終.恐怖(後)

 ◆


「ぽーっぽっぽっぽっぽ!!!!」

 呵々大笑。

 妖怪が邪悪に嘲笑った。

 他人の不幸が嬉しい。

 自分の配下であっても、苦しんで死ねば嬉しい。

 そういう笑顔だ。

 妖怪の笑みだ。


「……思い出したぽねぇ」

「思い出した?」


「四年前だったか……お前を守るために、戦った夫婦がいたぽねぇ……親が必死で守った命をこんなところで捨てるなんて親不こ……」

 家族を殺されたのは、六年前のことだった。

 ただ、両親は今でも生きている。

 あの時の戦いとは関係なかったからだ。

 つまりは――と、答えを出すよりも速く、俺は動いていた。


「何人殺ってやがんだァァァァァァッ!!!!!!」

 全力で駆けた。

 これ以上とないぐらいに。

 フルスイングで八尺様の頭部を吹き飛ばすために。


「ああ――」

 その俺に合わせて、八尺様が前蹴りを放つ。

 完璧なカウンターだった。


 重い蹴りだった。

 腹部にトラックが突っ込んで来たかのようなそんな衝撃。


 痛いという言葉が生易しい。

 打撃の痛みではない、蹴られた腹部が燃えている。

 燃え続けている。痛みが熱の形になって俺に留まっている。

 その痛みで俺は崩れ落ちる。


 八尺――242.4センチメートル。

 その身長はジャイアント馬場を40センチは上回る。

 その恵まれた体躯が余すとこなく鍛え上げられていた。


「人違いだったぽ?」


 八尺様――その長い脚が彼女の頭よりも高く持ち上がった。

 ひどく単純で、恐ろしい技が来る。

 踵落としだ。

 242.4センチメートルの高さから振り下ろされる斧だ。

「破ァーッ!!」

 まともに受けていれば頭蓋骨が粉砕したであろう一撃を、俺は咄嗟にくねくねで受け止める。


 一撃が高所たかい。

 一撃が巨大でかい。

 一撃が衝撃すごい。

 一撃が恐怖こわい。


 踵落としを僅かにその身に絡めて、くねくねは壊れた。


 俺の目の前に八尺様がいた。

 242.4センチメートルから1ミリも引くことなく、1ミリも足すこともない。

 純粋な恐怖が俺の前に立っていた。


 巨頭オを拾いながら、俺は床を転がり八尺様から距離を取る。

 通常のくねくねの長さならば届かないぐらいの距離だ。

 痛みは未だに俺の中で燃え続けている。

 骨か内蔵か、目に見えない部分が壊れているに違いない。

 構わない。

 俺は気にしない。

 だから、俺の身体よ。最後まで戦わせてくれ。


「ぽっぽっぽ……一撃で死なれちゃ面白くないっぽねぇ……これなら、たっぷり楽しめそうだぽ」

 八尺様が懐からリンフォンを持ち手にしたヌンチャくねくねを取り出す。

 霊視でなければ、一発で脳が爆発する最悪の霊的ヌンチャク兵器だ。

 だが、目の前の妖怪は――物理的な攻撃でだって、俺の頭を爆散させることが出来る。


 俺は巨頭オを構える。

 粘った厭な汗が俺の肌を伝い、地に落ちる。


 二倍だった。

 くねくねを二匹繋いで――リーチに特化しているッ!


