第9話 睥睨




「たった一人? それじゃあ、キミ以外の住民は?」

「おりません。十年前に同居していた祖父が亡くなって以来、私が唯一の村民でございます」

「じゃあキミは独りぼっちでこの村に住んでるってことか?」

「はい。厳密に言えば私の住まいはこの村の外れにありますので」


 ——こんな場所で、たった一人で生活できるのか?


 イオの話に耳を傾けていると、そんな疑問が湧いた。


 崖の上から望んだパスタ村の全体図を改めて脳裏に思い浮かべる。

 村の四方は小高い山々に囲まれており、近隣の集落へ向かうには船で河を下るか徒歩で山を越えなければならないだろう。 当然物資も乏しく、貧窮した暮らしを余儀なくされるはずだ。

 より安全に、より確実に生き延びるためには、設備の整った集落に身を寄せ周囲の人々と共に暮らすことが必要なのだが——。


 そんなことを考えていたその時、突然遠くから大きな崩落音が聞こえてきた。

 咄嗟に音の発生源へ目を向けると、街並みの一部分から濃い土煙が立っているのが見えた。どうやら遠くで廃墟が崩壊したらしい。


「……予想通り。そうなると次の移動先は…… 」


 ふと、イオが口の中で何かを呟く。何を言ったのかはニトには聞き取れなかった。

 顎に手を置き思案すると、呆然とするアユリアとニトの肩に手を掛けて、


「……ここはいささか危険でございます。場所を変えましょう」


 唸るような低い声で提案してきた。


「い、一体何が……!」

「今しがた粉塵の舞い上がった場所、あそこにいるのは恐らく超越者でございます」

「ッ、この村にも超越者がいるのか!?」

「はい。ずっと昔からこの村に巣食っているのです」

「嘘だろ、なんで気付かなかったんだ……! 索敵は予断無くやってたのに……!」

「ニトくんの責任じゃありません。私もまったく察知出来ていませんでした。まるで何もない空間から突然湧き上がってきたみたいに現れて……」

「後悔は後。まずは急いでこの場を離れるのが先です」


 自罰的な思考に陥りつつあったニトたちを、イオは鋭い声色で律した。


「あれは決して村の外に出ないのでご安心を」

「な、何でそう言い切れるんだよ?」

 

 イオはニトの質問には答えず、先程まで自身が隠れていた瓦礫の山へ歩み寄るとその陰に手を突っ込んだ。

 そうして引っ張り出した右手には——彼女の身の丈を遥かに超える大弓が握られていた。

 一般的な弓とは異なり金属で作られているが、要所にギアを組み込むことで弓にとって最も重要な要素である『しなり』を産み出す構造になっている。

 片手で軽々と持ち上げているのを見るに、極限まで不要な部分を排し軽量化しているようだ。洗練されたフォルムは最早機能的な美しさすら感じる。

 黒く塗装された一対のリムは、まるで夜空を鷹揚に舞うカラスの翼のようだった。


「なんだそれ……」

「私の得物でございます。姿を現す際、これを持ったままでは要らぬ警戒をさせてしまうと思ったので」


 イオは弓を素早く折り畳むと背中の矢筒に押し込んで、


「今から全速力で走ります。死にたくなければ、死ぬ気で着いてきてくださいませ」

 

 そう低い声で告げると、その次の瞬間凄まじい速度で駆け出した。


「ちょっ、なんだあのスピード!?」

「どうやら頑張って着いていくしかないみたいですね」

「えぇ……?」

「さぁ、ひとっ走りしましょうか!」


 上機嫌に笑って駆け出したアユリア。その背を追うようにニトも走り出した。

 広場を後にして大通りに出ると、突然イオが大きく曲がって路地裏に入った。

 一瞬戸惑うが、前を走るアユリアが何の躊躇もなくイオの後を追ったのを見て仕方なく付いていく。

 毛細血管のように広がる細い道はジメジメしており、濡れた石畳で足が滑りそうだった。イオはそんな悪路を難なく駆け抜けてどんどん先へ進んでいく。

 

 路地を抜けると、先程通った城門よりも一回り小さな門の前に着いた。石造りの門は苔むしており、要石の上には『東門』と刻まれた石板が掲げられている。


 その下を駆け抜けると、後は無我夢中。

 トップスピードを保ったまま走り続けて、パスタ村からある程度離れたことに気付いた瞬間、全身から力が抜けた。


「…………助かった、のか」


 徐々にスピードを落とし、立ち止まる。

 石畳を踏む感触とはまた違う、未舗装の道に転がる小石の硬さにパスタ村から脱出できたことを実感する。

 張り詰めていた緊張の糸が弛み、ニトは思わず溜め息を吐いた。

 パスタ村と谷の斜面との間に広がる、手付かずで荒れ果てた麦畑。

 そのど真ん中を突っ切るように伸びる道にニトたちはいた。


「はぁ……ここまで来れば……はぁ……大丈夫でしょう…… !」


 イオは息も絶え絶えといった様子で言った。

 初雪のように白い肌には汗が滲んでおり、線の細い肩は激しく上下している。


「ッ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……マジで疲れた…… 」

「大丈夫ですか、ニトくん?」


 膝に手を着き、背中を丸めて呼吸を荒げるニトの顔を覗き込むアユリア。

 横目で見た彼女の顔に疲弊した様子はない。 頬が僅かに紅潮し汗ばんでいるが、それだけだ。


「お前……結構走ったのに…… よく平気だな…… 」

「これくらいの距離なら全然平気です」

「はは……スタミナお化けがよぉ…… 」


 悪態とも称賛とも取れる言葉を吐き捨てた。

 時々、アユリアは本当は人間じゃないんじゃないかと思うことがある。 超人な膂力と脚力、そして驚異的な持続力。

 明らかに人間離れした身体能力に、ニトは羨望とも畏怖とも感情を抱いていた。


「それにしても、結構走ったよな…… 」


 ニトは自分たちが走った距離を確認しようと、何の気なしに後ろを振り返った。


 そして——目が合った。


 百メートルほど先。

 東門の上から顔を出し、感情のない眼でこちらをじっと覗き込む異形の怪物と。


 背筋が凍りついた。

 ほぐれた筋繊維が織り合わさり、粘液を滴らせて芋虫のように蠢きながらも人間の形を成している。

 背丈は八メートル前後だが、貧弱な下半身とは不釣り合いなほど両腕が肥大化している。

 歯の代わりに触手が生え揃った口器の上には、赤く充血した黄色い瞳が鈍く輝いていた。

 

 まるでミンチ肉を混ぜ捏ねて造ったような、生物という域を超越した禍々しい姿。

 全身の至る所からドッと冷や汗が噴き出す。

 全速力で走って急上昇した体温が一瞬で冷め、極寒の凍土に放り込まれたかのように身体が震え出した。

 蛇に睨まれた蛙以下の気分だった。


「……アイツ、こっち見てる……よな?」

「ええ……こちらを凝視しています。追ってくる様子はないみたいですけど…… 」

「ご安心ください。あれは村の防壁内のみを縄張りとしておりますので、ここまで来れば何もしてこないかと」

「そっか……」


 バクバクと拍動する心臓を胸の上から押さえ、服ごと握り締める。

 頭に血が昇り、全身が痛むけれども意識は恐ろしいほど冴えていた。


「……なぁ、イオさん、だっけか。あれがパスタ村に巣食う超越者なのか?」

「はい」

「……怖いな」

「……はい」


 ニトが零した率直な感想にイオは深々と頷いた。

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