第8話 錆び果てた村で


 切り立った崖から迂回して麓の草原に降り立つと、葦に覆われたなだらかな斜面を下って谷間に降り立った。

 山肌から染み出した雪解け水が集まる小川は谷底を這うように伸びていて、底を泳ぐ魚の影がくっきり見えるほど透き通っている。

 そこから川沿いに下流へ十分ほど進むと小高い丘があり、その頂にパスタ村はあった。


 村をぐるりと囲む城壁は壊れかけていて、風化したレンガが地面に崩れ落ちて芯材の鉄骨が剥き出しになっている。

 ここまで劣化が進んでしまうと、外敵の侵入を防ぐという当初の目的は最早果たせなさそうだ。この状態なら手榴弾一発分の爆風でも簡単に吹き飛んでしまうだろう。

 

  朽ち果てた城門を潜り抜けると、廃墟と化した街並みがニトたちを出迎えた。

 案の定村の内部は酷い有様で、建物は予想以上に経年劣化が進んでいるようだ。

 崩れかけた石壁はツタで覆われ、道脇には朽ち果てた荷車や木樽の破片が散乱している。瓦葺きの屋根は陥没して家の中が剥き出しになっていたり、中には完全に倒壊してしまっている家屋もあった。


 集落の規模や整備された街並みから察するに、ここもかつては活気溢れる農村だったのだろう。今や見る影もないが、きっと素晴らしい村だったに違いない。

 立派な造りの家屋が、頑丈な城壁が、道端に転がる生活用品の残骸が。

 長い時を経て、遠い過去の栄華をふらりと立ち寄ったニトたちへ必死に教えようとしているのだ。


 まるで自分の存在を覚えていて欲しい、と願うかのように。


 ニトは石畳を埋め尽くす、膝上まで伸びた葦を掻き分けながら注意深く進んでいく。万が一この廃村が野盗の根城になっていたなら、外部からの侵入者を捕縛するための罠が仕掛けられている可能性が少なくないからだ。

 

——頼む、何もあってくれないでくれよ……。


 祈りつつ、足先で地面を探りながら一歩一歩、慎重に歩を進めていく。


「…… 本当に誰も住んでないんだな」

「……」

「今のところ誰かが草を掻き分けて進んだ跡も、ワイヤートラップやら地雷のような設置型の罠が仕掛けられた痕跡もない。漂流者や超越者の糞便や痕跡も確認できない。人っ子どころか野生生物も立ち寄らない、まさに忘れられた村って感じだ」

「…… 」

「ほら、俺の言った通り何もなかっただろ? 俺たちの旅に役立つ代物なんて、もうこの村には一個たりとも残ってねぇんだよ、アユリア」

「……」

「……おい、アユリア? どうした?」

「ッ…… ごめんなさい、聞いてませんでした」


 返事がないことが気になって声を掛けると、アユリアは身体を起こした。

 どうやら道端に設けられた井戸の中を、身を乗り出して覗き込んでいたらしい。

 よく見ると転落防止用の井桁が崩落していて、井戸の中はその瓦礫で埋まっている。 遠くから見ても到底水を汲めない状態だと判るのに、何故わざわざ中を覗き込む必要があるのだろうか。


——まあ、今に始まったことじゃないしな。


 どうせ理由は解らないだろうと、ニトは考えるのを止めた。

 アユリアと共に旅を始めて一週間。彼女の突飛な行動にニトも慣れ始めていた。

 彼女が突然距離感を詰めてきたり、理解が及ばない奇行に走った時はスルーすればいい。

 どうせ根拠も理由も判らないのだ。頭を悩ませるだけ無駄だ。


「覗き込むのはいいけど、あんまり身を乗り出し過ぎるなよ」

「はーい」


 適当に注意を済ませ、ニトは警戒しながら先へ進んでいく。

 しばらく歩くと、通りを抜けて綺麗な円形に整えられた広場に出た。

 それから程なくして異変に気付く。


「…… ん? なんだあれ?」


 ふと、視界の端に奇妙なものが映った。

 広場の中心に建つ馬の銅像。

 その傍に苔むした巨大な岩が屹立している。全長は1メートル程度で石版のように平坦な形状をしている。

 風景写真の一部のように周囲の光景に溶け込んでおり、一瞬見ただけでは違和感に気付かなかったが——。


「アユリア。あれは……何だと思う?」

「あれ、というと?」

「銅像の傍にある岩だ。草に隠れてよく見えないけど……」


 ニトは真っ直ぐ岩を指差して、


「——あれ、石畳に突き刺さってる、よな?」

「はい、私にもそう見えます」


 近寄って草の根を掻き分けて調べると、疑惑は確信となった。

 苔むしてひび割れた石畳。そのど真ん中を強引に穿つように、岩は地面に突き刺さっていた。四方に散らばった石片が凄まじい膂力の跡を物語っている。

 そっと指先で表面を撫でると、指の腹に薄くコケが付着していた。

 どうやらこの状態になってそれなりに時間が経っているらしい。


「一体誰が、何のために……?」

「おそらく、この岩は何かしらの目印だと思います」

「目印?」

「はい。鹿や熊といった野生動物が自らの縄張りを誇示するためにマーキングと同じです。何者かがここ一帯を自らの縄張りとして占有していて、その証拠として目立つように石を置いているんです」