「ぽーう!」

 ヌンチャくねくねが地を這うように薙いだ。

 俺は咄嗟に跳ぶ。

「ぽっ」

 八尺様が笑う。

 八尺様はそのヌンチャくねくねを捨て、もう一つのヌンチャくねくねを懐から取り出した。

 ヌンチャくねくね二刀流――しかも新しく取り出した方の取っ手は人間をついばむカラスである。

 

 縦に跳んだ俺の脳天を打ち砕かんと、縦の回転で俺にカラスが落ちてくる。

 嘴の分、その威力はリンフォンよりも高いだろう。

 俺は地面に巨頭オを下ろし、それを軸にくるりと回転する。

 先程まで俺がいた場所にカラスが衝突する。

「グェーッ……こ、この……ジンカンの親となり、人間どもを殺し尽くすはずの、この人間をついばむカラス様が……」

 巨頭オを持ち、俺は八尺様との距離を詰める。

 再び八尺様がヌンチャくねくねを取り出す。

 俺の接近に合わせるように、くねくね一匹分の通常仕様だ。


「ぽッ!」

 先端のリンフォンを俺は巨頭オで受ける。

「ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!」

 連打。連打。連打。連打。連打。連打。

 連打が止まらない、降り注ぐ雨よりも疾い。


「ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!ぽッ!」

 連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。

 連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。

 連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。

 連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。連打。


「開眼しろッ!巨頭オッ!破ァーッ!!」

 俺は巨頭オのツボを押し、長い沈黙を続けていた巨頭オを覚醒させる。

 巨頭オが開眼し、真っ先に見たものは――圧倒的なくねくねの動き。

 その情報量に巨頭オが爆発する。

 それもただの爆発ではない。


 巨頭オ――その頭部の大きさは通常の人間の十倍。

 爆発の威力も十倍である。

 八尺様が驚愕に目を見開く。

 爆風を突っ切るように、俺は走った。

 全身が焼けている。

 関係はない。

 俺は八尺様を殴る。


「破ァーーーーーーーーーッ!!!!!!」

 鉄だった。

 鉄を殴った感触――まるで効いたという感触がない。

 鍛え上げられた身体は、生身で鎧の重量と硬度を持っている。


「破ァ!破ァ!破ァ!破ァーッ!」

 だが関係ない。

 腕から流れた血を気にせずに殴り、蹴る。

 渦人形と同じだ壊れるまで――八尺様が俺の蹴りを掴んだ。

 今度は、俺がヌンチャクだった。

 八尺様が嘲笑う。


 壁に叩きつけられんとした瞬間――俺は叫んだ。


「破ァーーーーーーーーーッ!!!!!!」

 両手を合わせ、花のように構える。

 その花の柱頭にあたる重なった手首の先の部分から法力の青い衝撃波が放たれる。


「ぽッ!?」

 八尺様が驚愕の声を上げる。

 お前は徹底的に暴力を使ってきた。

 法力であろうと呪力であろうと、ひたぶるに暴力で破壊してきた。

 けれど効かないワケではないのだ。


 霊視で見たぞ、お前は大獄炎邪冥撃を回避しなければならなかった。

 覚えているぞ、お前は結界を金属バットで破壊しなければならなかった。


 徹底的だ。

 徹底的に何もかもを出し尽くして、俺はもうお前に蹂躙されるだけの玩具になった。赤子に振るわれるぬいぐるみのような玩具だ。

 油断。

 そこまでやってようやくお前の心を油断が蝕んだのだ。


 八尺様の腹部に巨大な大穴が開いた。

 向こうが見えるほどの穴だ。

 床でくねくねの死骸が転がっている。

 リンフォンが落ちている。


「ぽ……」

 八尺様が構えた。

 まだやるか。

 そうだな、身体に穴が空いたぐらいだ。

 お前は続けるだろう。

 お前は二度と負けないために強くなったのだろう。

 俺だってそうだ。

 俺だってやる。

 俺の身体に穴が空いて、大切な臓器が全部無くなったって続けるよ。


「殺してやるよ」

 目から血を流しながら、俺は強い言葉を吐いた。


