第4話
翌朝。
窓から差し込む朝陽と外で鳴き喚く閑古鳥に起こされた。
重たい上体を起こし、腫れぼったい瞼を擦る。
「あれ……私の部屋じゃない?」
ぼやけた視界がテレビの画面を捉える。自室にあるテレビと比べてサイズが一回り大きい。恐らくリビングに置いてある方のヤツだ。
「やっば……。風呂入らずにそのまま寝てた」
徐々に昨晩の記憶を甦ってくる。
どうやら自室に戻らずソファーで寝てしまっていたらしい。
「ジュージュー聞こえる……?」
フライパンの上で焼かれた油の音。
ベーコンと絡み合った玉子焼きの香ばしい香りが部屋に充満している。
ついでに味噌汁らしき香りも鼻元まで漂ってきた。
「お母さん、なんか作ってる?」
「……」
「私食べないよ。朝ごはん」
「……」
話しかけても返答はなし。調理する物音だけが聞こえる。
デカい独り言を呟いた感じがして恥ずかしい。
「お母さん」
「……」
「お母さん?」
「……フゥ」
ゆっくり息を吐く声。
ようやく反応してくれた。
「居るんなら、はやく返事してよ~。怖くなるじゃん」
「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ……」
「なんか息荒くない?どした?」
「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ……」
「ん?お母さ……あっ」
そう云えば母親は再婚相手の家に行っていて、ここにはいないんだった。
じゃあ、この声の主は……⁉
寝ぼけていた頭を両手で叩き起こし、声がする方へ視線を向ける。
「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ、フゥ……よし」
これは幻覚か。
テレビのすぐ隣。リビングに付けられた突っ張り棒で懸垂する女の子が視界に入った。
「誠夏ちゃん。お、おはよう……」
「んっ。おはよ」
ツッコむ前に一先ず朝のご挨拶。
誠夏は額に浮かぶ汗を拭い、挨拶を返してくれた。
「朝から何してんの?」
「朝ご飯作ってる」
「それは見たら分かる」
「じゃあ、なに?」
「今さっきその突っ張り棒で懸垂してなかった?」
「うん。それがなに?」
「それがなに、じゃなくない⁉」
暫く使われていないかつ丈夫で太い突っ張り棒ではあるが当然、筋トレ用の器具ではない。
「ゴメン。台所に行く時はちゃんと汗拭くし、手洗うから」
「ちがう、ちがう‼別にそういう心配はしてない。もっと根本的な問題。そもそもこんな時間に、こんな場所で筋トレするバカがどこにいんのよ‼しかもその突っ張り棒で‼」
「たまたま懸垂できそうな棒があったから、つい」
「えっ。筋肉バカ⁉」
気が触れたのかと一瞬焦ったがあの飄々とした様子を見る限り、身も心も異常はなさそうだ。
「さすがに全体重乗せたら壊れちゃうか。ゴメン、次から気を付ける」
「う、うん。気を付けて……」
彼女は昔から少し抜けている部分がある。
天然ちゃんのようなドジはしないが、行動や価値観が人と少しズレている。いわゆる不思議ちゃんだ。
「朝ご飯もう少しだから、ちょっと待ってて」
よく見ると彼女の服装は糊のきいた白シャツのみ。
下は当然のように履いてない。
第三ボタンまでワイシャツのボタンを外し、暑そうに胸元をパタパタさせる。
「ちょ、ちょい‼」
「なに?もしかして埃飛んじゃった?」
「いや、ちがう。なんというか、その……」
「また汗臭い?」
「全然臭くない‼むしろ良い匂いなんだけど……」
言えない。こんな早朝から同姓相手に欲情しているなんて。
悲しいかな。五歳年下の幼馴染が大人のお姉さんにしか見えない。
セーラー服が普通のスーツに見えてしまう
ちょっとした仕草を目にしただけで、顔が熱くなる。
てか胸元をパタパタさせるたびに、アレが見えそうで怖い。
「姉貴。目がヤラシイ」
