第2話

あれから三十分ほど。

不自然にベッドの上で正座したまま動けない。

何かする余裕もなく、ただひたすら瞑想していた。


「姉貴、ご飯できた」

「えっ」


それは突然だった。

いつの間にか誠夏が私の部屋に入ってきていた。


「ノックした?」

「うん」

「ちゃんと部屋の外から声掛けた?」

「うん」

「うそ」

「ほんと」


彼女の足元にはハエが集ったゴミ袋が二つ。容赦なく踏まれていた。


「姉貴」

「はい」

「この惨状はなに?」


まるで汚物を見るような目で私を見下ろす。

淡泊な声色で「汚っ」と小さく呟かれた。


「すみません。ゴミを捨てるのが面倒くさくて、そのまま長期間放置していました」

「ぱっと見、一年分あるように見える」

「はい。その通りでございます」


素直に自白すると誠夏は心底呆れた感じで深い溜息を漏らし、眉間にシワを作る。相変わらず表情は死んだままだが、心なしか嫌悪感が伝わってきた。


「ほんとゴメン。さあさあ、こんなとこ汚いし早く出よ」

「うん、姉貴が先に出て。ご飯冷めちゃうから」

「ん?」

「ボクはここの掃除をする」

「いや、流石にそれは悪いよ。後で私が全部する」

「後でっていつ?」

「ええっと、そうだな……明日かな?」

「明日やろうは馬鹿野郎。それ絶対しない人のセリフ」


ベッドの上から一向に動こうとしない私の手を引っ張り上げ、部屋の外に追い出す。

部屋の中に戻ろうしたが、その前にドアを勢いよく閉められた。


「ボクはもう夕食済ませた。だから気にせずご飯食べちゃって」

「はい……」


あの部屋には見られたら恥ずかしい物で溢れかえっているが、今更隠すのは無理そうだ。

重い足取りで階段を降り、食卓へ向かう。


■■■


「えっ……」


食卓に来るなり、目の前の光景に言葉を失う。

肉じゃが、味噌汁、炊き込みご飯、サバの味噌煮、酢の物、茶碗蒸し——などなど。テーブルの隅々まで埋め尽くされた華麗な料理の数々。その光景はまさに満漢全席。

旅行先でもここまでの量は見たことない。まだ味は確かめていないが、どれもたった三十分程度で作ったとは思えないクオリティだ。


「これ全部私の分?」


見た感じとても一人分には見えない。恐らく半分くらい食べたところでギブアップすると思う。

一先ず席に座り、静かに感謝を込めて手を合わせる。


「まずは味噌汁から頂こうかな」


男の胃袋を掴みやすいと有名な味噌汁。味噌汁の味でその人の料理スキルがどのくらいか分かると言っても過言ではない。

熱々のお椀を両手で持って、ゆっくりすする。


「うっま」


一瞬で胃袋を鷲掴みにされた。

舌に馴染み切る前に、絶品の風味が脳内を支配する。

彼女の腕は三ツ星級だ。

手に取った箸が止まらない。


「物音が凄い」


ガタゴトと響く天井。

私がひとりディナーを楽しんでいる間、彼女は大掃除に悪戦苦闘しているようだ。

申し訳ない気持ちが募り胸が痛い。


「でも、あの子がここまで料理上手だったとは意外だな~」


昔の彼女は料理どころか、家事とは無縁そうな寡黙な少女だった。口数が異常に少なく、部屋でひとり黙々と勉強していたイメージが強い。

感情表現が不器用で友達は幼馴染の私のみ。学校では孤高のマドンナとして一部の熱狂的なファンに崇められていたらしいが、直接話しかけに行く者はいなかった。

唯一友達だった私も、彼女とまともに会話が成立した覚えがない。いつも私が一方的に何か喋っていた感じ。誠夏はほとんど声を発さず、うんうんと適当に頷いてるだけだった。

今思い返せば私はデカい声で独り言を呟くヤバイ奴になっていたかも。なんだか恥ずかしく死にそう。


「姉貴」

「ひゃい⁉」

「部屋の掃除終わった」


物思いに耽っていると、背後から誠夏の声が聞こえてきた。さっきから彼女の気配を感じ取れないのは何故だ。

ビックリして変な声が出てしまう。


「もう掃除し終わったの?あのゴミの量、そんな短時間で?」

「うん。ちゃんと仕分けして袋に閉じておいた。収集日に全部出して」

「わ、わかった……」

「やっぱボクがゴミ出しする。姉貴しなさそう」

「うぅ……。全く信用されてない」


私の生返事ですぐに察し、またも溜息を漏らす。再会してからこの短時間で、私への好感度と信頼度は地の底まで落ちただろう。


「ほんとゴメンね。こんなダメダメなお姉ちゃんで」

「別に気にしてない。予めおばさんから色々話聞いてたし、だいたい予想ついてた」


汗ばんだ髪をかき上げ、掃除用に付けていたマスクを外す。

彼女が横を通り過ぎた時。アロマの香水がふんわり空気中に舞う。


「良い匂い……」


思わず感嘆を漏らしてしまった。

香水ごときに理性が揺らぐ。

誠夏は私の方を振り返り、自分の服に鼻を当てクンクン嗅ぎ始めた。


「臭かった?」

「う、ううん‼全然臭くない‼むしろ良い匂い‼」

「そう?かなり汗かいたから結構ヤバイかも」


僅かに頬を赤らめ、火照った顔を冷ますように手を仰ぐ。

彼女が手で仰ぐせいで香水の匂いは風に乗り、こちらの鼻孔をくすぐる。

胸の動悸が激しく波打ってしんどい。


「ちょっとシャワー借りていい?」

「どうぞ、自由に使って」


シャツのボタンを外し、豊満な胸がはだける。昔はあんなに大きくなかったのに、ここ数年で一気に成長したようだ。同姓相手でありながら目のやり場に困る。


「脱衣所で着替えたら?一応、わたし食事中だし」

「あっ、ゴメン。そうだった」


ズボンのファスナーを下ろす間際に、着替えを止めさせる。

誠夏は下着を露出した状態で飄々とリビングを後にした。


「汗の匂いは気にすんのに、着替えは気にしないのか……」


彼女が部屋を出たあと、不満をブツブツ呟く。

ご飯は少し冷めてしまったが、それでも味の質は落ちていない。

こんな美味しい料理を食べれるなんて自分は果報者だ。後でちゃんとお礼を言わなきゃ。

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