八尺様がくねくねをヌンチャク代わりにして襲ってきたぞ!

春海水亭

1.遭遇


 ◆


 物語は六年前から始まる。俺が十歳の無力なガキだった頃の話だ。

 夏休み、両親の仕事の関係で俺は二歳年上の兄と共に父方の爺ちゃんの家に預けられることになった。


 婆ちゃんはだいぶ昔に死んでしまったので、俺たち兄弟と爺ちゃんの三人暮らしだ。


 本当に田舎で何もなかったけれど、その分自然があったから俺も兄ちゃんも毎日、川に行ったり森に行ったりして結構楽しくやれてた。監視役の爺ちゃんも好きに遊ばせてくれたし、俺たちの知らない遊びを色々と教えてくれた。


「致死率十割神社だけは絶対行くなよ」

 ただ、結構危ない遊びをやらせてくれる爺ちゃんでも、爺ちゃんの家から南にある神社にだけは絶対に近寄らせようとしなかった。


「妖怪がおるでな」

 爺ちゃんは真剣な口ぶりでそう言う。

「どんな妖怪?」

 兄ちゃんが尋ねる。


「八尺様っちゅう……でかい妖怪と、くねくねっちゅう妖怪や……八尺様はとにかくあかんやつや。見つかったら殺される。そしてくねくねは見たら……頭がおかしくなってまう……」

 冗談を言っている様子はなかった。

 どこまでも真剣に爺ちゃんは言った。

 俺なんかは爺ちゃんの放つ威圧感プレッシャーに圧されて、とても行こうとは思えなかったけれど、兄ちゃんなんかは爺ちゃんの前では殊勝に頷いておきながら、寝室では「なあ、爺ちゃんがいない時にその神社行ってみようぜ」なんてウキウキした顔で言ってくるからたまったもんじゃない。


 暑さのことも考えず、俺は布団を被って兄ちゃんの言葉を聞かないようにしてたけど、兄ちゃんの「絶対行くからな」の声はどれだけ布団を被っても、すっと幽霊が壁をすり抜けていくみたいに、布団を通り抜けて俺の耳に届いた。

 今思えば、兄ちゃんはあの時点で魅入られていたんだなと思う。


 ある日、爺ちゃんが用事で外出することになり、俺たちは爺ちゃんの家で留守番をすることになった。

「絶対に致死率十割神社だけは行くなよ」

 爺ちゃんは玄関で何度も念を押した後に出かけていった。

 爺ちゃんの家は田舎だけど宮崎県よりは民放の数が多いし、動画配信サービスも利用できる。家でアニメでも見てダラダラと過ごしながら、爺ちゃんの帰りを待っていよう。俺がそんなことを言うと、兄ちゃんは嬉しそうな顔で言った。


