第6話 可愛いミス

 綿谷わたやは問題の図書カードを見ながら深いため息をついた。

 それで頭が冷えたのか、奥に入っていた記憶の欠片かけらが吐いた息とともに外に出た。


「ちょっと待って。学年とクラスと名前ばかりに気を取られてたから忘れてたけど、この児童が借りたのは6月9日……先週の木曜よ! 今日は17日の金曜だから貸出し期間の1週間を過ぎてる。つまり……」


 綿谷は立ち上がり、ドーンと構えて言った。


「ペナルティーが嫌で偽名を使ったのよ!」

「でもそれだと、借りる時から期限を守らないつもりだった、ということになると思うのですが……」

「まぁそれは、念には念をってことよ〜」

「なるほど……」

「いや、それもないと思います」

「えっ、なんで?」

「ペナルティーが嫌で偽名を使ったとすると、期限を守らなかったことが2回あることになる。つまり、その児童に対して注意したことが2回あるってことです。流石に先生も顔覚えてると思いますけど」

「確かに……名前見るだけでも顔を思い出せるわね……」

「では、偽名の可能性もなくなったということですね」

「はぁ、もうダメ、頭痛くなってきた」


 綿谷は近くに置いてあるマグカップを手に取り、残り少ないコーヒーを一気に口に注いだ。


「ねぇ2人とも、ちょっと休憩しない? 一旦落ち着いたら何か浮かぶかもしれないし」

「そうですね」

「分かりました」


 3人は一旦考えることをやめた。

 綿谷は空になったマグカップの底を見つめ、詩織しおりは目を閉じ、拓真たくまはストレッチを始めた。




 そのまましばらく時が流れたが、小部屋の空気は変わらないままだった。

 拓真は腰に手を当て、息を吐きながら背中を反っている。

 その時、たまたま目に入った壁掛け時計が拓真に衝撃を与える。


「あっ!」

「ビックリしたー、どうしたの?」

「何か思いついたのですか?」

「いや、でもまさかね……」

「ちょっと〜、聞こえてる〜?」

「あっ、すみません。もう1回パソコン使っても良いですか?」

「ええ、別に良いけど」


 拓真は問題の図書カードを見ながら入力し、検索ボタンを押した。


「あはは……マジか」

「えっ、もしかして?」

「はい、出ました」


 パソコンの画面には児童の情報が表示されている。


「でも何で急に?」

「私も気になります!」

「この児童は、可愛いミスをしたことで結果的に偽名を使ってしまったんです」

「どういうこと?」「どういうことですか?」


 拓真は頭の上に「?」を浮かべる2人に、図書カードの上下を反対にして見せた。


【一川水|1−1|6/9】


「本当の名前は、一川いちかわすいだったんです」

「えっ、すいちゃん!?」

「知ってるんですか?」

「ええ、何度か話したこともあるし」

「なら何で気付かなかったんですか?」

「だっていつも図書室で読んでたから、まだ一度も借りたことがなかったのよ〜」

「あー、図書カードに書くこともなかったわけですね」

「そう! だからこの漢字だったなんて知らなかったの〜」

「なるほどです」

「でも、本当に上下を間違えたのでしょうか?」

「ん、何か気になるの〜?」

「既に記載されているのを見れば間違えないと思うのですが……」

「いや、それがそうでもないのよ〜」

「そうなんですか?」

「2年生以上はほとんどいないけど、入ったばかりの1年生はたまーに間違える子がいるの」

「そうなんですね」

「まぁ、水ちゃんに関しては別の理由もあるけどね〜」

「別の理由?」

「……ドジっ子なの」

「あっ、なるほど……」

「でも運はありますね」

「えっ、どうして?」

「1年1組は唯一反対にしても変わらないものですし、借りた日が反対にしても変わらない6月9日だったのは流石に運が良すぎですよ」

「あはは、確かにそうね〜」

「ふふっ、そうですね」

「そういえば間瀬ませくん、何を見て『あっ!』ってなったの?」

「時計です」

「時計?」

「背中反ってたら6と9が見えてそれで気付きました」

「やるぅ〜」

「すごいです!」

「たまたまですよ」


 3人は謎が解けてスッキリした。

 ちょうどその頃、下校時間が近づいていた。


「そろそろ終わりね〜」

「今日は一段と疲れました」

「こんな面倒なことはもう起こらないで欲しいですね」

「まぁ、小学校でそんなに謎は起こらないわよ」

「だと良いですけど」


 3人が余韻に浸っていると、図書室のドアが強めに開いた。


「ごめんなさい、まだだいじょっ……」


 ドテッ。


「あっ、大丈夫ですか?」

「うん、へーき。いてて……」

「何も無いところで転ぶなんて……もうドジなんだから〜」

「先生、もしかして……」

「そう、この子が水ちゃん!」


 貸出し初回にして1回目の期間オーバー。軽い注意で終わるはずだが、水ちゃんはまだ間に合うと思っていたらしく、綿谷は心配して少し長めに話した。


 それを見ていた詩織は「この子のことは忘れないだろう」と思ったが、拓真はただただ「ドジな子だな〜」と思っていた。

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