第1話
黒瀬秋音(くろせあきね)——。
昨年の春に一度も留年せず有名国立大学を卒業した“元”優等生。
だが、あれから一年経った今。何もせず実家の自室で引きこもっている。
どうしてこうなったのか、自分でも分からない。
ただ働く意志があったのに、一つも内定が貰えなかっただけ。
就活はよく恋愛に例えられ、企業との巡り合わせで内定が決まると言われている。
就活と恋愛が似ているのならば、学内で一番モテていた私は五大商社のどれかに難なく就職できたはず。しかし現実は平日の昼からポテチを食べ、悠々とテレビゲームに没頭する日々。
おかげさまで体重が昨年と比べて十キロ増加した。デブとまではいかないが、腰回りの肉が妙に柔らかい。
部屋も女の子らしいファンシーな空間だったのに、現在はペットボトルと菓子袋で支配されたゴミ屋敷と化している。
『秋音。いつになったら働く気なるの⁉」
母親のお𠮟りが日に日に増え、鬱憤が溜まる一方。私だって別になりたくて、こうなった訳ではない。
就活が上手くいっていたら今頃、社内表彰で登壇していただろう。
「こんな優秀な私を見抜けない日本の企業がおかしい」
日々そんな事を呟きつつ、床に寝転がっている。
全身スウェット姿が板について、大学の頃に買ったオシャレ服がもう着れない。
部屋の窓から一年ぐらい出てない外を眺め、社会に揉まれるサラリーマンを見物するのが私の腐った日課だ。
「お母さん、今から買い物行ってくるから‼」
「ん」
「なんか必要なものいる?」
「アイスとコーラ」
「アンタ、また太るよ」
「太らない体質だから大丈夫。早く買ってきて」
「はぁ……。はいはい」
ドア越しから聞こえる母親の深い溜息。
最初こそ母親の溜息を聞くと罪悪感を覚えていたが、今では日常過ぎて何とも思わない。なんなら苛立ちを覚える日もある。既に末期だ。
暫くして玄関のドアが閉まる音が響く。
「さて、冷蔵庫の中漁りに行くか」
ポテチだけでは私の腹は満たされない。小うるさい母親が居ないのを確認して、そろりと階段を下りていく。
「おお‼ハーゲンダッツあるじゃん、あるじゃーん♪」
冷凍スペースを開くと高級デザートを三つも発見。バニラ味、ストロベリー味、チョコレート味と三種類も味を楽しめる。
「ありがたく頂戴いたします」
三つの嗜好品を頭上に小さく掲げ、どこかの神様に感謝を伝える。
そして足早に台所を離れ、自室へ戻ろうとしたその時——。
“ピンポーン‼”
突然家のインターホンが鳴る。
配達の人だろうか。でも今日は何か荷物が届く予定はない。
集金とか宗教勧誘だったら頗るメンドイ。ここは無視が得策だ。
“ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン——‼”
ああ。うるさい、うるさい、うるさい、うるさい‼
来客者がボタンをしつこく連打するせいで、インターホンが鳴りっぱなしだ。
このまま放置していると近所迷惑になる。
仕方なくインターホンの通話ボタンを押した。
「なんでしょうか?」
インターホンの画面に映ったのは中性的な顔立ちをした女性が一人。
仏頂面で棒立ちしていた。
「あの~、どちら様ですか?」
「……」
「あの~」
「……」
「ええっと……、何か返事して欲しいのですが……」
応答を求めるが、女性は無言で立ち尽くしたまま微動だにしない。
一切の感情を排した無機質な瞳でひたすらカメラのレンズを睨む。
「すみません。このまま返事がないようなら通報させていただ——」
「ねぇ?」
通報というワードが出た瞬間、女性は口を開く。
「ウチのこと覚えてない?」
「はい⁉」
「ほら、顔よく見て」
女性はそう言ってカメラに顔を近づかせる。
長く凛としたまつ毛が揺れ、スッと通った鼻筋が間近で確認できた。
しかし彼女の正体が誰なのか全く分からない。身近にこんな綺麗な人いたっけな?