「そんなことよりももっと楽しい遊びがあるんだ」

「楽しい遊び……?」

「うん、致死率十割神社に行くんだよ」

「……ダメだよ、爺ちゃんがあそこにだけは絶対行くなって言ったじゃないか」

 いや、仮に爺ちゃんがなにも言わなかったとしても俺は行きたくなかっただろう。

 意味はわからないが、その文字列から奇妙に恐ろしい印象を受けた。

 きっと、行くだけで良くないことが起こる――そんな気がした。


「なんだ弱虫だな、じゃあ俺だけで行くよ」

「兄ちゃん!」

「お前も来るか?」

「待って、兄ちゃん行っちゃダメだよ!」

 必死で止めようとする俺だが、格闘技もスポーツもやっていない俺では小学生時分における二年という圧倒的なフィジカルさを覆すことは出来なかった。

 もみくちゃの攻防になった後、兄ちゃんの拳が俺の顎を掠らせて、脳を揺らした。

 いいパンチだ。

 我が兄ながら惚れ惚れする。

 脳が揺れて、俺の意識が闇に落ちていく。


 目を覚まし、時計を見ると五分ほど気絶してしまったらしい。

 恐ろしくてたまらなかった。

 致死率十割神社――不吉な名前だ。

 しかも大の大人が妖怪が出るだなんて言う。

 その上、実の兄がプロボクサー顔負けの技巧で俺をノックアウトしてまで向かった場所だ。

 行きたくない。

 行きたいわけがない。


 それでも俺は玄関の扉を開いた。

 夏のむわっとした熱気が俺の全身を包み込む。

 無慈悲な日差しが俺の肌をじりじりと焦がす。


 今ならまだ間に合うかもしれない。

 おそらく本能のようなものが、俺を突き動かしていた。

 兄ちゃんが致死率十割神社に辿り着いたら大変なことになる。

 それまでに兄ちゃんに追いつく。

 追いついたら、絶対に止める。

 泣かせてでも止める。

 意識を奪ってでも止める。

 骨を折ってでも止める。

 決意だ。

 己に技量はない、だが決意だけがあった。

 決意だけが幼い胸に満ち溢れていた。


「兄ちゃ~~~~ん!!!待ってくれ~~~~!!!」

 兄ちゃんが足を止めてくれることを祈りながら、俺は全力で走った。

 けれど、現実は無慈悲で――致死率十割神社に続く道の半ばで兄に出会うことはなかった。


 ◆


 無情にも、兄に会うこと無く俺は致死率十割神社の前に辿り着いてしまった。

 異様な神社だった。

 まず鳥居が黒い。

 その黒い鳥居に白い文字で何かしらの呪文が書かれている。

『八尺死ね』『かかってこいや!』『オンドレ踊らせたろか』『DEATH』『エロ魔』『オレは逃げもかくれもせん』『八尺は弱いだけ』『埋めるゾコラッ』


 一つも意味は分からない。

 だが、それが爺ちゃんのいう妖怪を封じる呪文なのだとなんとなく思った。

 

 その鳥居の貫の部分が刃になっており、ギロチンめいて超高速で落下と上昇を繰り返す。

 タイミングを間違えれば、神社の内側に身体の前半身が、そして外側に後半身がぺろりと分かたれることになるだろう。

 俺はその時、人生で初めて人体の半身を右と左ではなく、前と後ろにわけた。


 俺は兄ちゃんの姿を探す。

 幸いなことに兄ちゃんは独創的な人体模型にはなっていなかった。

 つまり、それは無事に神社に侵入したということで――不幸中の最悪だった。


 貫ギロチンは一秒間隔で落下と上昇を繰り返す。

 これがスーパーマリオのステージなら任天堂の株主総会で取り上げられる可能性すらあるクソステージだ。

 だが、これはどうしようもない現実だ。

 その上、この鳥居の先に進んでも待ち受けているのは姫ではなく妖怪と兄ちゃんだ。


「南無三!」

 俺は全力疾走で鳥居を潜り抜ける。

 刃が陽光を受けて、煌く。

 それが、皮肉なまでに美しい。

 思わず見惚れてしまいそうな死の輝きだ。

 その刃が落ちる。

 俺のズボンの尻の部分が下着ごと切れた。

 中身は無事、尻は二つのままだ。


 勢いづいたまま、俺は前転で境内に侵入する。

 石造りの参道が社殿まで続いていた。

 いや――あれを社殿と呼んでも良かったのだろうか。

 黒い鉄の塊――そうとしか思えなかった。

 何の飾り気もない無骨な四角い鉄の塊。

 その姿が俺には――格子のない牢獄に見えた。

 あの四角の中に妖怪とやらが閉じ込められているに違いない。


「兄ちゃん!」

 参道を駆けながら、俺は兄ちゃんを探す。

 一本道の然程広くはない神社のはずなのに、やけに社殿が遠い。

 まるで、ルームランナーを走っているように、いつまでも同じ場所を繰り返し走っているようだ。


「兄ちゃん!出てきてよ!」

「一緒に帰ろうよ!」

「この神社、絶対おかしいよ!」

「なんか……やばいよ!」

 何度も叫ぶが、返事はない。

 空間が歪んでいるかのように、俺の身体はいつまでも社殿にたどり着かない。


 だが、その時――俺の前方に兄ちゃんの姿が見えた。

 青ざめた必死の形相。

 なにかから逃げているかのような。


「兄ちゃん!!帰ろう!!」

 言いたいことは山程あったが、実際に兄ちゃんに会うと――俺はもう目が潤んで目が潤んでしょうがなかった。

 この神社はおかしい。

 早く帰りたくてしょうがなかった。


「……み」

「み?」

 兄ちゃんが白目を剥いた。


「ミナイホウガイイ……」

 次の瞬間、兄ちゃんの頭が爆発した。


――くねくねは見たら……頭がおかしくなってまう。


 爺ちゃんの言葉が俺の脳裏に蘇る。

 兄ちゃんの頭が想像以上におかしくなってしまった。


「うわあああああああああああああ!!!!!」

 俺は頭のない兄ちゃんを置き去りにして駆けた。

 気がつけば俺は鳥居の外にいた。

 鳥居のギロチンはなんとか超えられたらしい。

 それから俺はどうすればいいか分からず、鳥居のすぐ傍で膝を抱えて泣いていた。

 家に帰りたかった。

 けれど、帰れなかった。

 兄ちゃんを見捨てた。

 爺ちゃんになんて言えば良い。

 ただ、それだけが頭の中にあった。


 しばらくそうしていると空が赤く燃えはじめ、それでも何もしないでいると太陽が月に空を明け渡した。


 田舎の夜。

 街灯のない真の暗闇の中で、俺を呼ぶ声がした。


 スマートフォンのライトを起動した爺ちゃんだ。

 全部の顔をしていた。

 俺が見たことのある感情の喜び以外の全部の感情が入り混じった顔で俺を見ていた。


「お前……あそこ行ったんか……」

 絞り出すような声で、爺ちゃんが言った。



【続く】

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