「イタい、イタい、イタい、イタい、イタい、イタい‼」
すっかり彼女の胸元に釘付けになっていると、誠夏がこちらに近づき耳を抓ってきた。しかも、わりと強めに。
「ゴメンなさい~。耳取れちゃう~」
「このスケベ姉貴」
「不名誉なアダ名付けないでぇ~」
満足するまで耳を弄ったあと台所に行き、出来上がった玉子焼きを皿に盛る。
その他、グリルで焼いた鮭と豚汁、熱々の白ご飯が食卓に並ぶ。
「いつから筋トレ始めたの?」
「五年前」
「ちょうど私たちが会わなくなった時期か……」
私の知ってる誠夏は筋肉とは無縁の華奢な体つきだった。
今も変わらず華奢な体つきでパッと見、普通の女の子だ。
しかし腹筋や腕、脚がどことなく筋肉質で、体育会系特有の均整のとれたスタイルを誇る。
「ちなみに始めたキッカケは?」
「なんとなく」
「誰かに憧れて始めた感じ?」
「別に」
「守ってあげたい彼氏ができた?」
「彼氏いない」
「じゃあ彼女‼」
「彼女もいない」
矢継ぎ早に質問するが、彼女は例のごとく適当に生返事を返すばかり。
まともに話す気はなく、ボトルに入ったプロテインを一気に飲み干す。
「格闘家目指してる?」
「目指してない」
「一分で勝負決める?」
「決めない」
「ねぇねぇ、早く教えてよぉ~。気になる、気になる‼」
「……」
しつこく問い詰めていたら「しょうもないこと言ってないで早く食べろ」と無言の圧をかけられた。
私は大人しく自席に座る。
「向かい側座っていい?」
「おっ。今日は一緒に食べるんだ」
「うん」
テーブルには私の分と合わせて、同じメニューのご飯が並んでいる。
誠夏はムスッと顔で向かい側の席に座った。
「今日は学校?」
「うん。もう月曜日だから」
「高校どこなん?」
「山寺高校」
「おおっ。私の母校じゃん。あそこの入学試験クソ難しかったっしょ?」
「まぁまぁ。一応、首席で通った」
「えっ。天才じゃん……」
山寺高校とは私が住む地区では一番偏差値の高い学校だ。例年倍率が極めて高く、並大抵の勉強量では合格できない。そこで首席で通ったということは将来、赤門を潜るのも夢じゃないだろう。
「部活はなんかしてんの?」
「バスケ部」
「あそこのバスケ部ってたしか、全国大会レベルじゃ……」
「うん。去年、全国大会で準優勝した」
「わお、やっば」
「ちなみに今、キャプテンしてる」
「ええっ⁉凄っ⁉文武両道とかマジ天才じゃんか」
さも当前のように言う功績が眩しくて羨ましい。
私の知らない間にきちんと青春を謳歌していたようだ。
「やっぱ高校楽しい?」
「そこそこ」
「そこそこってなに。まだ足りない感じ?」
「いや……。まあ、うん……」
煮え切らない返事をして、疎ましそうに顔を俯かせる誠夏。
これは学校のことを掘り下げるより、別の話題に変えた方がいいかもしれない。
「そういや、もう志望校は決まってる?」
「うん」
「どこ大、受験すんの?」
「姉貴と同じとこになりそう」
「えっ。誠夏ちゃんの学力ならもっと上に行けそうだけど……」
「確実に受かるところがいい」
「安定志向とはイマドキだね~」
「ごちそうさま」
益体もない会話をダラダラ繰り広げていると、先に誠夏が食べ終わった。
そそくさと食器をシンクに置き、リビングを後にする。
「姉貴、もう行ってくる」
あっという間に身支度を済ませた彼女は、慌ただしく玄関で靴を履く。
「あんなに小っちゃかった誠夏ちゃんが高校の制服着てるとか不思議。しかも私の母校のヤツだし」
「あっそ」
濃紺のブレザーを羽織り、チェック柄のスカートを靡かす。
母校の制服を見るだけで高校時代の記憶が思い出され、懐かしい気持ちになる。
「じゃあ、いってきます」
「いってら」
玄関で彼女を見送ったあと、残りの朝食を一気に平らげた。
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