 ◆


 恐ろしい生き物だ。

 仲間を殺しても、なおも立ち上がってくる。

 呪い殺しても呪い殺しても、自分の使える力で私を封じてくる。

 だからこそ、私もそれに倣おうと思った。

 呪力では絶対に勝利できない存在に勝とうと――自分に持ちうる全てを使った。

 強くなった。

 あのくねくねよりも強い。猿夢よりも強い。

 きさらぎ駅、姦姦蛇螺、渦人形、次は海外の妖怪だって従えて見せるはずだった。

 人間どもを支配し、神聖八尺様帝国は最終的に外宇宙にまでその手を伸ばす予定だった。


 それが何故、こうなっている。

 実力では私が圧倒的に上だ。

 私に法力で攻撃を加えたのは流石に驚いたが、それでも私のほうが強い。

 十発だ。

 目の前のこいつが一発の弱い攻撃を当てるまでに、私は十発の強い攻撃を当てている。


 他の妖怪共とは違う。

 私は常に持ちうる力を全て出している。

 切り札は無い。

 札に例えるならば、私の持ち札は全てがジョーカーだ。

 私の攻撃は常に即死級だ。

 攻略WIKIにだって書いてある。


 嗚呼。糞。


 何故、斃れない。

 何故、死なない。

 何故、怯えない。



 怖い。

 私は悲鳴を上げた。


 この生物が何よりも一番怖い。


 ◆


「ぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」


 甲高い悲鳴を上げて、とうとう八尺様が消滅した。

 右腕が折れている。

 両足も棒のようだ。

 肋骨とか、そういう目に見えない部分も全身が壊れている。


 八尺様はコトリバコを落とさないタイプのボス妖怪らしいので、俺は痛みと疲労がべっとりと纏わりついた身体で少年が囚われた牢に向かった。


 鍵を探す時間はなかった。

 俺は鉄格子を力で捻じ曲げる。


「コラッ」

 少年に何かを言おうと思ったが、最初に出てきた言葉はこれだった。

「あんまり弟に心配かけてやるなよ……」

 少年が泣いている。

 謝っているのだろう。

 聞こえない。


 ずっと兄を追っていた。

 兄が致死率十割神社に向かったあの時から。

 けど良かったな。

 君の弟は一生兄を追わないで済むらしい。

 兄弟仲良くな。


 意識が薄れる。

 兄ちゃんの背が見える。


 兄ちゃん。

 俺、兄ちゃんを止めようとしたけど――無理だったな。

 でも、追いついたよ。

 一緒に行こう。

 

 兄ちゃんが俺に振り返る。


 兄ちゃんの拳が俺の顎を掠らせて、脳を揺らした。

 いいパンチだった。

 六年間鍛えていたはずなのに、そんな俺よりも凄まじい。

 我が兄ながら惚れ惚れするパンチだ。


 脳が揺れて、俺の意識が闇に落ちていく。


 ◆


「お前、ちわらい様を見たんか!?」

 村民同士が殺し合った忌まわしき伝承が残る土管土管人殺洲どっかんどっかんひところす、その古老が驚愕に目を見開いて叫んだ。

 ちわらい様――その殺し合いの結果、蠱毒の儀式めいて誕生した妖怪である。

 厳重に封印されているが、数年に一度封印が緩み――目についただけの人間を徹底的に苦しめる。

 ペットを殺し、友人を殺し、恋人を殺し、家族を殺す。

 そして散々に絶望させた後、本人を殺す。

 その手からは誰一人として逃げることは出来ない。


「……時間稼ぎにしかならんかも知れんが、お前はあの部屋から出るな……儂は知り合いの住職を当たってみる」

 震える指でプッシュするのは寺に繋がる電話番号だ。


「私の手におえる相手ではありません……」

「そこをなんとかならんのか!?」

「そもそも寺に妖怪退治のオプションは普通無いんですよ……」

 どうしようもない事実であった。

 現実、悪霊妖怪の類に襲われたところで宗教施設は大した救いにはならない。


「ただ……」

「ただ?」

「何とか出来るかもしれない場所は紹介できます」


 致死率零割神社というらしい。

 恐怖を感じるまでに安全そうな名前だ。

 縋るような気持ちで、電話をかける。


 電話越しに若い男の声がした。

 事情を説明すると、男はただ言った。


「絶対に守ります」と。

 太い声でそう言った。


【終】

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