「取り敢えず玄関のドア開けて。生でウチを見て」
「いや。それは、ちょっと……」
「開けて」
表情は全く変わってないが、謎の圧を感じる。早くドアを開けないと、殺されそうなおっかない雰囲気を醸し出す。
私は仕方なく鍵を開け、玄関のドア開けた。
「久しぶり、姉貴」
「あっ」
私を“姉貴”と呼ぶのはあの子しかいない。しかもどことなく当時の面影がある。
彼女の言う通り生で見た瞬間、誰だか察した。
「もしかして、誠夏ちゃん?」
「そう。正解」
小さく首を縦に振り、ジッと私の顔を見詰めてくる彼女、氷聖誠夏(ひさとせいか)——。
私が大学生になる前までよく遊んでいた幼馴染。この家から目と鼻の先に住んでいるご近所さん。確か私とは五歳ほど歳が離れていて、今はまだ女子高生のはずだ。
だが目の前の女性は明らかに大人びていて、女子高生というよりキャリアウーマンといった雰囲気。
顎ラインで切り揃えられた黒髪以外はすっかり別人のように様変わりしていた。
「ここ数年で何があったの?」
「え?別に何も無かったけど……」
夏誠はキョトンとした顔で首を傾ける。その仕草だけ見ると愛らしいが、身長が可愛くない。
一応165センチと平均身長より高めの私だが、それでも45度目線を上げないと彼女の顔が見れない。ほんの数年前まで私の腰辺りしかなかった女の子がいつの間にかバレーボール選手並みに成長していた。成長期は凄まじい。
「で、急にどうしたの?」
「急にって?」
「いや。私が大学生になってから暫く会わなくなったのに、このタイミングでフツー来る?」
出来れば、こんなみすぼらしい姿を彼女に見せたくなかった。
今更ながら寝癖の付いた髪を手櫛で整えようとしたが、虚しく治らない。
「おばさんから頼まれてここに来た」
「おばさんって……、私のお母さん⁉」
「うん。これから暫くウチの娘を世話して欲しいと」
「誰が?」
「もちろんボクが」
「なんかの冗談?」
「ううん。ボク冗談言えない」
「あ、ああ~。そうだったねー」
動揺のあまり表情筋がピクピク痙攣して、上手く笑えない。
お母さんいつの間にバカなこと頼んでんのよ‼
「ちなみにおばさんは暫く帰ってこないみたい」
「は⁉」
「再婚相手の人と同居するとかなんとか」
「いやいや。再婚ってなに⁉初耳なんですけど⁉」
あの人、今さっきフツーに買い物行ったよね?
ていうか、再婚するとか一度も聞かされてないんですけど⁉
確かにお父さんと離婚してからちょうど十年ぐらい経つけど、いくらなんでも急過ぎない⁉
「ではお邪魔しまーす」
「ちょ、ちょい……‼」
「姉貴、どうしたの?ボクが家に入るのイヤ?」
「イヤじゃないけど……」
「じゃあ入るよ」
私を押しのけるように玄関に入って、ヒールの高いブーツを脱ぐ。
そしてなんの躊躇なく、リビングへと足を踏み入れた。
「あの頃と全く変わってない。懐かしい」
「あの頃って言っても、まだ五年やそこらでしょ。そこまで変わらないと思う」
誠夏は我が物顔でカバンをソファーに置き、うーんと大きく背伸び。背骨がゴキゴキと悲鳴を上げている。
「夕食はもう食べた?」
「このアイスで済ませるつもり」
「ダメ。それ冷凍庫に閉まって」
両手にあったアイスを強引に取り上げられた。
彼女は台所にあった母親のエプロンを腰に付け、肘まで袖をたくし上げる。
「ボクがご飯作る」
「いやいや、いいよ。わざわざそんな事しなくても。アイスで充分だから」
「充分じゃない。健康に悪い。病気で死ぬ」
「そんな大袈裟な」
一度は止めようとしたが、彼女の意志は固く既にフライパンと菜箸を持っていた。
冷蔵庫の中から野菜やら魚やら新鮮な食材を取り出し、キッチンに並べる。
「そもそも料理作れたっけ?」
「作れるようになった。五年前に」
「あ、そうなんだ」
私と暫く会ってない間に家事のいろはを全て網羅していたようだ。
慣れた手つきで着々と食材別に下ごしらえしていく。
「姉貴はソファーでゆっくりしてて。時間ちょっとかかりそう」
「わかった。一旦部屋に戻ります……」
呆然とリビングに突っ立っていると、目障りだと言わんばかりに睨まれてしまった。
年下の幼馴染に夕食を任せるのは多少罪悪感があるものの、不器用な私には何も手伝うことができない。
彼女の背を尻目に大人しく自室へ戻っていく。
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