「姉貴」
「はい」
「今から夕飯の食材買いに行くから一緒について来て」
「いや私、外出れな……」
「ボクが学校で真面目に授業を受けている間、ぐーたら寝てた罰。オーケー以外は許されない」
誠夏は私を布団の中から無理やり引っ張り出す。抵抗しようしたが彼女の方が圧倒的に力が強く、呆気なく床に放り出された。
「ボクが三十秒数えている間に服着替えて」
「ムリムリムリムリムリムリッ‼」
「出来ないなら今度から姉貴のこと“ヒキニート”と呼ぶ」
「アダ名がストレート過ぎない⁉」
「ほら。早く着替えろ、ヒキニート」
「もう呼んでるし……」
床で暫く駄々をこねていたが、まったく効果なし。がっちり腕を組んで無様な私を冷ややかな目で見下ろす。
「早くしないと服脱がす」
「ゴメンなさい。それだけはご勘弁を~」
誠夏には一度部屋の外に出てもらい、クローゼットの中から適当に埃被った洋服を引っ張り出す。ダボダボのTシャツにダボダボのジーパンとかなりラフな格好だが、そこは仕方ない。どうせ近所のスーパーに行くだけだし。
と、思っていたのだが……。
就活失敗したヒキニート、幼馴染JKの尻に敷かれる。 石油王 @ryohei0801
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