「何者か、って誰だよ?」

「パスタ村を拠点に活動している野党や追い剥ぎか、ある程度の知性を有した漂流者、もしくは……あ、ちょっと待っててくださいね」

「…… え?」


 突然会話を中断したかと思うと、アユリアは背中からパイルハンマーを抜刀した。

 そのまま素早く振り向くと、片手で構えたパイルハンマーの鎚頭を廃墟の影に向ける。


「そこにいるのは分かってますよ」


 玲瓏な声で、鋭い瞳で、彼女は言い放つ。

 柄に取り付けられたレバーを握ると、ガチャリという物々しい金属音が響き、鎚頭から火薬が詰まった鉄杭が迫り出した。


「あ、アユリア? 一体何を…… 」


 困惑するニトを横目に、アユリアは声を潜める。


「今何者かに監視されてるんですよ、私たちは。二時の方向、二十メートル前方の瓦礫の山の陰から」

「……え?」

「今は姿を隠していますけど、まだそこにいますよ」


 パイルハンマーの鎚頭が指す先には、アユリアの言う通り瓦礫の山がある。

 ちょうど背丈の低い人間なら簡単に身を隠せるような大きさのものが。


「別に危害を加えるつもりはありません。ただ、あなたとお話しがしたいだけなんです。よかったら出てきてくれませんか?」


 アユリアは声を張り上げ、穏やかな口調で呼び掛ける。

 だがその表情は真剣そのもので、思わず身震いするような冷たさを感じた。

 天真爛漫な少女と冷徹な戦士の二つの顔——その使い分けの巧さは、最早芸術の域に達しているようにも思えた。


 重苦しい静寂が廃墟の村に満ちる。

 鼓動が頭蓋骨を吹き飛ばしてしまいそうなほど心臓が激しく跳ねる。ニトは動けない。アユリアは動かない。そして沈黙は続く。


……やがて瓦礫の陰から、一人の少女がゆっくりと姿を現した。


 アユリアと比べて少しだけ低い身長。痩せっぽちな身体は機能性を重視したカーキ色の狩装束に包まれている。

 東洋の血が混じっているらしい艶やかな黒髪は首元で束ねられ、鋭い目つきや狩装束も相まってシャープな印象を感じさせるた。

 炎のように鮮烈な紅色を湛えた眼は地面に垂れ、線の細い両手は後頭部へと回されている。どうやらアユリアには勝てないと踏んだようだ。

 眉間に皺を寄せ、曇った表情にははっきりと恐怖と動揺の色が見える。


「……いつから、気付いていたのですか?」


 小さな桃色の唇が紡いだのは、鈴の音のように心地良い声だった。


「ずっと前から、です」

「……具体的には」

「この村に足を踏み入れた直後から」

「……つまりは最初から、と……貴女は私の尾行を察知した上で、わざと泳がせていた……」

「ちょっ、おい!」

 

 聞き捨てならない台詞が飛び出た——思わずニトは口を挟んだ。

 

「アユリア、お前尾行されてるのに気付いてたのならすぐ俺に言ってくれよ!」

「ごめんなさい。ちょっと意地悪したくなったんです」

「お、お前なぁ……!」


 非難めいた声を上げるニトに、アユリアは可愛らしくウィンクする。

 それを見ると、腹の底で渦巻いていた苛立ちも煙のように消え去った。


「はぁ……そうかよ……」


 彼女の言う意地悪というのは、ニトと少女の両者へ向けたものなのだろう。

 子供のように純粋なアユリアのいたずら心を、頭ごなしに否定する気にはなれなかった。


 少女もそんなアユリアの態度に面を喰らったらしく、目を見開いて驚いた顔をしている。ニトとアユリアを交互に見比べて、小首を傾げる様はなんだか小動物のように見えて。


——ああ、多分この人は敵じゃないな。


 ニトは確信めいた予感を抱きつつあった。

 アユリアも似たような考えに行き着いたのだろう。少しだけ口元に笑みを湛え、パイルハンマーの鎚頭を地面に下ろした。ヅガン、と地響きのような金属音が木霊する。


「それで、貴女は…… おっと、まず最初にこちらから名乗るのが礼儀ですね。私はアユリア。そしてこちらの男性はニトくん。私たちはある目的のために旅をしています」


 困惑していた少女はアユリアの言葉にはっとした顔をする。口を開けて咄嗟に何かを言いかけるが、言い淀み、視線を彷徨わせる。

 戸惑い、躊躇い、それでも思考を紡ぎ出した少女が取った行動は——一礼。


「私の名はイオ。この朽ち果てた村の、たった一人の住民でございます」

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